心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

本当は知ってるけどね

2009年07月16日 | 雑感・愚見
科学技術の発達によって多くの事が解き明かされてきています。

虹の向こうには楽園がないこと。
月にはウサギがいないこと。
雷神、風神が雷と風を操っていないこと。
七夕に短冊に願い事を書いても。。。
サンタさんは存在しないこと。。。

烏天狗や青鬼、赤鬼などいないこと。
かまいたちは妖怪の仕業では無いこと。
レディが奥さんになっても頭にツノが生えないこと。

しかし、今もって七夕には短冊に願い事を書いて、
どこどこでは、風神や雷神が祭られていて、
サンタの事を語ったり、想像したり、
何か良いなあって感じます。

雷は、落ちるあられと上昇する氷の粒がぶつかることで静電気が発生し、
何て言う子供よりも、雷さんが怒っていると
せめて小学生になるまでは思って欲しいと思います。

1つ謎が解けると、何か大切なことが1つ無くなるのではなくて、
私達は、分かっている事を分からないふりをして、それを楽しめる。
知ろうとせずに、それをそのまま楽しめます。
このファンタジーな気持ちは全てを輝かせてくれます。

自分の事をどう思っているんだろう。
私といるときは普通に接してくれているけれども、
きっと心の中では私の~をおかしいと思っているに違いない。
私の事を好きだと言ってくれているけれども、どうせ私でなくてもいいはずだ。
今は良くても、どうせ離れていくに違いない。
ありがとうなんて言っているけれども心の底から言っている訳じゃない。

100%の何々でなければ意味がないような気持ちでいると、
随分、人生をつまらないものにしてしまうのではないでしょうか。
その誰かの行為が100%でなかったとしても、
何%かのそれを、そのまま大切に感じたり、楽しめたり、
嬉しく思ったりすることは、サンタやミッキーマウスをそのまま楽しめる、
あなたにならきっと出来るはずです。

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滝行

2009年07月15日 | 雑感・愚見
私は、以前、師である仲山和輝氏に同行し高尾山での滝行の経験があります。
一時期は、毎年のように月に一回のペース10月から2月までの5回、
精神修行と銘打ち滝行を敢行していました。

白装束に身を包み、滝に打たれるのですが、
10月から寒さに身体を慣らしていき、本番は2月。
高尾山に降り積もった雪で辺りが白く染まる中の滝行は、
それはそれは体験した人しか分からない凄まじさです。
終えた時には、身体が熱く感じます。

帰ってから入ったお風呂で湯の温度が身体に伝わってきません。
何か一枚断熱材を着て入っているような感じ。
滝行を終えた時に身体が暖かく感じていたのは、
身体が冷え切っていることのサインです。

冬山で遭難した時に身体が極端に冷えてしまうと、
逆にとても暑く感じてしまい雪が吹雪くなかで、
最終的には熱い熱いと防寒服を脱いでしまう話を聞いたことがあるのですが、
すごく納得ができました。

滝場では、私達以外の人の姿も見かけます。
目的は、人其々なのでしょうが、私達の目的は精神修行でしたが、
残念ながら自分で分かるような変化は感じていないことから、
精神鍛錬としてはあまり効率が良くないような気がしています。

ただ、最中は頭の中が何も考えることが出来ない状態に近くなります。
何せ、寒いのと、不安定な足場の上に立っていますから、
落ちてくる水の圧力に飛ばされないように必死になっている状態です。
その経験を通して思うのですが、

禅とか、宗教で念仏を唱え続けている状態も一種の瞑想状態で、
心を無にする状態を求めているように思います。
写経等もその一つではないかと思いますし、
数ある難行苦行といわれる行為の目的も、邪念を消し、心が無になる
ある種の心の領域を目指したものではないかと思うのです。

こう考えると、私の催眠の領域に近くなってきます。
催眠も思考の働きを鎮め(邪念を消し)、心の働きに任せている状態(無の境地)
そして、今までの信念や固定観念(心の枠)に捉われることなく、
今までとは違うものの見方を発見していく。

これって、前に書かせてもらった発明家達や芸術家達が夢の中で
アイディアを発見するという事にも通じます。
滝行を20回程度しか体験していない私が言うのもなんですが、
方法は違えども、目的は同じような気がします。
ですから、走っても、歩いても、頭を掻く事でも良いのかと、
考えなくて良い状態を保つ事が出来れば発明家効果は、
それなりにあるのではないかと思うのです。

