心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

柳生但馬守宗矩

2021年11月02日 | 人物

 

徳川家の御指南役だった柳生但馬守宗矩は、

道場の中で1匹の猿を飼っていました。

 

彼に弟子入りを望んだ者は、

まず道場の猿と立ち合って勝たなければ

弟子にはなれなかったそうです。

 

 

誰しもが剣豪柳生宗矩栁生十兵衛の名前は、

どこかで耳にしたことがあるとは思うのですが

上の話って初めて聞きました。本当の話?

 

宗矩の父、宗厳が、あの黒田官兵衛の息子であり

初代福岡藩の初代藩主の黒田長政の仲介で

父と共に家康に謁見し、

 

家康の前で父の宗厳が無刀取りを披露し、

父親の推挙で宗矩は、

200石で家康に仕えることになります。

 

ここから出世街道まっしぐらで

2代将軍の徳川秀忠の兵法・剣術指南役となり、

3000石の旗本となり、

 

3代将軍の徳川家光の兵法・剣術指南役にもなり、

数々の功績をあげて大和国柳生藩

立藩するまでになります。

 

家光の宗矩への信頼度はかなり厚く

宗矩は家光から私的な相談を度々受けることや

家光に強い意見を申し述べていたようで、

家光がヘソを曲げた宗矩の

ご機嫌を取るような関係だったようです。

 

また家光は、宗矩に対して度々「但馬、参りる!」

不意を突いた一撃を加えようとしていたらしく、

 

これは宗矩の腕前を確かめるというよりも

宗矩が見事に防ぐのを楽しんでいたもので

今で言うドッキリ的な感じの逸話もある位です。

 

豊臣秀吉の立身出世も凄いことですが、

一介の剣士の身から大名となった

歴史上唯一の柳生宗矩の

立身出世物語もかなりのものです。

 

いくら剣術が強くても

これほど立身出世が出来る訳がないので

栁生宗矩の男っぷり………男っぷりと言うと

最近では差別云々と言われそうなので止めておいて

人間ぷりが凄かったんでしょうね。

 

この世に生を受けた限りは、

自分に何が出来るのか、

自分がどこまで行けるのかと

立身出世も悪くありませんが、

 

せっかく生を受けたのだから

穏やかに和やかに日常を生きることも

なかなか乙なものかと。

 

どちらの生き方を選んだとしても

そこに喜びがあるなら

あなたが選んだ道が正解!

 

 

 

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