goo blog サービス終了のお知らせ 

“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

広瀬すず&山崎賢人カップル、天中殺の中での別れをプラスに変える!

2025年03月25日 10時33分33秒 | Weblog
今年に入って女優の広瀬すずさんが主演した
ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』を毎週楽しみに視聴していました。
それというのも、今回のドラマでは
久々に広瀬すずさんが生き生きとしていて輝いて見えたからです。

私は広瀬すずさんは若手女優の中でも
ピカイチの美貌と才能を持つ女優さんだと思ってきました。
その存在感はある面昭和の吉永小百合さんや平成の宮沢りえにも匹敵するほどであり、
まさしくこの令和という時代に名を残していくような
若手女優だといっても過言ではないと思います。

ところが、そんな広瀬すずさんもこのところちょっと元気がないというか、
かつての天真爛漫なはつらつさがいつのまにか影をひそめてしまった感がありました。
といっても、彼女はコンスタントにドラマには出ているし、
CMの露出も多いのになぜでしょう?
彼女が齢を取ったからという声もありますが、広瀬さんはまだ26歳ですよ。

私は広瀬さんの勢いに陰りが見えるように思えた背景には、
逆に広瀬さんにぴったりくるような、
彼女の魅力や持ち味を生かすようなドラマや映画などの作品に、
彼女がこのところ恵まれていなかったことに原因があると思っています。

その点、広瀬さんの健在ぶりを示したのが
今回の『クジャクのダンス、誰が見た?』だったといえると思います。

ところが、その一方で、今回のドラマの終わりに合わせたかのように、
広瀬さんと結婚間近とまでいわれた恋人の俳優・山崎賢人さんのカップルが、
昨年の秋ごろ破局していたという報道が流れました。

実は、おふたりの破局――それは十分に予想できたことでした。
なぜなら広瀬すずさんと山崎賢人さんはともにいま天中殺に入っているからです。

◇広瀬すず(1998年6月19日生まれ/26歳)
  丁 戊 戊        調舒星 天極星
辰 酉 午 寅 申  禄存星 鳳閣星 石門星
巳 ――――― 酉  天貴星 調舒星 天禄星
天 辛 己 丙 天 
中   丁 戊 中
殺     甲 殺

◇山崎賢人(1994年9月7日生まれ/30歳)
  丙 壬 甲        龍高星 天庫星
辰 申 申 戌 申  禄存星 禄存星 鳳閣星
巳 ――――― 酉  天胡星 車騎星 天胡星
天 庚 庚 戊 天 
中 戊 戊 辛 中
殺 壬 壬 丁 殺

広瀬すずさんと山崎賢人さんはいま年運天中殺中の辰巳天中殺。
結婚間近とまでいわれていたふたりなのに破局してしまったのも
ふたりが天中殺だからに違いありません。

もともとこのふたりの相性はとても良好です
同じ辰巳天中殺同士ですから好不調の波動は大きいものの、
波長が合うし気楽に楽しくつきあえる関係です。
お互いの結婚観も禄存星で一致、
宿命に生日天中殺を持つので余計なジャマを入れないで
ふたりだけで人生を築いてゆけるならばベストな相手といえます。
とはいえ、それほどまでに相性が良いふたりであっても、
結婚ではなく交際の継続でもなく別れを選んだのです。
いったいふたりの間になにがあったのでしょう。

実は、プライベートでのこうした別れがあったことで、
逆にふたりにとってはこの先の仕事運が
大きく伸びていくきっかけになるともいえるのです。
以下は広瀬すずさんと山崎賢人さんの【大運】です。
おふたりとも現在〈陽転〉すると仕事運が伸びるといわれる〈大運天中殺〉に入っています。

【広瀬すずさんの大運】
(初旬) 4歳~丁巳 貫索星・天将星※大運天中殺 西方大半会
(2旬)14歳~丙辰 石門星・天堂星※大運天中殺 
(3旬)24歳~乙卯 龍高星・天胡星※大運天中殺 
(4旬)34歳~甲寅 玉堂星・天極星※大運天中殺
(5旬)44歳~癸丑 車騎星・天庫星※大運天中殺
(6旬)54歳~壬子 牽牛星・天馳星※大運天中殺
(7旬)64歳~辛亥 禄存星・天報星
(8旬)74歳~庚戌 司禄星・天印星

広瀬すずさんは(初旬)から正規大運天中殺に入っていて、
その(初旬)の西方に大半会があるため、
大運天中殺が繰り下がり
(6旬)が終わる63歳まで大運天中殺現象が及ぶ非常に仕事運の強い人。