その領域に達した時、これも前に言ったように、
その時、浮かび上がるための準備が一番整っているものを浮かび上がらるので、
インスタント的に結果を求めても都合よくいかない筈です。

しかし、滝行は何とも言えない面白い体験でした。
何のためになるのかと聞かれても答えようがないのですが、
ハッキリと分かるような意味は無いかもしれないけれど、
意味など無くても、良い体験だった。無駄と言われる行為かもしれないけれども、
私にとって良い体験だったと思えます。

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常識

2009年07月14日 | 雑感・愚見
私が学生の頃は、投手は、肩を冷やしてはいけないので夏のプールなんてもってのほか、
だから同級生の野球部の奴と海水浴に行くことが無かった。
それが今では、プロの投手だって登板が終われば熱を持った肩を
意識して冷やしている。

さらに、夏場でも運動中に水分を取ることは禁止で、
死ぬようなおもいをしたことも数多くあったが、
今では、サッカーの中継を見ていても選手が合間に水分補給をしている姿が映っている。
今思えば、あの苦しみは一体何だったんだろうかと思う。

今はやりの常識、メタボリックの腹囲85センチは、
世界の常識では無く日本の常識のようでして、
しかも、その常識を唱えだしたのが循環器系のお医者さん達で、
さらに、心臓、脳梗塞、成人病等に対して循環器系の見地からの考えのようですが、
身体全体の健康を考えて出したものではないようです。

メタボリックで言われている良いとされているコレステロール値ですが、
もう少し高い方が、癌になりにくいというデーターがあるようで、
血圧にしても、もう少し高い方が長生きするというデーターもあるようです。

これらの常識は、まだマシな方だと思いますが、
まず最初にある1つの答えがあり、それを得たいがために後から理屈をつけて、
常識に作り上げているようなものが日常で堂々とまかり通っていたりします。

ですから、常識と言われるものを崇め奉り過ぎるのはどうかと思う。
常識は、多くの人がとか、普通の人は、等の良く似た香りを放っていて、
その香りの中には食虫植物のごとき魅惑的な香りで誘い、
ふらふらっと誘われてしまうと自分の外に正解を求めすぎる人は、
栄養分をむしり取られてしまう怖いものもあります。

常識は絶対的なものではありません。
占いの結果や関係者数人だけで決められるその年の流行に追従するのと、
それほどの違いは無いのかもしれない。

健康のための何品目や一日の献立等がもてはやされた頃、
ある番組で、お腹を減らした主婦3人が、スーパーで好きな食材を使って、
今、食べたいなと思う料理を其々が作るという事をやっていて、
その結果が実に興味深い結果となりました。

実は、食材を購入する前に一人一人血液を取って、
血液中の栄養状態をチェックしていたのだが、
そのチェックの結果は知らされないまま、その試みは始まったのですが、
3人の主婦が用意した食材は何と、
3人共に、その不足分をしっかりと補うような食材を用意したんです。

栄養学を知らなくても、血液の分析が出来なくとも、
私達の身体は、ある感じとしてそれを教えてくれている。
私達は自分の考えや、自分自身に100%の自信がある訳ではない、
だから自分の外にあるものに手を伸ばすことも仕方がないけれども、
主婦3人が起こした驚くべき成果は、
自分の内側の感覚に心を傾ける大切さを表しているように思います。

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丸飲み

2009年07月12日 | 雑感・愚見
学生の時に歴史について書かれているものを見ていて思った事があって、
この一ページに書かれているものを調べるために、
この人は、どれだけ自分の人生の時間を使ったのだろう。
数学にしても、この公式を導き出すために、
この人は、いったいどれだけの時間と、苦悩を経験したのだろう。
私達は、何分かでそれを頂いている。

それ一つに10年かかっていたとしたら、
私達は、9年と364日と23時間50分ほどの時間を、
自分の好きな事に使い、後の10分で、その人の10年を頂くことになる。
何か、申し訳ないような、有難いような、
文明は、こうしたバトンリレーによって発展してきた。

今、私達の周りには、溢れんばかりの情報が飛び交っています。
TV、書籍、周りの人の意見、地位のある人の考え、実績のある人のやり方、

ある人は、それは左だと言い、別の人は、それは右だと言う。
ある人は、それはしてはいけないと言い、また別の人は、やるべきだと言う。
お前が悪い、いや正しい。正直すぎる、配慮と遠慮が足らない。
何て馬鹿な事を、勇気があるな。
優しい、弱い。自分勝手だ、自分の意見を持っている。

