はるのしん

女、妻、鬼嫁、ママのつれづれ日記

記憶

2006-07-02 23:26:16 | つぶやき
W杯の準々決勝ブラジル対フランスを見ていたつもりが気付くと試合が終わってニュースに
変わっていた。開けっぱなしだった窓の外に目をやると明るいけれどどんよりした空、
空気は朝だというのに既に蒸し蒸しとして暑い。
前にもこんな空気を感じた事があるなぁ…と寝ぼけながら目を閉じると思い出した!
小学校のころ家族で夏休みに出かけた海水浴。山国では年に1度の大行事。
宿泊先の宿で長野では感じた事がない不快感とも言える湿気。寝返りを打つと窓の外が
異様に明るい。“そうだ!今日は海に来たんだ♪”とワクワクが始まる一瞬…
ベッドの上で高い湿気と朝の日差しを感じただけで嬉しい気持ちになったのは、そんな気持ちを
体が思い出したからだろう。

匂いや音で記憶が蘇ることは沢山ある。
夜中にベランダに出て耳を済ます。ゴーっと低い音が絶え間なく続いている。時々救急車の
音が混ざりながら。誰か個人を特定できる音はなく、お互い知らない者同士の音が重なり合って
眠らない街の音になっている。決してぬくもりを感じる事のない音。
これは東京に出てきて、仕事も肩書きも男もお金もなくなって、ただただ朝まで夜空を
眺めていた時に聞いていた音。
今でもこの音を聞くと“自分は立ち止まっても勝手に世の中動いてんな~。”というあの頃の
冷めた気持ちと“でも結局今の自分があるじゃん”というポジティブな気持ちを抱く。
逆に実家の夜は車の音など人工的な音は一切聞こえない。
春~夏はカエルの声。晩夏~秋は虫の声。冬は寒さの中に“シーン”という音にはならない音がある。
これは家族と共に過ごした日々の温かい気持ちを呼び起こす。

物事全てに意味がある!という話を良く耳にするが、記憶が蘇る事にも意味があるのだろうか。
自分への戒めだったり、癒しだったりと成長する為にはとっても必要なものなんだろうな。
何だか病んでいるみたいな本日のブログ。決してそうではありません。
反対に久しぶりにゆっくり過ごしてぼんやりした結果のブログでした。