【山崎賢人さんの大運】
(初旬) 6歳~癸酉 司禄星・天極星 
(2旬)16歳~甲戌 車騎星・天庫星※大運天中殺 
(3旬)26歳~乙亥 牽牛星・天馳星※大運天中殺 
(4旬)36歳~丙子 龍高星・天報星※大運天中殺
(5旬)46歳~丁丑 玉堂星・天印星
(6旬)56歳~戊寅 貫索星・天貴星
(7旬)66歳~己卯 石門星・天恍星
(8旬)76歳~庚辰 鳳閣星・天南星

一方、山崎さんも(2旬)から「甲戌」の日座冲殺干支が回っているので
(4旬)まで大運天中殺現象が及ぶこれまた仕事運の強い人です。

と、問題はそこなんですが…

運勢というのは皮肉なもので
プライベートと仕事はシーソーのような対極の関係になっていて、
とりわけ〈大運天中殺〉の中では、プライベートでつらい別れがあったりすると、
プライベートの対極にある仕事の運が逆にぐーんと上がったりすることがあるのです。

そんな運命の法則からすると…

今回の破局は女優・広瀬すず、俳優・山崎賢人にとって、
この先彼らをさらにふたりが大きく飛躍していくきっかけになるような気がします。

とはいえ、いまは年運の天中殺、決まっている仕事を粛々とこなしていくのみです。
広瀬さん、山崎さん、頑張ってください。


さて、渋谷の父では皆様から鑑定のお申込みをお待ちしています。

☆鑑定のお申込み&お問い合わせ、また占い教室のお問い合わせなどは
 下記のホームページから入ってください。
渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”

☆通常の対面鑑定はもちろん
メール鑑定およびskype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定もお受けしております。

☆ホームページでうまく予約できない場合は、
  電話(03-6416-9045)か メール harry.tanishi@gmail.com までご連絡ください。

【算命学私論】なぜ2011年に東日本大震災が起きたのかの算命学的推論

2025年03月12日 13時03分55秒 | Weblog
2011年になぜあのような未曾有の大地震が起きたのでしょうか?

この理由については次のような推論が成り立つのをご存じでしょうか?

1990年(平成2年)に亡くなられた算命学の宗家・高尾義政氏は、
1985年に出版した著書『悠久の軍略』の中で、
1つの国家の時代の流れは、
その国の憲法が施行された年を起点として10年ずつ、
自然界五行の流れに沿って、

西→北/動乱期(闘争心が台頭する10年/攻撃本能)
 ⇓
北→東/教育期(物事を学びたくなる10年/習得本能)
 ⇓
東→南/平和期(今までのものを守る10年/守備本能)
 ⇓
南→中央/庶民台頭期(自由な意見や考えを押し出す10年/伝達本能)
 ⇓
中央→西/権力期(権力の意識が高まる10年/引力本能)
 ⇓
(再び)動乱期へ

――という具合に50年のサイクルで時代は一周するとし、
その最初の一周を陽の50年、次の一周を陰の50年として、
時代は100年で成立するとしています。

この考えに基づけば、現行の日本国憲法が施行されたのは1947年(昭和22年)ですから、
戦後の我が国の時代の流れは1947年を起点に1996年までの50年を一週目の陽の50年とし、
1997年から二週目の陰の50年に入り、今年2025年は〈平和期〉の9年目にあたります。

一方、この50年のサイクルのうち〈教育期〉のほぼ中間の時期に、
あたかも〈動乱期〉の再来ではないかというようなパニック的な現象が起きるとしています。
このパニック的な現象を北東と南西を結ぶ〈鬼門ライン〉を渡ることから《鬼門通過現象》と呼びますが、
日本の場合、一週目の陽の50年の中で起きた《鬼門通過現象》が1960年の日米安保闘争であったとしています。

そして、この〈鬼門ライン〉を越えると、
時代はそこから陽のサイドに入り、世の中は次第に明るくなっていき、
〈教育期〉から〈平和期〉へ、〈平和期〉から〈庶民台頭期〉と好景気の時代が訪れます。

ところが、この〈庶民台頭期〉の10年が終わると、
時代は中央で半陰半陽の〈鬼門ライン〉を越えて再び陰のサイドに入り、
ここから〈権力期〉の10年に入ってしまうわけです。
〈権力期〉は庶民が富を得る時代ではなく官僚や政治家など権力を持つ者が跋扈する時代です。

ということは、この〈庶民台頭期〉から鬼門ラインを越えて
〈権力期〉に入る時こそがポイントで、
それまでの〈庶民台頭期〉の好景気に浮かれていると、
人々はこの〈権力期〉の中で突然奈落の底に落ちてしまうのです。

