よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

キャンプに行く前に-和歌山県岩出市:根来寺

2024年06月04日 | 和歌山
Negoroji Temple, Iwade City, Wakayama Pref.

さてさて、今年のGWの最後、5月5日〜6日にかけて、ワタクシはいつもの「今では晴れ男さん」とキャンプに行きました。
この日のキャンプ場は和歌山県紀の川市の山あいにあるキャンプ場なのですが、
「キャンプ場に行く前にどこかに立ち寄りたいなぁ」ということになり、
岩出市にある根来寺で美しい新緑を楽しもうと思い、立ち寄ることにしたんですよ


根来寺は新義真言宗の総本山の寺院です。開山は覚鑁(興教大師)で、創建は1130年という歴史のあるお寺です


その後、室町時代末期の最盛期には坊舎450を数え一大宗教都市を形成し、1万余の根来衆とよばれる僧兵軍団を擁しました。
また、根来寺の僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧兵による鉄砲隊が作られたのも有名ですね


戦国時代、大きな勢力を備えた根来寺は、当時の様子を書いた宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にも紹介されています。
しかし、こうした強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は1585年3月に根来に攻め入り、
大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山焼失してしまいました


現在の根来寺は静かな山間に佇み、秀吉を悩ませるほどの勢力を持っていたというのが信じられない思いです。
しかし、広大な境内には素晴らしい建造物が立ち並び、根来寺の力の強さを垣間見る気がします


そうそう、この根来寺は上にも書きましたが新義真言宗の総本山ですが、新義真言宗とはどういう宗派かを説明しますね。
平安時代末期、僧侶の堕落停滞による真言宗没落の危機が発生し、高野山金剛峯寺の高僧だった覚鑁が宗派建て直しの緊急策を敢行します。
しかし現状維持を望む保守派(本寺方・金剛峯寺方)と覚鑁派(大伝法院方)による決定的な対立が発生します。
その結果、覚鑁派は高野山を去り、大伝法院の荘園であった根来に拠点を移します。根来での覚鑁の活動がここにはじまるんですね。
このあたりは企業における保守派と改革派の対立に近いような感じがします


1144年の覚鑁の死後、覚鑁派は再び大伝法院を高野山に戻したが確執は収拾しません。
145年後の1288年、同派の実質的指導者であった頼瑜は門弟を連れて根来山に戻ると共に覚鑁の教義を発展させ、
それまでの教義と一線を画した「新義」を打ち立て新義真言宗が確立するわけです


と偉そうに書いていますが、新義真言宗に関しては今回根来寺を訪れて得た知識ですので、
決して以前から詳しく知っていたわけではありません


ではでは、素晴らしい根来寺の建造物をゆっくりと見ていくとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私はGWに関してはカレンダー通りの休日でしたので、後半が4連休だったんですよ。
5月3日は山の辺の道を歩き、5日と6日は和歌山でキャンプを楽しんだのですから、まあまあ充実した連休だったかなと思います。
仕事はしっかりやりますが、休日は絶対に遊ばないとねぇ。



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