KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

今日は総選挙だった

2021年10月31日 | 俳句
天気 曇のち雨

ここに住んでいると、選挙はテレビの伝えることだけしか見えず、実感が湧かない。入居者の何人が投票に行ったろうか。ここに住民票を置いている人は半分も居ないようだし(私の居住地はここしかない)、住所がどこであれ国政選挙は出来るけれど、面倒な手続きまでして投票する人が居るとは思えない。

昼前から雨になったので、やはり期日前投票をしておいて良かった。
若者の投票率は少しは増えるのやら・・私には年々減るような気がしてならない。なぜなら、毎年選挙人名簿には新しい新18歳が加えられる。その連中もまた、30%しか投票に行かないだろうから、亡くなる高齢者の数と入れ替わる訳だから、年々投票率は減り続ける訳で。


女性に参政権が認められたのは戦後のことで、哀しいかな、米国の占領政策によって進められたのだ。戦前から女性参政権運動は存在したが、認められる訳もなく・・

さて、初めての女性の選挙は私がまだ小学校に入る前なので覚えていないが、その後、小学生になってから何かの選挙があり、母親に連れられて投票所の小学校へ行ったのを覚えている。2年生くらいだったろうか。村に小学校はひとつしかなかったので、投票所も一つだけ。
当時はまだ、貧しかった半農半漁の村だった。いつもはよれよれの野良着にもんぺのおばちゃん達が、お正月の晴れ着のように精一杯の「よそゆき」の着物姿で三々五々と小学校へやってくる。足元も、藁草履ではなく下駄を履いて。
それくらい、投票に行くということは「晴れ」の日だったのだ。男にしか認められなかったことが、自分たちにも出来るようになったのだから。今も、晴れ着のおばちゃんたちの列を思い出す。
参政権運動に尽力し、のちに参議院議員となった市川房枝さんを母はとても尊敬していた。わが父はガチガチの自民党員だったが、父の言うなりにはならなかったと信じたい。

という、とても大事な投票権。
「私が投票したからって何も変る訳じゃなし、関係ない」と言うそこの若者よ、そう言う人が数百万人単位で存在するのですよ。自分ひとりの力でどうかしよう、と思っていたのなら無力になるのは当然で、とんでもない勘違いだ。折角の権利を捨てるなんてもったいない。
70年前、着飾って嬉々として投票に行った女性の先人たちに大変失礼ですよ。

 
薔薇の花は、当選者の名前に飾る場面を思い出したので。3年前の秋の神代植物園薔薇園。


身に沁むや権利を棄つる人ばかり   KUMI
コメント (2)
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