もんくんが不登校になって、しんどい気持ちになったのは本人だけではありません。
彼を見守っている私もだんなさんも、重く苦しい気持ちになりました。
学校に行かないということは、世間一般の普通の暮らしから外れている。
それは、もんくんの将来や幸せに暗雲をもたらすことだ。
そう思うと、どうしても平気ではいられません。
もんくんを叱ったり、なだめたり、いろんな言葉をかけて学校へ行くように促そうとしました。
でも、私はそうしながらも、物語「北風と太陽」の北風のように、そうした一見前向きに聞こえる言葉がもんくんのこころを覆う上着をより強く着こませるというか、彼の気持ちをより暗く重くしているだけの、逆効果にしかならないことを感じていました。
じつは、もんくんの姉、アンも同じように学校に行けない時期があったのです。
私はもんくんが学校に行けなくなったことで、自分のこころの中に「私が育てると学校に行けないこどもになってしまう」という確信を持ってしまうことが怖かった。
私はもともと、どんくさくて、要領が悪くて、学歴もよくありません。
仕事でもうまくいかないことが多々ありました。
バカな私だけど、子供を産んでから精一杯頑張ってきた。でも、その結果がこれ。
そう思うと、情けないやら、申し訳ないやら、自分が育てたのでなければこの子たちはもっと幸せになれたのに、もっと立派に育っていたかもしれないのに、こんなに優しくていい子たちをダメにしてしまった私は存在の価値がないのではないか。
もっと掘り下げると、両親が離婚している私は、自分こそは温かく幸せな家庭を持とう、私の子供はもっと幸せにしようとこころに決めていたので、そうできない私はなんて愚かなんだろうという気持ちに日々苛まれるようになっていたのです。
こんなネガティブな気持ちを友達にぶつけても、友達は迷惑するだけ。
そう思うと誰にも打ち明けることができず、ひとりで悶々と過ごすばかり。
仕事中でも泣けてきて、業務が手につきません。
仕事をミスを連発して、ますます自分はダメなやつだという気持ちが強くなりました。
もんくんが学校に元気に通っていた頃は、若々しいねと言われていた私でしたが、この半年で髪はたくさん抜けて白髪が増えて、表情も重苦しく、すごく老けてしまいました。
こんな私を眺めていたもんくんは、自分がママをこんなふうにしたと、ますます滅入っているかもしれない。
でもどうしたらいいんだろう…
そんな折、保健室の先生がスクールカウンセラーに話してみたらと声をかけてくれました。
カウンセリング…以前、おねえちゃんが不登校の時、カウンセリングしていたことがありましたが、あまり効果のようなものは感じられなくて。
高校に進学してすぐ、学校に通うようになったので、環境の変化で好転するものだ、カウンセリングはあまり意味がなかったと思っていたのです。
でも、本人じゃなくてもお母さんがカウンセリングすることで問題が改善できるかもしれないよというアドバイスを受けて、それもそうかと思ってやってみることにしました。
カウンセリングの先生は、私と同じくらいの年ごろの女性で、小さくて暖かい教室で私をまっていてくれました。
そして、カウンセリングで物事がなにか良くなるとか、問題が解決するという保証はないけれどお母さんのこころの整理ができれば、もんくんへの接し方も変わるかもしれないこと、
苦しくて追い詰められたお母さんと話すより気持ちに余裕のあるお母さんと話したほうがもんくんにとっても楽であること、
肩を張らずに、気晴らしのつもりで話してみたらいいですよと言ってくれました。
それまでずっと心に重い気持ちをため込んでいた私は、気がついたらとりとめもなくしゃべっていました。
ひとりでいるときは、泣いても仕方ない、泣いてる暇があったら他にもっとできることがあるはず、そう思ってこころが張りつめていたけど。
相槌をうちながら聞いてくれる人がいると、こんなにも心は開放されるんだと感じました。
1回目はなんだか無我夢中で話してしまったけど、それでも思いの半分も伝えられなかったと思うけど、それでも胸がすっと軽くなりました。
カウンセリングの先生は、こうしろ、ああしろとアドバイスをくれるわけではありません。
私のいうことを否定も肯定もしません。
ただ、的確な相槌を的確なタイミングでいれながら、もんくんのこれまでの症状、私の対応や感じたことなどを集中して聞いてくれました。
私自身、話しながら自分のしたことを客観的に考えることができたし、改めて自分が大変な立場にいることや頑張っていること、それでもどうしようもないこと、を冷静にとらえることができました。
今まで、自分の中では冷静にとらえることができていると思っていたつもりなのですが。
糖尿病はとても大変な病気ですよ。
本人も、ご家族も、辛い気持ちになるのは自然なことですよ。
そんな当たり前のことを、第三者に正面から言ってもらえることがすごくありがたくて、また泣けてしまいました。
もんくんも私も大変だけど頑張っている。
そう再認識した私は、改めて頑張っていこうという気持ちになることができました。
カウンセリング、これからも続けていこうと思います。