この悪しき前例こそが前回1987年から始まった〈権力期〉の中のバブル経済であり、
1990年に突然はじけ飛んだバブル崩壊のパニックなのです。

ちなみに、算命学の宗家・高尾義政氏は
はからずもこのバブルが崩壊した1990年に亡くなりましたが、
それより前の1985年に前出の著書『悠久の軍略』の中でこのバブル崩壊を予言しています。

こうして1996年に〈権力期〉が終わって1997年から〈動乱期〉の10年が続き、
2007年から〈教育期〉の10年に入りました。

そして、いよいよこの〈教育期〉の半ばで
我々は再び〈鬼門ライン〉を踏み越えなければならなかったわけですが、
この〈教育期〉の中ほどにあたる2011年に起きた《鬼門通過現象》こそが、
奇しくも日本列島の〈表鬼門〉にあたる
三陸地方を襲った東日本大震災といえるのではないでしょうか。

ちなみに東日本大震災とあの大津波が起きた2011年の年干支は「辛卯」、
月干支も同じく「辛卯」の〈律音〉でした。

このように運命の偶然というか奇妙なめぐりあわせというべきか、
世の中には我々の想像を超えるような不思議な出来事が時として起こります。
こうした時間と空間のはざまで起きる自然現象を
私は算命学者としてこれからも命ある限り読み続けてまいりたいと思います。


さて、渋谷の父では皆様から鑑定のお申込みをお待ちしています。

☆鑑定のお申込み&お問い合わせ、また占い教室のお問い合わせなどは
 下記のホームページから入ってください。
渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”

☆通常の対面鑑定はもちろん
メール鑑定およびskype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定もお受けしております。

☆ホームページでうまく予約できない場合は、
  電話(03-6416-9045)か メール harry.tanishi@gmail.com までご連絡ください。

【算命学私論】桃太郎伝説とともに東日本大震災で得た教訓を忘れずにいよう!

2025年03月11日 12時00分58秒 | Weblog
今日3月11日はあの東日本大震災が起きた忘れられない日。

14年前の2011年3月11日14時46分、
宮城県牡鹿半島の東南東130㎞付近を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生、
その直後、地震による大津波が東北から関東の太平洋沿岸に押し寄せ、
死者15,900人、行方不明者2,520人(2024年3月現在)という甚大な被害を及ぼしました。
忘れもしません、そして、決して忘れてはいけない大惨事です。

地震発生時、私は東京・浜松町の文化放送8階の会議室で、
この2日後の3月13日の生放送の番組の打ち合わせ中でした。
突然襲ってきた激しい揺れに驚き、何が起きたのかと窓の外を見ると、
JRの線路をはさんだ向こう側にある浜サイトの高層ビルが
まるで振り子のように左右に大きく揺れていたのをいまでも鮮明に記憶しています。

それにしてもなぜあの日あの時あのような未曽有の大地震が起きたのでしょう?

これは一つの推論、いや暴論ともいえるので
不快に感じた場合は聞き流していただきたいのですが、
先日の岩手県大船渡市の山林火災の折に書いたブログでも述べたように、
東北地方の太平洋側は日本の地図上でいうと北東、丑寅(艮)の方角、
すなわち〈表鬼門〉の方位にあたっているからという見方ができます。

もともと〈十二支〉とは「子(ねずみ)」から「亥(いのしし)」までの12種類の動物を並べたものではなく、
本来は〈時間〉と〈方角〉をいいます。

たとえば〈十二支〉をアナログの時計と重ね合わせ、
「子」=0時(12時)、「丑」=1時、「寅」=2時、「卯」=3時…という順にあてはめていくと、
「子」は方角的に北、「卯」は東、その間の「丑」と「寅」の真ん中が「丑寅(艮)」、北東の方位となります。
また、この北東と180度対極となる「未」と「申」の中間が「未申(坤)」、南西の方位となります。

古来、日本ではこの北東の方位を〈表鬼門〉、南西の方位を〈裏鬼門〉といい、
この北東と南西を結んだ線を〈鬼門ライン〉といって、
風水や家相では鬼が入ってきて出ていく不吉な方位とされてきました。

ここでちょっと唐突ですが、昔話の『桃太郎』の話をします。
桃太郎を十二支の動物でいうと、
アナログの時計の11時にあたる「亥(いのしし)」になります。
なぜなら桃太郎=「亥」は後ろに「戌(いぬ)」と「酉(きじ)」と「申(さる)」を従え、
みんなのリーダーとして先頭を“猪突猛進”していく勇敢な少年だからです。
同時に、桃太郎は桃の木でできた「亥」ですから、
桃太郎はみんなの「核」になっているいわば「核弾頭」的存在、
桃太郎の一行はまさに核ミサイルともいうべき戦う集団だということになります。

