年金暮らしの自由人

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ロックの殿堂 第5弾 (ジェフ・ベック)

2010年12月17日 09時38分53秒 | ロック

私が好きなロックの分野でプレーヤー及びアーチストを紹介するコーナーです。

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ジェフリー・アーノルド“ジェフ”ベック(Geoffery Arnold "Jeff" Beck, 1944年6月24日 - )は、 イギリス、サリー、ウォリントン出身のギタリスト。

1944年、ロンドン南方のウォリントンで中流家庭に生まれる。12歳になるとロックン・ロール、ロカビリーに興味を持ったジェフは、ギターにのめり込むジェフの姿を見て、母親は25ポンドのグヤトーンを買い与えた。

16歳になるとウィンブルドン・カレッジ・オブ・アートに入学する。ジェフは学友達と最初のバンド、ナイト・シフトを結成し、地元のクラブへの出演を果たすようになる。1962年、エプソム・アート・スクールに通っていた姉から、同校に在籍していたジミー・ペイジのことを知らされ、意気投合する。
1965年、スタジオ・ミュージシャンとしてセッションワークで多忙だったペイジに紹介される形で、エリック・クラプトン脱退直後のヤードバーズに参加する。
ヤードバーズは1966年、ベースのポール・サミュエル・スミスが脱退、その後任としてペイジがベーシストとして加入。やがてベースをクリス・ドレヤと交代したペイジは、ジェフと二人でリード・ギターを担当、ヤードバーズはツイン・リード編成で活動、シングル「Happenings Ten Years Time Ago / Psycho Daises」が発表した。

ヤードバーズ脱退後、ジェフはミッキー・モストとプロデュース契約を結び、ソロ・シングル「Hi Ho Silver Lining / Beck's Bolero」を発表する。この「Hi Ho Silver Lining」は大ヒットし、NME誌のチャートで17位を記録する。

1972年にジェフベックグループを結成する。その後、活動を続けていたが、空中分解してしまう。1975年の頃にはフュージョン期を向え、当時流行していたフュージョン色の濃い初のインストゥルメンタルアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』を発表。

翌年後には全編インストゥルメンタルの『ワイアード』を発表。ジャズ・ロック的な要素を全面に出したアルバムとなった。
1980年代に入ると、同じくヤードバーズ出身のジミー・ペイジ、エリック・クラプトンと共に、A.R.M.Sコンサートに参加し、三人が共演。クラプトンと共に、シークレットポリスマン・コンサートで共演。アルバム、「ハニードリッパーズ(The Honeydrippers)」に参加し、ジミー・ペイジ、ロバート・プラントと共演した。
1985年にアルバム『フラッシュ』をリリースする。1989年のアルバム『ギター・ショップ』は、グラミー賞の最優秀ロック・インストゥルメンタル賞を受賞。

さらに2003年、自身の名前を冠した『ジェフ』をリリース。プロツールスを使用した大胆なドラムンベースを大幅に導入したアルバムとなった。
2003年には9月にロイヤル・アルバート・ホールでのデビュー40周年記念コンサートを行う。また同年インターネット上でのみ「オフィシャルブートレグ」というかたちで、ライブ・アルバム『Live at BB King Blues Club』を販売。

この作品は2005年の来日に併せて『ライブ・ベック!』のタイトルで一般発売されている。
1977年以来のライブ・アルバムとなり、「フリーウェイ・ジャム」や「スキャッターブレイン」といった往年の曲も収録されている。

2006年は世界ツアーを行い、日本ではウドー・ミュージック・フェスティバルに参加。会場で発売されていたライブ・アルバムが後に『ライブ・ベック'06』として発売された。ギター奏法は、年を重ねるごとに洗練され、他のギターリスト(名手)に注目されるほどの存在となった。電子機器の効果音を究極に生み出すサウンドは、彼独自の音の世界となっている。現在も活動中です。



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