彼を見守っている私もだんなさんも、重く苦しい気持ちになりました。
学校に行かないということは、世間一般の普通の暮らしから外れている。
それは、もんくんの将来や幸せに暗雲をもたらすことだ。
そう思うと、どうしても平気ではいられません。
もんくんを叱ったり、なだめたり、いろんな言葉をかけて学校へ行くように促そうとしました。
でも、私はそうしながらも、物語「北風と太陽」の北風のように、そうした一見前向きに聞こえる言葉がもんくんのこころを覆う上着をより強く着こませるというか、彼の気持ちをより暗く重くしているだけの、逆効果にしかならないことを感じていました。
じつは、もんくんの姉、アンも同じように学校に行けない時期があったのです。
私はもんくんが学校に行けなくなったことで、自分のこころの中に「私が育てると学校に行けないこどもになってしまう」という確信を持ってしまうことが怖かった。
私はもともと、どんくさくて、要領が悪くて、学歴もよくありません。
仕事でもうまくいかないことが多々ありました。
バカな私だけど、子供を産んでから精一杯頑張ってきた。でも、その結果がこれ。
そう思うと、情けないやら、申し訳ないやら、自分が育てたのでなければこの子たちはもっと幸せになれたのに、もっと立派に育っていたかもしれないのに、こんなに優しくていい子たちをダメにしてしまった私は存在の価値がないのではないか。
もっと掘り下げると、両親が離婚している私は、自分こそは温かく幸せな家庭を持とう、私の子供はもっと幸せにしようとこころに決めていたので、そうできない私はなんて愚かなんだろうという気持ちに日々苛まれるようになっていたのです。
こんなネガティブな気持ちを友達にぶつけても、友達は迷惑するだけ。
そう思うと誰にも打ち明けることができず、ひとりで悶々と過ごすばかり。
仕事中でも泣けてきて、業務が手につきません。
仕事をミスを連発して、ますます自分はダメなやつだという気持ちが強くなりました。
もんくんが学校に元気に通っていた頃は、若々しいねと言われていた私でしたが、この半年で髪はたくさん抜けて白髪が増えて、表情も重苦しく、すごく老けてしまいました。
こんな私を眺めていたもんくんは、自分がママをこんなふうにしたと、ますます滅入っているかもしれない。
でもどうしたらいいんだろう…
そんな折、保健室の先生がスクールカウンセラーに話してみたらと声をかけてくれました。
カウンセリング…以前、おねえちゃんが不登校の時、カウンセリングしていたことがありましたが、あまり効果のようなものは感じられなくて。
高校に進学してすぐ、学校に通うようになったので、環境の変化で好転するものだ、カウンセリングはあまり意味がなかったと思っていたのです。
でも、本人じゃなくてもお母さんがカウンセリングすることで問題が改善できるかもしれないよというアドバイスを受けて、それもそうかと思ってやってみることにしました。
カウンセリングの先生は、私と同じくらいの年ごろの女性で、小さくて暖かい教室で私をまっていてくれました。
そして、カウンセリングで物事がなにか良くなるとか、問題が解決するという保証はないけれどお母さんのこころの整理ができれば、もんくんへの接し方も変わるかもしれないこと、
苦しくて追い詰められたお母さんと話すより気持ちに余裕のあるお母さんと話したほうがもんくんにとっても楽であること、
肩を張らずに、気晴らしのつもりで話してみたらいいですよと言ってくれました。
それまでずっと心に重い気持ちをため込んでいた私は、気がついたらとりとめもなくしゃべっていました。
ひとりでいるときは、泣いても仕方ない、泣いてる暇があったら他にもっとできることがあるはず、そう思ってこころが張りつめていたけど。
相槌をうちながら聞いてくれる人がいると、こんなにも心は開放されるんだと感じました。
1回目はなんだか無我夢中で話してしまったけど、それでも思いの半分も伝えられなかったと思うけど、それでも胸がすっと軽くなりました。
カウンセリングの先生は、こうしろ、ああしろとアドバイスをくれるわけではありません。
私のいうことを否定も肯定もしません。
ただ、的確な相槌を的確なタイミングでいれながら、もんくんのこれまでの症状、私の対応や感じたことなどを集中して聞いてくれました。
私自身、話しながら自分のしたことを客観的に考えることができたし、改めて自分が大変な立場にいることや頑張っていること、それでもどうしようもないこと、を冷静にとらえることができました。
今まで、自分の中では冷静にとらえることができていると思っていたつもりなのですが。
糖尿病はとても大変な病気ですよ。
本人も、ご家族も、辛い気持ちになるのは自然なことですよ。
そんな当たり前のことを、第三者に正面から言ってもらえることがすごくありがたくて、また泣けてしまいました。
もんくんも私も大変だけど頑張っている。
そう再認識した私は、改めて頑張っていこうという気持ちになることができました。
カウンセリング、これからも続けていこうと思います。
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