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ロックの殿堂 第10弾 (イエス)

2011年08月24日 07時17分54秒 | ロック

私が好きなロックの分野でプレーヤー及びアーチストを紹介するコーナーです。

イエス (Yes) は、イギリス出身のプログレッシヴ・ロックバンド。1969年にデビュー作「イエス・ファースト・アルバム - Yes」を発表、その年のブライテストホープとなり注目された。
出身地 :イングランド ロンドン  、ジャンル :プログレッシヴ・ロック、シンフォニック・ロック、ポップ・ロック、アート・ロックに分類される。活動期間 1968年 - 1981年、1983年 - 現在(On Hiatus)

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バンドの傾向はリード・ヴォーカルで創作面のリーダーでもあるジョン・アンダーソンの哲学・世界観がその音楽に大きく影響し、このアンダーソンのヴィジョンに同調できるか出来ないか、という選択がバンド在籍の可否に大きく影響を及ぼしていると言われている。その為、優れた技術・センスを持ちながらもイエスにはフィットしないという理由でミュージシャンが加入/脱退/再加入する事が多く、不安定な活動が長年続いた。

創設期はクリス・スクワイア(b)、ジョン・アンダーソン(Vo)、 ビル・ブラッフォード(ds)、 ピーター・バンクス(g)、トニー・ケイ(key)で編成。「イエス・ファースト・アルバム - Yes(1969年)」と「時間と言葉 - Time and a Word(1970年)」を制作。このアルバムはオーケストラと共演してシンフォニック・ロックを実現。両者は映画音楽のフレーズを引用したり、カヴァー曲でインストゥルメンタル・パートを拡大して即興を取り入れたりするなどの実験的要素を導入していると言われています。

成長期はクリス・スクワイア(b)、ジョン・アンダーソン(Vo)、 ビル・ブラッフォード(ds)、トニー・ケイ(key)、スティーブ・ハウ(g)に編成し「サード・アルバム - The Yes Album(1971年)」の発売の時期を指す。シンフォニック・サウンドの導入に否定的だった(と言われている)ピーター・バンクスが脱退し、スティーヴ・ハウが加わった。

飛躍期はクリス・スクワイア(b)、ジョン・アンダーソン(Vo)、 ビル・ブラッフォード(ds)、スティーブ・ハウ(g)、リック・ウェイクマン(key)に編成。
リック・ウェイクマンが加わった「こわれもの - Fragile(1971年)」、続く「危機 - Close to the Edge(1972年)」が、イエスの最初のピークと言われています。
結成当初にアンダーソンとスクワイアが唱えていた「強力なヴォーカルとインストゥルメンタルの融合」で、未完の部分だった演奏面の強化は、2回のメンバー・チェンジによって遂行され大きく飛躍しました。

熟成期はクリス・スクワイア(b)、ジョン・アンダーソン(Vo)、スティーブ・ハウ(g)、リック・ウェイクマン(key)、アラン・ホワイト(ds)に編成。
「海洋地形学の物語 - Tales from Topographic Oceans(1973年)」をリリースした時期でもある。

転換期はクリス・スクワイア(b)、ジョン・アンダーソン(Vo)、スティーブ・ハウ(g)、アラン・ホワイト(ds)、パトリック・モラーツ(key)に編成。
「リレイヤー - Relayer(1974年)」は、「戦争と平和」(トルストイの著書とは無関係)という現実的なテーマを採り、アルバム構成も「危機」のスタイルに戻して、非常にテンションの高い演奏を繰り広げていました。

変革期はクリス・スクワイア(b)、ジョン・アンダーソン(Vo)、スティーブ・ハウ(g)、アラン・ホワイト(ds)、リック・ウェイクマン(key)に編成。
究極とトーマトをリリースした時期。パンクやニュー・ウェイヴが台頭した1970年代後半は、それまで主流を占めていたバンドには厳しい時代となったようです。
衰退期はクリス・スクワイア(b)、スティーブ・ハウ(g)、アラン・ホワイト(ds)、トレヴァー・ホーン(Vo)、ジェフ・ダウンズ(key)に編成。
アメリカでは好評を博した新ラインナップでのツアーも、ヨーロッパに戻ってくると、上記と同じ理由で評価も観客動員も良い結果を残せなかったと伝えられています。
新たな時代を生き抜くために、完成させたアルバム「ドラマ - Drama(1980年)」だったが、発表当時から長年の間、イエスの象徴と言えるアンダーソンや人気者であるウェイクマンの不在が大きなダメージとなって、あまり見向きはされなくなりアメリカでは好評を博した新ラインナップでのツアーも、ヨーロッパに戻ってくると、上記と同じ理由で評価も観客動員も良い結果を残せなかったと伝えられています。こうして、このメンバー編成でのツアーを終えたイエスは活動を停止した。

停滞期(解散時)は1980年から1983年にかけての、具体的な活動が無かった時期を指す。なお、便宜上は「解散」という言葉を使っているが、アラン・ホワイトはそれを否定しており、メンバーが集まらなかったので活動を停止していただけ、と主張しているようです。

再結成はクリス・スクワイア(b)、アラン・ホワイト(ds)、トレヴァー・ラビン(g)、トニー・ケイ(key)、ジョン・アンダーソン(Vo)に編成。1983年に「ロンリー・ハート - 90125」を発表。そのシングル・カットされた「Owner Of A Lonely Heart」はアメリカをはじめ多くの国で1位を獲得し、イエスは再結成によって最大の成功を手にしました。ロンリー・ハートから3年強のブランクを経て、イエスは「ビッグ・ジェネレイター - Big Generator(1987年)」をリリースしました。

バンド結成40周年をふまえた世界ツアーを行うことが公式サイトにて発表された。だが、ジョン・アンダーソンの病気によりキャンセルとなった。現在もメンバー編成を繰り返しながらも活動中です。

代表作は「こわれもの - Fragile (1971年)」「危機 - Close to the Edge (1972年)」、ポップ作品として成功した「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」などが挙げられる。(レコードのライナノーツとウィキペディア フリー百科事典の抜粋による)



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