Okitsu, Tsu City, Mie Pref.
さてさて、三重県津市の旧美杉村にやって来たワタクシなのですが、伊勢奥津駅を訪ねた後は
駅から歩いて奥津(おきつ)の集落を訪ねることにいたしました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/f2/4badfae12f3c919adc1db4d73f545ad8.jpg)
伊勢奥津駅前にはバス停があり、時刻表を見ると悲しいくらいに本数が少ないんですよねぇ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/9b/9d9190883faa093f603c7097646551a8.jpg)
とはいえ、8時59分伊勢奥津駅着の下り一番列車に合わせて、数少ないバスが接続しておりました。
そして、このバス停から南に向かって少し歩いて行くと、伊勢本街道に出るんですよ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/21/fb2890ed0a59d8cde9a50b2ec4a4935b.jpg)
皆さんもご存知のように、日本の各方面から伊勢神宮への参拝道として数多くの街道が整備されたました。
その中で大阪の玉造から伊勢に至る街道が伊勢本街道と呼ばれるんですよ。
ルートは下の地図を参考にしてくださいね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a4/6915cdf143a2beb233013918615c6c73.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c8/d234a8490be9222534a24e43c4ef5824.jpg)
庶民にとって伊勢神宮参拝が最大の楽しみであった江戸時代から明治時代末頃まで、
奥津は宿場町としてかなりの賑わいであったようです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yaho.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/55/5bad6b05b664638695c6629410e1c91b.jpg)
かの有名な十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は江戸から伊勢、京を訪れる道中記ですが、
大阪や奈良からも、この宿場町を通って多くの人が伊勢を目指したのでしょうね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/df/eaad34fed4898ee3f99583ebff2b7df7.jpg)
奥津宿にはは旅籠がたくさんありました。今では古い屋号のある家が玄関に工夫を凝らした暖簾をかけています。
「おもてなし」の気持ちを表すため、まちおこしの一環で、始められたそうです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_suki.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d7/e9d8ccfc25e98a189b639c5a30e0c730.jpg)
決して古民家が立ち並んでいるわけではありません。ですので、観光地としての価値は大きくは無いでしょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c6/6dc6bff11e55823a2e086e958e57875a.jpg)
しかし、初めて訪れた奥津宿は温かみを感じる、穏やかな宿場町風情が漂っておりました。
ワタクシ、けっこうこの場所が気に入ったんですよ
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
三重県というと東海地方に属するのですが、地域によってかなり文化が違うように感じます。
四日市や桑名のあたりに行くと、あきらかに名古屋を中心とした中京文化圏だなぁと思います。
ところが、尾鷲あたりに行くと紀州というか、和歌山に近い感じを受けるんです。
奥津の人と会話を交わすと、イントネーションが関西弁と同じような印象を受けました。
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さてさて、三重県津市の旧美杉村にやって来たワタクシなのですが、伊勢奥津駅を訪ねた後は
駅から歩いて奥津(おきつ)の集落を訪ねることにいたしました
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伊勢奥津駅前にはバス停があり、時刻表を見ると悲しいくらいに本数が少ないんですよねぇ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
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とはいえ、8時59分伊勢奥津駅着の下り一番列車に合わせて、数少ないバスが接続しておりました。
そして、このバス停から南に向かって少し歩いて行くと、伊勢本街道に出るんですよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/21/fb2890ed0a59d8cde9a50b2ec4a4935b.jpg)
皆さんもご存知のように、日本の各方面から伊勢神宮への参拝道として数多くの街道が整備されたました。
その中で大阪の玉造から伊勢に至る街道が伊勢本街道と呼ばれるんですよ。
ルートは下の地図を参考にしてくださいね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
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庶民にとって伊勢神宮参拝が最大の楽しみであった江戸時代から明治時代末頃まで、
奥津は宿場町としてかなりの賑わいであったようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yaho.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yaho.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/55/5bad6b05b664638695c6629410e1c91b.jpg)
かの有名な十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は江戸から伊勢、京を訪れる道中記ですが、
大阪や奈良からも、この宿場町を通って多くの人が伊勢を目指したのでしょうね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/df/eaad34fed4898ee3f99583ebff2b7df7.jpg)
奥津宿にはは旅籠がたくさんありました。今では古い屋号のある家が玄関に工夫を凝らした暖簾をかけています。
「おもてなし」の気持ちを表すため、まちおこしの一環で、始められたそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_suki.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_suki.gif)
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決して古民家が立ち並んでいるわけではありません。ですので、観光地としての価値は大きくは無いでしょう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c6/6dc6bff11e55823a2e086e958e57875a.jpg)
しかし、初めて訪れた奥津宿は温かみを感じる、穏やかな宿場町風情が漂っておりました。
ワタクシ、けっこうこの場所が気に入ったんですよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/3hearts.gif)
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
三重県というと東海地方に属するのですが、地域によってかなり文化が違うように感じます。
四日市や桑名のあたりに行くと、あきらかに名古屋を中心とした中京文化圏だなぁと思います。
ところが、尾鷲あたりに行くと紀州というか、和歌山に近い感じを受けるんです。
奥津の人と会話を交わすと、イントネーションが関西弁と同じような印象を受けました。
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明日は、来年の大河に向けて、静岡に取材に出掛けて来ます。
今川氏と家康がメインのプチ旅行です。
応援☆
イスラム教徒がサウジアラビアのメッカに向かって
命がけの巡礼が今も行われ
毎年600人の人がたどりつくまでに
亡くなってるとか。
江戸時代も道中随分の犠牲者がいたんでしょうね。
http://blog.goo.ne.jp/osakasingaku/e/55501dac2dc38819715aca0b0354102e
行った事は有りません 素晴らしい所ですね
皆さんバスでお出掛けでしょうか~
自然の水 冷たさそうで気持良いでしょうね
こちらはまだ梅雨明けシテ無いです
ポチ(*^^*)
現在の三重県側を切り外しましたね
その名残もあるのかも知れない、と思いました
名張市はかつて三重県から奈良県への
移管を望んだことがありましたね
近畿地方に入りたい思いは明治時代に岡山県でもあったと聞いております
風情のある光景ですね(*^_^*)
☆~
ほのぼのとしたところですね、玉造から
伊勢への道、宿場町って名残があると
嬉しくなりますね、綺麗な流れの川があり
癒されますわ、観光地にならない方が
いいですよね、ぽち!!
何回かに分けて
歩いています。
まだ、榛原までですが
この先が大変なので
ストップしたままです。
興津宿いいところですね。
ポチ
住んでいたことが有り、懐かしいです。
まちおこしの暖簾の効果、あるといいですね。
~☆
かつては、宿場町として、賑わってたんですね。
自然もいっぱい残ってて、親しみを感じます。
いい街ですね♪
凸
・暑いでしょうが、お仕事ガンバッテ下さ~い!
此方は梅雨も明け毎日暑い日が続いていますが、お互いに室内にいる時もこまめに水分補給をして過ごしましょ~!
@('_')@生涯学習のつもりで、今日も「三重県津市奥津の旅」で楽しい有意義な一時を居乍らにして過ごさせて頂きました。
またのご紹介を楽しみにお待ちしていま~す!
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!(*^_^*)!今朝は満75歳の誕生日を迎えるに当たり、2回目の四国88ヶ所霊場第75番札所に行って来ましたので、お付き合い頂ければ幸せま~す!
!(^^)!ご覧頂いた感想をお待ちしていま~す!
◇今日も元気で・!それではまた、バイ・バ~イ!