一方、陰陽五行でいうと、「亥」は陰の水性、すなわち小さな川を意味します。
つまり、小川を流れてきた桃をおばあさんが割ると、
その中の「核」にいたのが桃太郎ということになるわけです。

やがて成長した桃太郎=「亥」は「戌」「酉」「申」を従えて川を下り海へ向かいます。
十二支でいうと「亥」が小さな川を意味するのに対し12時の「子」は陽の水性で海になります。

そして、「子」=海を渡ると、そこには「丑」=陰の土性、平地があるので上陸をします。
そこには「丑」のようなツノを持ち「寅」のようなキバが生えて「寅」の皮のパンツを穿いた鬼がいる
まさしく鬼ヶ島で、この中央を横断しているのが〈鬼門ライン〉というわけです。

すなわち『桃太郎』の昔話とは、「亥」の化身である桃太郎が、「戌」「酉」「申」を従えて海を渡り、
「丑寅(鬼)」を退治し、見事、桃の節句の卯月(3月)に花を咲かせるというお話なのです。

このように『桃太郎』の武勇伝にたとえられるがごとく、
一般的には、鬼門の災いを防ぎ、晴れて春を迎えるために節分に豆まきをするわけです。

ところが、ひとたび桃太郎にたとえた“人間”と鬼にたとえた“自然”とのバランス(均衡)がくずれると、
東日本大震災のような巨大なエネルギーの氾濫が起きてしまうのです。

実は、この話には続きがあります。
明日のブログでは2011年になぜ東日本大震災が起きたのかの算命学的な推論を行ってみたいと思います。


さて、渋谷の父では皆様から鑑定のお申込みをお待ちしています。

☆鑑定のお申込み&お問い合わせ、また占い教室のお問い合わせなどは
 下記のホームページから入ってください。
渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”

☆通常の対面鑑定はもちろん
メール鑑定およびskype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定もお受けしております。

☆ホームページでうまく予約できない場合は、
  電話(03-6416-9045)か メール harry.tanishi@gmail.com までご連絡ください。

【算命学私論】運命の不思議?! 渥美清さんとフーテンの寅さんは同一人物だった!

2025年03月10日 14時40分41秒 | Weblog
今日3月10日は1998年8月4日に68歳でこの世を去った名優・渥美清さんの誕生日、
今でもお元気ならば渥美さんは今日で満97歳の誕生日を迎えていたことになります。

その渥美清さんといえばフーテンの寅さん、フーテンの寅さんといえば渥美清さん、
長い映画の歴史の中で主人公とそれを演じた役者とがこれほど表裏一体となった例はほかにはありません。

渥美清さんは1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現・台東区)で生まれました。
こちらが渥美さんの宿命です。

◇渥美清(1928年3月10日生まれ/享年68)
  己 乙 戊       石門星 天堂星
寅 酉 卯 辰   鳳閣星 車騎星 車騎星
卯 ―――――   天貴星 車騎星 天胡星
天 辛 乙 乙  
中     癸 
殺     戊 


上記の渥美清さんの命式を見るとびっくり!
この宿命はどこから見てもフーテンの寅さんの宿命そのものだからです。

陽占の中央と東方と南方の星は車騎星。
車騎星の「車」はまさに「車寅次郎」の「車」、
つまり渥美さんの宿命はどこを切っても金太郎飴のように「車寅次郎」なのです。
また、北方には石門星があるので誰とでも仲良くなれる人、
南方には鳳閣星があるので自由でほがらかで楽しい人。
どうです、これってまさしく寅さんそのままじゃないでしょうか。
 
陰占を見ると、これまた「寅次郎」そのままに寅卯天中殺。
宿命に生月天中殺があるので家からはみだし、
母の干(母星)がないので母親の縁が薄く20歳までに母の元を離れて旅に出る…
天剋地冲があるので身勝手だがカリスマ的な魅力を持つ人。

これで龍高星や天恍星があれば
まさに完璧な”フーテンの寅さん”だったといえるでしょう。

ちなみに、『男はつらいよ』シリーズの原作者である山田洋次監督は
”車寅次郎”の生年月日を1940年11月29日生まれとしています。
そんなフーテンの寅さんの宿命がこちらです。

◇車寅次郎(1940年11月29日生まれ/85歳)
  丙 丁 庚       禄存星 天南星
申 子 亥 辰   牽牛星 車騎星 鳳閣星
酉 ―――――   天報星 石門星 天馳星
天 癸 壬 戊  
中   甲 乙 
殺     癸  

本物(?)の寅さんもやっぱり陽占の中央は車騎星。
渥美さんと同じで社交的な石門星と自然体の鳳閣星を持っている…
とはいえ私たちが知っている”フーテンの寅・車寅次郎”はこちらの本物よりも、
渥美清さんの中にあるような気がします。
不思議でしょう? 奇しくも本人が主人公と同一化した稀有な例だといわざるをえません。