そんな事を全部真に受けてしまうと、混乱と迷いで動けなくなってしまいます。
だからと言って、目をふさぎ、耳をふさぐと、
自分にとって有意義な意見、情報をも排除することになってしまう。
だったら、どうしたもんかと考え、

一度は何でも口にしてみる。口に入れたら良く噛んで、よく味わう。
すると、その意見や情報が自分にとって美味しいものか、不味いものかが分かる。
不味ければ吐き出し、上手ければ飲み込む。
誰から差し出された料理であっても、良く噛み、良く味わう、
そして、鵜呑み、丸のみだけは決してしないようにすれば、
自分の身は毒されることはない。

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起きてみる夢

2009年07月10日 | 雑感・愚見
ある人が言った言葉があります。
「私達の悩みの大半は、私達の想像から生み出されるものである。」

これの意味するところは、
私達が人生に置いて出会う出来事、そのものが悩みを生み出しているのではなく、
その出来事をどのように受け取るかによるところが大きいと言っているのだと、
私は理解しています。

例えば、今まで仲良くやってきた人と喧嘩をしたとします。
これを真実とすると、この事は悲しい事ですし、残念なことかもしれません。
しかし、ここから先の心の動きによって心の動き方が違ってきます。

私は、あの人に嫌われてしまったと考えたら、
もう二度と、以前のように仲良くやれることは無いと考えたとしたら、
皆に私の悪口を言われて他の人も私を嫌うに違いないと考えたとしたら、
もう私と仲良くしてくれる人など現れないと考えたら、
信じていたのに裏切られたと考えたら、
今回の事は誤解だから、良く話をすれば分かりあえると考えたら、

これらの部分は、全て想像でしかありません。
そして、この想像が現実の出来事に加わることで、
実際の出来事が違う意味を持ち、そして違う感情を感じることになります。
悲しさが、寂しさが、怒りが、苦しさを悪戯に強くしたり、そうでなかったり。

想像とは現実ではないということです。
そして、睡眠中に見る夢も心が創り出したもので現実ではありません。
何かとんでもない夢を見て悲しい思いをしたとしても夢から覚めると、
その出来事がどんなに悲惨であったとしても、
夢から醒めれば、あ~夢で良かったで終わりです。

しかし起きている時に見る夢は自然に醒めることはない。
そして、まさか起きている自分が夢を見ているとは考えないから、
自分の心を乱しているそれを当たり前のように受け入れてしまいます。

自分が起きて見ている夢に気が付いて、
良い夢はそのままに、悪い夢からは目覚める事が出来れば、
もっと楽に過ごせるようになるに違いありません。

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自分が思っている自分

2009年07月09日 | 雑感・愚見
前にペン回しの所で書かせて頂いたのは、
本気でやろうとすると案外出来るものであるというようなものでした。
今回の内容は、これに近いのですが少し違った角度からの話です。

私は、ブログを書いていますが、
私がこのような文章を書くことは大昔から苦手と言うか、
今まで提出物なども何かを書き写して凌いできました。
言語能力、文章能力は、おそらく多くの方たちと比べると
どって事はないレベルだと思います。

本を読んだ記憶として残っているのは小学生の時に一冊だけ、
題名を今も覚えているのが不思議なのですが、その本の題名は「宝島」でした。
何がきっかけだったのか覚えていませんが、その本に魅了されて、
学校の図書室で一気に読んだ記憶があります。
私が読んだのは後にも先にも、その一冊だけです。
この仕事に関わり本を読むことが増えていくのですが、
それまでは、その頃連載が始まった漫画「タイガーマスク」にハマり、
漫画道を突き進むことになります。

ここ最近になって日本語を学ぶ大切さ、本を読むことの大切さを痛感していまが、
何でも、小学生の頃に本を読んでいないと、本を読む脳が育っておらず、
大人になってからでは、なかなか始める事が出来ないと言う人もいます。

前置きが長くなりましたが、
そんな私がブログを書く、私の頭の中にある感じを文章で表現するといういうことは、
カラスが鶯のように鳴く事を始めるようなもので、
一年に6つ位でも書ければ良いかなと思いながら一ページ目が始まった訳です。
それが、自分が思っていた自分です。

