Sennichimae Douguyasuji Shopping Street, Chuo Ward, Osaka City
さてさて、難波の散策を楽しむワタクシですが、いわゆる「千日前」と呼ばれるエリアにやってきました
。

有名なたこ焼き屋さんの前には大行列ができていました。外国人の観光客もたくさんいます。
かつては「欧米人はタコを食べない」と言われていましたが、今はそうでもないんですね
。

ここがかの「なんばグランド花月」です。言うまでもなく吉本興業が運営するお笑い・喜劇専門の劇場ですな。
ワタクシ、何度か新喜劇や漫才を見に訪れたことがあるのですが、テレビとは違って漫才一本のネタが長いので芸人の力量がよくわかります。
ただ、昔の作りの劇場なので椅子が狭いのが欠点。最近の映画館などに慣れていると「狭い座席やなぁ」と思います
。

オール阪神・巨人はいまや重鎮ですね。中川家と海原やすよ・ともこは共に兄弟・姉妹漫才師ですが、
大阪らしい「しゃべくり漫才」の系譜を受け継ぐ素敵な漫才師だなと思います
。

なんばグランド花月のすぐ南には「千日前道具屋筋商店街」があるんです。
この商店街、料理道具・厨房道具のすべてが揃う専門店が軒を連ねるプロ御用達の商店街です。
もちろんワタクシのような料理のど素人でも購入できます
。

業務用の厨房器具や什器(じゅうき)、職人技が光る包丁といった料理道具はもちろんのこと、入口にある看板やのれん、
提灯や食品サンプルだけでなく、食器やユニフォームなど飲食店を営業するにあたって必要なものを
すべて揃えることができるほどの商品の充実ぶりはまさに圧巻の光景です
。

最近では一般の方でも購入しやすいような少数単位での販売(いわゆるばら売り)をおこなっている店舗が多くなったこともあり、
大阪を代表する観光地としても有名になりました。一方で品質の高い日本製の調理道具が揃っていることがSNSや口コミで広がり、
海外からわざわざ購入に訪れるといったケースも珍しくないそうです
。

この商店街ですが、もとは明治15年(1882年)、法善寺の千日前から四天王寺のお大師さんや、十日戎で有名な今宮戎神社への参道として、
古道具屋や雑貨商が立ち並んだことが始まりとされています。大正時代になり数件しかなかった小道具屋が20軒に増え、
問屋・製造業の専門店としての道を歩み始め、いつしか商店街へと発展していったという歴史があるのだそうです
。

ではでは、さらに難波の散策を続けていくとしましょうか。難波はまだまだ見るべき場所がいっぱいありますからね
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
私が子どもの頃、大好きだった漫才師に「夢路いとし・喜味こいし」師匠がいました。
いとし・こいし師匠は漫才をやるにあたって、3つのルールを決めていたんです。
「下ネタを言わない」「客をいじらない」「相方の頭を叩いたりしない」と言うのがルールなんです。
理由は「こんなことしたら素人でも客を笑わすことが出来るやないですか。それはプロやおまへん。
プロは話術だけでお客さんを笑わせなあかんのです」ということです。なんと素晴らしいプロ意識なのでしょう。
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さてさて、難波の散策を楽しむワタクシですが、いわゆる「千日前」と呼ばれるエリアにやってきました



有名なたこ焼き屋さんの前には大行列ができていました。外国人の観光客もたくさんいます。
かつては「欧米人はタコを食べない」と言われていましたが、今はそうでもないんですね



ここがかの「なんばグランド花月」です。言うまでもなく吉本興業が運営するお笑い・喜劇専門の劇場ですな。
ワタクシ、何度か新喜劇や漫才を見に訪れたことがあるのですが、テレビとは違って漫才一本のネタが長いので芸人の力量がよくわかります。
ただ、昔の作りの劇場なので椅子が狭いのが欠点。最近の映画館などに慣れていると「狭い座席やなぁ」と思います



オール阪神・巨人はいまや重鎮ですね。中川家と海原やすよ・ともこは共に兄弟・姉妹漫才師ですが、
大阪らしい「しゃべくり漫才」の系譜を受け継ぐ素敵な漫才師だなと思います



なんばグランド花月のすぐ南には「千日前道具屋筋商店街」があるんです。
この商店街、料理道具・厨房道具のすべてが揃う専門店が軒を連ねるプロ御用達の商店街です。
もちろんワタクシのような料理のど素人でも購入できます



業務用の厨房器具や什器(じゅうき)、職人技が光る包丁といった料理道具はもちろんのこと、入口にある看板やのれん、
提灯や食品サンプルだけでなく、食器やユニフォームなど飲食店を営業するにあたって必要なものを
すべて揃えることができるほどの商品の充実ぶりはまさに圧巻の光景です



最近では一般の方でも購入しやすいような少数単位での販売(いわゆるばら売り)をおこなっている店舗が多くなったこともあり、
大阪を代表する観光地としても有名になりました。一方で品質の高い日本製の調理道具が揃っていることがSNSや口コミで広がり、
海外からわざわざ購入に訪れるといったケースも珍しくないそうです



この商店街ですが、もとは明治15年(1882年)、法善寺の千日前から四天王寺のお大師さんや、十日戎で有名な今宮戎神社への参道として、
古道具屋や雑貨商が立ち並んだことが始まりとされています。大正時代になり数件しかなかった小道具屋が20軒に増え、
問屋・製造業の専門店としての道を歩み始め、いつしか商店街へと発展していったという歴史があるのだそうです



ではでは、さらに難波の散策を続けていくとしましょうか。難波はまだまだ見るべき場所がいっぱいありますからね


使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
私が子どもの頃、大好きだった漫才師に「夢路いとし・喜味こいし」師匠がいました。
いとし・こいし師匠は漫才をやるにあたって、3つのルールを決めていたんです。
「下ネタを言わない」「客をいじらない」「相方の頭を叩いたりしない」と言うのがルールなんです。
理由は「こんなことしたら素人でも客を笑わすことが出来るやないですか。それはプロやおまへん。
プロは話術だけでお客さんを笑わせなあかんのです」ということです。なんと素晴らしいプロ意識なのでしょう。