さて、渋谷の父では皆様から鑑定のお申込みをお待ちしています。

☆鑑定のお申込み&お問い合わせ、また占い教室のお問い合わせなどは
 下記のホームページから入ってください。
渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”

☆通常の対面鑑定はもちろん
メール鑑定およびskype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定もお受けしております。

☆ホームページでうまく予約できない場合は、
  電話(03-6416-9045)か メール harry.tanishi@gmail.com までご連絡ください。

84歳になった徳光和夫さんに見る生年月日が2つある人の運勢比較

2025年03月03日 17時18分53秒 | Weblog
よく誕生日(出生日)がふたつあるという人がいます。
1つは実際に生まれた日で、もう1つは戸籍上の誕生日、
こういうふたつの誕生日を持つ人の場合です。

実は、あの徳光和夫さんも実際に生まれた日と戸籍上の誕生日のふたつの誕生日を持つ人。
徳光さんが実際に生まれたのは1941年(昭和16年)3月3日のこと、
つまり今日「桃の節句」は徳光さんの満84歳の実際の誕生日なのです。

ところが、徳光さんが生まれた当時は
この9か月後に太平洋戦争に突入するという軍事色の非常に強い時代、
そのような時代に女の子のお祭りの日に生まれたとあっては
わが子が元気にたくましく育つわけがないし、
よその子からかわれてしまうと思った徳光さんのお父さんが
出生日を1週間ずらし3月10日生まれにして届けたということです。
ちなみに3月10日は昔でいう「陸軍記念日」という勇ましい記念日だったからなんです。
  
私と徳光さんは1979年に始まった日本テレビ系『ズームイン!朝!!』での出会い以来、
数々の番組で仕事をご一緒させていただくとともに、
甲子園球場へ高校野球を観戦に行ったり海外旅行へ行ったりと親しくおつきあいさせていただきました。

さて、一般に実際の出生日と戸籍上の出生日がある場合、
占いではどちらの生年月日を優先するのかというと、
これは明らかに実際の出生日ということになります。

なぜなら徳光さんの場合でいうと
〈1941年3月3日〉という〈時間〉と〈空間〉の中で
《徳光和夫》という〈命〉が誕生したわけですから、
その日を〈宿命〉と〈運命〉の起点にしなくてはいけないわけです。

ただし人によってごくまれにちょうど午前零時をまたいだところで生まれたので、
正確にはどっちの日かわからないという人もいます。
そういう場合は両方の日の命式を出して比べることもあります。

さて、徳光和夫さんの場合1週間生まれた日が違うと宿命はどう変わるかを比較してみましょう。
まずは1941年3月3日生まれの場合。

◇徳光和夫(1941年3月3日生まれ/84歳)
  庚 庚 辛       石門星 天貴星
寅 戌 寅 巳   龍高星 禄存星 車騎星
卯 ―――――   天堂星 貫索星 天馳星
天 戊 甲 丙  
中 辛 戊 戊 
殺 丁 丙 庚 

徳光さんの宿命の概要は以下のようなものです。

※寅卯天冲殺(跡継ぎ運)
 長男に生まれ、お父さんと同じ日本テレビに入社しました。
 ただ制作ディレクターではなくアナウンサー。
※陽占の中央の十大主星は愛情奉仕と回転財の禄存星。
 心が温かくて面倒見が良い太っ腹な人気者。
 競馬で大穴を当てるとADさんたちにも大盤振る舞いをしてました。
 東に車騎星、勝負事が大好きで、朝から単独行動をし、そそっかしい。
 西には龍高星。夜も神出鬼没でなかなか家にたどり着かない自由人。
 北には気さくでつきあい上手で友達が多い石門星。
 南には貫索星。マイペースで単独行動が多い。
※禄存星と石門星があるので徳光さんのまわりには人が集まるけど、
 お金もどんどん使ってしまう人。
 つきあいは広いくせに車騎星・龍高星・貫索星と単独行動が多い。
※生月冲殺があり、日干支と月干支が大半会なので、
 (よく言えば)考え方も行動も枠にはまらず、組織からはみ出てしまう。
※唯一不思議で意外なのは、アナウンサーにしては
 みのもんたさんや小倉智昭さんと違って伝達本能の鳳閣星がない。

以上の宿命分析を見る限りは徳光和夫さんは1941年3月3日生まれで合っているようです。
次に、もし1941年3月10日生まれだったらどんな宿命だったでしょう?