それが、一端やり始めると自分でも予想だにしなかったペースで
今まで来ています。自分が思っていた自分ではあり得ない事なのですが、
現実がそうだから、あり得ている訳です。

文章の上手い下手は置いといて、
ペン回しは、本気で取り組めば出来るだろうで、やっぱり出来たで、
ブログは、まず出来ないだろうで始めて、何か変だけど書けているぞです。
今もって自分が思っている自分と、やっている自分とが一致していません。

そこで思った訳です。自分で思っている自分なのですが、
人に言われたものでは無くて、自分の感覚ですから間違いが無いと思いがちですが、
これ案外、いい加減なものでしかないなと、何も分かっていないなと、
最近、感じ始めている訳です。

だから、自分に魅力がないとか、能力がないとか、好かれないとか、
自分の話は面白くないとか、一緒にいても迷惑に違いないとか、
自分に何か人は興味無いとか感じている人がいたとしたら、
これ全部、いい加減かもしれませんよ。
一度、自分が思っている自分をそのままに、
自分の態度や行動を変えてみたらどうでしょうか。

それには勇気がいると思います。
行きたい方向にライオンがいる。幻のライオンと分かっているけど、
妙にリアルなライオンで、そこに向かって歩くような感じ。
私の仕事は、この幻のライオンを薄めていくことですが、
一度、自分で幻の打ち破りに挑戦してみるのも有りです。

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自信の有る無し

2009年07月08日 | 雑感・愚見
人其々、やることが違えど自信を持ちたいと願う人は多いですが、
しかし、自分に自信がある人なんてそうはいません。
周りから見ると自信に満ち溢れているように見える人も、
本人からすると、必死こいて精一杯やっている。
俺は自信があると言う人は、単なる強がりであったり、自惚れでしかなかったりする。

自信を持ちたいと思う時には、
必ずと言って良い位、経験とか、成功体験が少なかったりする未知のものに、
自分が取り組もうとしている時であるはずである。
自信は後から付いてくると言うように、
あなたが攻め落としてきた塞には、その証の自信の旗が翻っていますが、
これから攻め落とそうとしている塞にあなたの自信の旗が立っている訳がないのです。

この気持ちは、未来の成功の確約を欲しいと言っているようなもので、
しかし、成功の確率を上げる方法はあるけれども、絶対に100%には届かない。
自信がないと言う言葉の下には、
埋められない不確かな部分を受け止める事が出来ないという気持ちが隠れています。
でも、なまじっか自惚れてしまうより自信が無い方が良いかもしれない。

何故か、
自分は駄目だと思い込んでいる人、自信満々の人、自信がない人の行動を比べてみると、
駄目だと思っている人は挑戦をする事は無いので成功することは無、
自分は駄目だと決めつけている人はチャレンジしないので論外。
自信満々の人は、甘く見て準備を怠り失敗をしてしまう。
そして、自信がない人は、自信がないので成功するために必死こいて
準備をし練習をしてから挑戦をすることになる。

もしかすると自惚れている人も、勢いに乗って上手くやるかもしれませんが、
自信の無い人が、必死こいて、汗をかいて、バタバタした分だけ、
取り組みの密度が濃い、先に行けば、きっと差が出てくるはずです。

でもあれなんですが別の見方をすると自信がないと感じるのは、
安心、安全の場所を良しとせずに、不確かという怪物に挑みかかろうとしている
開拓者精神の表れでもあるんですよね。

ロトの剣を手に入れましたか、HPは十分増えましたか。
薬草とベホイミの呪文を手に入れましたか。
そして、ちょっと横を見てみると、
近くにベホマラーを唱えてくれる魔法使いがいることも気が付くでしょう。
後はエイヤー!で前に踏み出すだけです。
自信は後から付いて来る。

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守・破・離

2009年07月07日 | 雑感・愚見
私が催眠を学び、ある程度の事が出来始めた頃、
覚えた事を忘れるなさいと言われて戸惑った事があります。
これは、今まで覚えた基本原則に縛られていると、
そこまでの事しか出来なくなってしまうからです。
もちろん基本原則が十分に身についていることが大前提となります。

これについては、昔から芸能とか武道の世界で言われている
稽古や修行の過程を表す守破離と言う教えがあります。

「守」は、師についてそのやり方をそのままなぞるように覚える段階を、
「破」は、習ったやり方に自分の考えを加えたり、他の考えなども取り入れて、
   発展させ高めていく段階を、
「離」は、「破」で手に入れたものさえ手放し、全く新しい自分独自のやり方を
生み出していく段階を表しています。