◇徳光和夫(1941年3月10日生まれ/84歳)
  丁 辛 辛       禄存星 天将星
子 巳 卯 巳   調舒星 龍高星 調舒星
丑 ―――――   天将星 禄存星 天胡星
天 戊 乙 戊  
中 庚   庚 
殺 丙   丙  

※子丑天冲殺(初代運)
※陽占の中央の十大主星は放浪と改革の星・龍高星。
 じっとしているのが苦手で自由で神出鬼没なところは龍高星的ではありますが…
 東と西に繊細で神経過敏な調舒星。調舒星的な細かさもありますが、
 どちらかというと鳳閣星のようなおおらかでややずぼらの面が顕著です。
 北と南は禄存星。とにかく非常にやさしい面倒見の良い人。

結論からいうと、徳光さんの宿命はどう見ても1941年3月3日生まれのほうだと断言できます。

ということで、最後に1941年3月3日生まれの徳光さんの【大運】を見てみましょう。

【大運】
(初旬) 9歳~己丑 玉堂星・天庫星 
(2旬)19歳~戊子 龍高星・天極星※変剋律大運
(3旬)29歳~丁亥 牽牛星・天胡星※変剋律大運 
(4旬)39歳~丙戌 車騎星・天堂星※変剋律大運
(5旬)49歳~乙酉 司禄星・天将星
(6旬)59歳~甲申 禄存星・天禄星
(7旬)69歳~癸未 調舒星・天南星
(8旬)79歳~壬午 鳳閣星・天恍星


9歳から始まる【9歳運】で、(初旬)の大運は玉堂星大運。
お母さんの愛情を一身に受けてまじめに勉強します。
きっと成績も良かったと思います。

19歳からの(2旬)は龍高星大運。
おそらく長嶋茂雄さんに憧れて立教大学に入った頃から
お得意の見たり聞いたり試したりの放浪性が強くなったのかもしれませんね。
この龍高星大運の中で日本テレビにアナウンサーとして入社。

1969年、28歳の時から『NTV紅白歌のベストテン』が始まりました。
まさに(3旬)の出世大運、牽牛星大運に入る時ですね。
この牽牛星大運の中で日本テレビの看板アナウンサーと呼ばれるようになります。

1979年、38歳の時、『ズームイン!朝‼』のキャスターに抜擢されました。
ちょうど(4旬)の車騎星大運に入る時ですね。
この10年は忙しく休めない10年ですが、自分の生き方に自信が出る10年です。

そして、1989年、48歳で日本テレビを退社し独立。
テレビ東京で独立後初のレギュラー番組『徳光のTVコロンブス』を始めました。
奇しくも49歳からは(5旬)の司禄星大運に入り、
ここでしっかり財を築いていくわけです。

こう見ると、徳光さんの人生はまさに宿命通りに流れているといっても間違いではありません。

しかして今日で84歳になった徳光さんにはいま79歳からの鳳閣星大運の中にあります。
のんびりおおらかな鳳閣星大運の中ですからまさに悠々自適、
無理をせずおおらかにのんびりと好きなことを楽しむ人生、
そういう生き方に徹すれば徳光さんはまだまだ長生きをしていくことでしょう。

徳光さん、どうかお元気で、たまに一緒に遊んでください。


さて、渋谷の父では皆様から鑑定のお申込みをお待ちしています。

☆鑑定のお申込み&お問い合わせ、また占い教室のお問い合わせなどは
 下記のホームページから入ってください。
渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”

☆通常の対面鑑定はもちろん
メール鑑定およびskype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定もお受けしております。

☆ホームページでうまく予約できない場合は、
  電話(03-6416-9045)か メール harry.tanishi@gmail.com までご連絡ください。

追悼! みのもんたさんの苦闘時代の想い出!

2025年03月02日 10時42分52秒 | Weblog
みのもんたさんが亡くなられました。

みのさんといえば日本テレビ系「午後は○○おもいッきりテレビ」や
TBS系「みのもんたの朝ズバッ!」などの司会で知られ、
”世界一多忙な司会者”とギネス認定された
まさに「ミスターテレビ人間」のような人でしたが、
実はそのルーツは文化放送の局アナとしてスタートした根っからの”ラジオ人間”でした。

ところが、みのさんの訃報を伝えるどのニュースや記事を見ても
あまり文化放送の局アナ時代のことにふれたものがありません。
そこで、若き日のみのさんを知る一人として
その当時のことに少しだけふれておきたいと思います。

その前に、私自身のことを簡単に説明しておきます。
60年代から70年代にかけてのテレビの全盛期に育った私は、
青島幸雄さんや大橋巨泉さん、永六輔さん、野坂昭如さん、野末陳平さんらに憧れて
当時”マスコミの登竜門”のようにいわれていた早稲田大学に進み、
青島さんたちのようなクリエーターとなるきっかけを求めて、
大学時代から当時早稲田のOBがあふれていたラジオの文化放送に出入りし
かけだしの放送作家として早朝や深夜の番組の構成を担当させてもらっていました。

そんな私が文化放送で物書きのスタートさせた当時のみのさんは
すでに若くして文化放送の看板アナでした。
みのさんは1967年に入社し、
69年から始まった深夜放送『セイ!ヤング』の
初代パーソナリティーの一人として人気を集め、
70年に退社した立教の先輩・土居まさるさんに代わる
文化放送のエースといわれていました。

当時からみのさんはペラペラペラペラとにかくよくしゃべる人でした。
私は50年にわたる放送業界での仕事において、
徳光和夫さんや小倉智昭さん、古館伊知郎さんらとも仕事を共にしてきましたが、
マイクがオンでもオフでも変わりなくしゃべっているという点においては
みのさんの右に出る者はいないと思います。
というか、家業が水道のメーター屋さんというわけではないでしょうが、
みのさんは壊れた水道の蛇口のようにおしゃべりをたれ流し続けることができる
まさに”アドリブの天才”でした。

なにしろみのさん場合、ライターが構成台本を書かなくても
リスナーのはがき1枚で1時間以上話し続けらるのです。
「続いては◌◌県●●市の✕✕さんからいただいたおはがき……
あ、●●市といえばさ、ここの駅前の小道を入ったところにいい飲み屋さんがあるのよ。
ちょっと寄りたくなってつい長居したくなるような小粋な割烹料理屋さん、
そこにぞくっとするくらい色気があって、それでいて品がある女将がいるんだ…」
といった具合に次から次へとコロコロ話が流れていく。
「で、どこまで言ったっけ? あ、まだはがき読んでない、あ、そう」みたいな感じ…
まさにそのアドリブ満載の出たとこ勝負のしゃべりはいかにもラジオ的で秀逸でした。

私が文化放送で仕事を始めた頃のみのさんは
毎週月~金の夜『みのもんたのワイドNO1』という番組を担当していましたが、
76年4月からは月~金の昼間の看板番組『ダイナミックレーダー~歌謡曲でいこう!』に移りました。
この頃が局アナとしてのみのさんの絶頂期だったかもしれません。
そして、この番組を2年やって78年4月から
『オレンジ通り五番街』という夜の番組に移りました。

ところが、この頃いったいなにがあったのかわかりませんが、
看板アナ(のはずの)みのさんは突然アナウンス部から営業部に人事異動になってしまったのです。
つまり、アナウンサーとしてはクビの宣告?!
希代のしゃべり屋のみのさんの口にチャックがかけられてしまったのです。
もう気の毒というしかありません。
アナウンサーという専門職で採用され入社し看板アナと呼ばれるまでになりながら
いきなり営業へ異動させられてしまったのですから本人のショックも相当だったろうと思います。

やがて、みのさんが◌島君という子飼いの制作スタッフをつれて
退社するという話が耳に入ってきました。

ただ聞いたところでは、他局で番組が決まっているから退社するというよりは、
けっこう行き当たりばったりでの退社のようでした。

そのせいかその当時廊下ですれ違ったみのさんはこちらが聞きもしないのに、
「いやぁこれからは水道の検針員の仕事するんだ」
と冗談みたいなことを言って笑っていたのを覚えています。

でも、その話は半分は本当だったのです。
いまでこそすっかり有名になりましたが、
みのさんの実家はニッコクという
日本でも1,2といわれる水道のメーターの製造・販売の会社。
そのため、アナウンス部から営業に異動になったみのさんは
けつをまくっていきおいで退社してしまったものの、
すぐにはアナウンスの仕事が来なかったために、
家業の手伝い(?)でしばらく生計を立てていたようです。
おそらくこの時期がみのさんにとって
生涯で最もつらく苦しい時期だったのではないでしょうか。

しかしそんなみのさんはほどなく文化放送と同じフジ・サンケイグループである
フジテレビの『プロ野球ニュース』でちょこちょこっとテレビの仕事を始めました。

そして、ここからみのさんの逆襲、いや大進撃が始まるわけですが…
私がみのさんのストーリーについて書くのはここまでにしておきます。

なぜならば、テレビの世界で露出を増やしていってからのみのさんについては
多くのタレントさんや関係者の方が語っているので…

なので、この先は占い師らしくみのさんの宿命と運命を振り返ってみます。


◇みのもんた(1944年8月22日生まれ/80歳)
  戊 壬 甲        車騎星 天胡星
子 午 申 申 午  石門星 鳳閣星 鳳閣星
丑 ――――― 未  天将星 禄存星 天胡星
天 己 庚 庚 天 
中 丁 戊 戊 中
殺   壬 壬 殺