基本の大切さ、制限からの脱却、発展、成熟、そして新しいものを生み出す。
これ色々なものに当てはまります。
人の一生として捉えると誕生、大人への心身の成長、成熟、新しい命を生み出す。
これを逆側の親の方から見てみると、
親として子供を守り、基本的な考えを教え、そして子供の考えを尊重し、
危なッかしくて不安を感じても、辛抱して離れた所から子を見守り成長を促す。

この「破」の段階は、親にとっても結構つらい段階で、
親の弱さからついつい口を出したりして、
また子供の事を心配してではなく、親自身が恥ずかしい思いをしたくないために、
子供に制限を架け続けたりしていることもあります。

重い話はこれぐらいにして、この「破」の忘れる、離れる、手放す、捉われないは、
探し物が見つからない時にも、いったん探すことをやめると
置いた所をふっと思い出したりすることがあります。
仕事でも、煮詰まった時には、考えがどんどん焦点化して限定的になっていき、
よい発想が浮かばなったりするので、一度、そこから離れてみることも大切です。

かの崖の上のポニョの宮崎駿監督もアイディアに煮詰まった時には、
考えることをやめて睡眠を取るのだそうです。
よく発明家たちが夢の中でヒントを見つけるのもこの効用だと思います。

これを聞いて発明するためには寝れば良いんだと思わないでください。
あくまで守があっての破で、普段から十分にそれについて考え、考え、思いを巡らし、
色々な知識や情報を集めているからこそ、夢の中で「破」が起きます。

それ抜きにして睡眠時間を増やしても、夢だけ見れて目論みがパーとなるだけです。
良いですか、破がですよ、パーになる。ヨッシャー!

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ロバと兄弟の話

2009年07月05日 | 雑感・愚見
自分の考えを持たないでいることが、
いかに愚かなことなのかを教える寓話としてロバと兄弟の話があります。
案外有名な話なので皆さんも知っていると思いますが、
どんな話なのかを紹介しておきます。

そうじゃのう~。あれは随分昔の事じゃった。
ある所にとても仲の良い二人の兄弟がいたそうな。
その年は、豊作で農作物が多く取れたそうな。
2人の兄弟は村で採れた作物を町に売りに行くために
ロバの背中に満載して2人で町まで売りに行ったそうじゃ。

全て売り終えての帰り道、兄弟は通りがかった人から、
「何故、ロバをひいて二人とも歩くのじゃ、ロバをひいている意味がない。
 全くの愚か者じゃ。」と言われたようじゃ。

兄弟は恥ずかしい思いもしたが、それもそうだなと思い、
歳者は兄がロバの背中に乗る事にしたそうじゃ。

そうしてしばらく歩いて行くと、そこを通りがかった人に
今度は「君は、年少者への思いやりがないのか。」と言われたそうじゃ。

兄はそれを聞いて、これはいけないと、
ロバの背中に弟を押しやるように乗せたそうじゃ。
これで、もう文句を言う人はいないだろうと思って安心していたのじゃが、
しばらくすると、また通りがかった人から、

「何ということだ。年上に対しての礼儀をわきまえてない奴だ。
恥ずかしくもなくロバの背中に乗っていられるとは。」
と言われてしもうたそうじゃ。

こうなったら二人で乗るしかないと2人で乗ることになったじゃのじゃが、
もう通りがかる人が来ないでくれと念じていたのじゃが、
やっぱり、そんな時は通りがかる人はいるもので、
「何てことだ。人間が小さいロバに2人も乗るなんて。
動物に対しての思いやりのかけらもない奴らじゃ。」
と非難されてしまった。

もう兄弟たちは、どうしたらいいものか混乱をしてしまい、
もうこれしかないと、思いついたのが、
2人でロバを担ぐ事でした。2人は村までロバを担いで帰ったという話です。

この話に突っ込みを入れるなら、2人で担いで歩きだしてから
通りがかりの人と出くわさなかったんだろうか、
出くわしたら、絶対に、これこそ何か言われるだろうなとか思ったりするのですが。
私のような仕事をしていると、あ~なるほどな。愚かな行為だなあ~。
とは、ならないんです。