みのもんたさんの宿命の概要は以下のようなものです。

※子丑天冲殺(初代運)
※陽占の中央の十大主星は鳳閣星。
 鳳閣星は直接伝達(話す)の星。
 小倉さん然りアナウンサーの多くは中央に鳳閣星を持っている。
 みのさんはその鳳閣星が東にもある。朝起きた時からずっとしゃべっている人。
 天胡星が2つもあるので芸事に長け、話のスケールが大きくて大風呂敷な傾向。
※西方の石門星+天将星は自分が中心になってみんなでわいわいやるのが好き。
 禄存星があるのでお金に困ることはないが、この石門星のお金にお金も垂れ流し?
※南の禄存星は面倒見が良くて太っ腹、北の車騎星はせっかちで負けず嫌い。
※生日冲殺(親から見ると手がかかる子。結婚運、家庭運波乱)
 
少しだけ大運にふれておきましょう。

【大運】
(初旬) 6歳~癸酉 司禄星・天極星 
(2旬)16歳~甲戌 車騎星・天庫星※大運天中殺
(3旬)26歳~乙亥 牽牛星・天馳星※大運天中殺 
(4旬)36歳~丙子 龍高星・天報星※大運天中殺
(5旬)46歳~丁丑 玉堂星・天印星※大運天中殺
(6旬)56歳~戊寅 貫索星・天貴星
(7旬)66歳~己卯 石門星・天恍星
(8旬)76歳~庚辰 鳳閣星・天南星

6歳から始まる(初旬)の大運は司禄星大運。

16歳からの(2旬)は車騎星大運。
おそらくみのさんは立教高校に入った頃から
活発に動き回る行動的な青春時代を過ごすようになり、
(3旬)の牽牛星大運で仕事運を大きく伸ばしていきます。
はからずも(2旬)(3旬)の大運干支は日座冲殺干支で、
ここより〈大運天中殺〉となります。
〈正規大運天中〉に入る36歳からの(4旬)は龍高星大運が回り、
文化放送に在籍していた当時から環境が一変し、
フリーのタレントして大きく飛躍していきます。

みのさんは80歳で天に召されました。
人生100歳の時代、鳳閣星人間ならば少なくてももっともっと長生きしたはず。残念です。
みのさん、どうぞ安らかに。謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌。


さて、渋谷の父では皆様から鑑定のお申込みをお待ちしています。

☆鑑定のお申込み&お問い合わせ、また占い教室のお問い合わせなどは
 下記のホームページから入ってください。
渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”

☆通常の対面鑑定はもちろん
メール鑑定およびskype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定もお受けしております。

☆ホームページでうまく予約できない場合は、
  電話(03-6416-9045)か メール harry.tanishi@gmail.com までご連絡ください。

【3月の指針】”この春は多くの人と集い、ふれあい、新しいことを始めてみよう”

2025年03月01日 12時36分07秒 | Weblog
3月になりました。
おととい記した岩手県大船渡市の山林火災の被害が拡大し
平成以降で最大の山林火災となっています。
そればかりかこれに呼応するかのように長野県や山梨県でも山林火災が起きています。

なぜ岩手県より始まり、なぜその延焼被害が広がり、
他の地方でも新たな火の手が上がるのか?
今年の元旦に記したブログやおとといのブログにその運命学的要因を綴りました。

ただし、これには決して物理的な理由(わけ)や根拠があるわけではありません。
こんなものでたらめだ、偶然だといわれてもかまいません。
占いとはもともとそういう”目に見えない”ものに根差したもので、
それを信じるか信じないか、そこから判断するしかないのですから。

さて、今月は「己卯」(きぼう/つちのとう)の月です。

十干の「己」は陰の土性で、意味は田園、村、街、広場、家庭など人々が集う生活の場所。
そこから庶民性や地道な努力、蓄積などの意味があります。

十二支の「卯」は陰の木性、これまで閉じていた卯の字は扉が開く様を表し、
ここから新しい分野を切り開き開拓していくこと意味しています。

今年の啓蟄は3月5日から19日、
いよいよ長い冬が明け本格的な春がやってきます。
そこで「己卯」の今月は冬の間閉じこもっていた人も
街に出て人とふれあう時間を持ってはいかがでしょう。
新しいことにぜひ挑戦してみてください。


さて、渋谷の父では皆様から鑑定のお申込みをお待ちしています。

☆鑑定のお申込み&お問い合わせ、また占い教室のお問い合わせなどは
 下記のホームページから入ってください。
渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”

☆通常の対面鑑定はもちろん
メール鑑定およびskype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定もお受けしております。

☆ホームページでうまく予約できない場合は、
  電話(03-6416-9045)か メール harry.tanishi@gmail.com までご連絡ください。