主体性の欠如というか、自分たちがどうしたいのかが無いとは考えません。
自分たちはどうしたいのか、何について重視しているのか、
初志貫徹、ゆらぎのない考えが兄弟にもあるんです。
それは、人からの非難を受けない。何としてもそれを避ける。
この考え、行動からは、兄弟は全くぶれていません。

兄を敬う、年少者をいたわる、動物を思いやる、自分たちのためにロバを役立てる、
そんな事よりも人からの非難を避けること。
これが兄弟たちが重要視している考えです。

この考え、気持ちを認めることから始めないとカウンセリングは始まりません。
それを認めず、この兄弟たちは愚かであると結論してしまう事は、
自分がさらなる通りがかりの人となって物語に登場するのと同じです。

この作者の本当の意図は知る由もありませんが、
兄弟に対する話だけでなく、同時に通りがかりの人たちへの
戒めのメッセージが隠れているようにも思います。

人からの非難を避けることを重視したってかまわない。
人それぞれ大切な者は違うものです。人がとやかく言うものではありません。
私は、本人たちが、これではいけない。変わる必要があると思う場合のみ、
それについて話し合う事を始めます。

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きらめく世界

2009年07月04日 | 雑感・愚見
ある日、子供の頃、見ていた世界と比べて随分と世の中の様子が
変わっている事に気が付いた。街並みが変わり、電話を外に持ち運べるようになり、
海の上に道路が出来たなんて、そんな事を言いたい訳ではない。

意識することなく大人の世界と言うものに足を踏み入れ、
大人らしく、社会人として、常識、良識を持って、
何か透明の仕切り版を通して周りの世界を見ている自分がいた。
透明の仕切り版は、本当は自分の鎧であり、剣であり、
自分の戦闘能力を上げてくれるはずのものだがちょっと重く不快でもある。

まだ透明の仕切り板が無かった頃、自分がいた世界は違っていた。
何か得体のしれないものを発見したら、あれこれと考えずまず口に入れて味わっていた。
随分苦くて不味いおもいもしたけれど、おかげで世の中には美味しいものとそうでないものがあり、
不味ければ吐きだせばいいだけのことだと分かっていた。
煌々と燃え盛る火にさえも手を伸ばし、恐れよりも興味が勝っていた。

もちろんサンタはいると信じていたし、
トナカイがそりを引いて空を飛ぶことに何一つ疑問を持たなかった。
雷は、キングギドラが雲の上で暴れていると思っていたし、
夜中になると街にお化けが徘徊しているとも信じていた。
そして何故だか、家にいればお化けが入ってこれないとも信じていたし、
いざとなれば布団の中に潜り込めば大丈夫だと思っていた。

プラスチックの刀をベルトに差し込んで新聞紙の兜を頭に被れば強くなれたし、
胸の前で腕を十字に重ねるとスペシュウム光線が出せると信じていたのか、
よく腕を十字に重ねて光線を発射していた。
実際、同級生には効果があったからなおさらかもしれない。
おもちゃ屋で売っているベルトを腰に巻けば、本当にヒーローに変身できると思っていたし、
実際に、変身していた。

知らない大人の人にも平気で声を変えることが出来たし、
人間以外の昆虫やカエルとも友達になれたが、
その頃、家で飼っていた秋田犬とは最後まで仲良くなれなかった。
私を見ると唸り声をあげていた。スペシュウム光線もあいつには全く効果がなく
無敵の秋田犬だった。

どういう訳だか空を飛べるかもしれないと思って傘をくるくる回していた。
一度や二度飛べなくても、次は飛ぶかもしれないと諦めが悪かった。
ビー玉一つで遊び方が何種類もあり、誰もがお金がなくても身近なもので遊びを創りだす天才だった。

大人の人に思ったままのことを言っていた。
今思えば随分失礼なことを言っていたように思うけれども
怒られるどころかかわいがられることも多かった。

拾った綺麗な石一つで自慢出来たし何らかの自慢できるものをみんなが持っていた。
自分がなりたいものになれると信じていたけどあまりにも多すぎた。
誰しもが自分のことをスペシャルだと信じていた。

今思えば、私達は透明の仕切りによる制限がない創造力が作り出す世界と、
強烈な興味心によって世界がきらめいていた。
誰しもが世界を煌めかす力を持っていた。
世界を魅惑の世界に煌めかす灯は、あなたの心の中で今も燈っているでしょうか。

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