KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

地球に生きるって大変

2022年10月31日 | 俳句

天気 晴

相変わらずの穏やかな晴天を横目に、今日も体調最悪の上、目眩息切れの一日。でも、数値からは異常がないから何とも悪さが伝わらない。血圧・体温正常、オキシメーター98%と優秀な値。目眩度とか耳鳴り度とかは測れない。とにかく生きていても良い、ということなのだから帯状疱疹くらいは我慢我慢。

夫の命日近くなので時間がとれたから、と友人の息子が、面会に来てくれた。おじさん(夫)が大好きで、小さい頃から我が家に遠慮なく出入りしていたので、今でも「○ちゃん」呼ばわり。ごめんなさいね、二児の父親なのに。先週も寄ってくれて、ちょっとしたことを頼めるので有難い。今日は加湿器の掃除もしてもらった。だんだん出来ないことが増えていくようで情けない。

今日がハロウィンの本番、なのに一昨日の土曜日の夜、ソウルでとんでもない事故があった。ハロウィンなんて日本では歴史の浅い行事だと思っていたが、クリスチャンの多い韓国では日本よりも根付いていた行事だったのかもしれない。日本で同じことの起きないよう祈るばかりだ。そして、大事故というのは世界に伝播するのだろうか、インドでは大吊橋が壊れ、数百人の死者が出たという。どちらも災害ではない、防ごうと思えば防げた人災でもある。戦争と同じ。また、ロシアのウクライナ攻撃が激しくなって果てのない戦争状態が続くらしい。

大水害に大規模な山火事、地球も壊れそう。こんな地球に生きていくのも大変なのに、私はこんなにたくさんの病気を抱えて、それでも生きている。一瞬で命の消える人災・天災をテレビ画面に眺めながら。

なんだかねえ・・そんな風に思うと不思議な気分になる。でも生きなくては・・生きている限りは。

秋夕焼け地球の影を燃え残す  KUMI  

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「我慢出来ない痛みはない」

2022年10月30日 | 俳句

天気 晴時々薄曇

 

昨日はあーちゃん親子が来てくれて、でも私が外へ出る元気はないので食事を一緒にする時間はなく、忙しく帰っていった。夫の命日が近いので、日曜に墓参りをしてくれるという。イレウスの入院騒ぎなどなければ、私も行けたかなあ、と寂しい。もう3年・・夫より3年も長生きしてしまった。

そんなことを考えるせいか、どうも体調も上向きにならない。かなり回復した筈の帯状疱疹も、お腹のあたりだけ痛みが残っていて、場所が場所なので湿疹の跡の痛みなのか、イレウスの痛みなのか、と疑うことになってしまう。退院の時、主治医に「再発する方は多いのでしょうか」と恐る恐る訊いてみた。

「1週間でまた入院の人も居ますし、一生再発しない人も居ますし。万一の時は又、考えましょう」みたいな、曖昧な返事しか返ってこなかった。正直な答えだと思う。手術出来なかったのだから、大丈夫、とは言えないのが当然だろう。

帯状疱疹の痛みなんて、イレウスの時に較べたらどうということもないのだが、気になって眠れないのが困る。イレウスの治療中は、激痛だったから点滴に痛み止めを入れて抑えてくれた。でも効いてくると昼夜ともに眠くなり、目覚めても今が何時なのか、食事をしなかったこともあり殆ど解らなかった。看護師が看回るので朝なのかなあ、といった調子で。今は、痛み止めのカロナールを飲むくらい。昼夜をきちんと確認していないと、食事時間まで眠っている訳にはいかない。

むかしは、手術後に痛み止めの注射をしたものだ。「二度までいいですよ」と言われ、あまり薬に頼るのも良くないかと思い一度で我慢したものだが・・

若い頃、仕事で会った外科のドクターと麻酔の話をしていたときに聞いたことを、今も思い出す。「麻酔がなかったら、患者は痛みにどこまで我慢出来るのでしょうか」と、訊いてみたのだ。

「我慢出来ない痛みはありませんよ」「??」 

「我慢出来なくなると人間、失神しますから」

そのドクターの話は、今も病院で痛い目に遭うと思い出す。失神するまでの痛みは経験がないので、まだまだ私には修行が必要? あ~厭だ。

 

この家も無人か屋根を打つ木の実   KUMI

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食事のことなど 

2022年10月28日 | 俳句

天気 晴

 

申し分のない秋晴れ、風もないようでお散歩日和。自分の運のなさを嘆くのにもうんざりしているので、もう言うまい、と思ったり。今、生き延びている運の良さを思うことだ。

老人ホームにもハロウィンはやってくる。日本へ本格的にハロウィンが流行し始めたのは20年くらい前なのだそうだ。昨夜の夜の報道番組で、20年前のハロウィン当日の渋谷スクランブル交差点の夜の映像を流していた。ちらほらと仮装の人が居て、周囲には場違いな感じで無視されていた。私は今も興味なし。でも、飾りつけくらいは眺めて楽しむ。

そんな日々、楽しみといえば食事しかなくて、今日の昼食は久々の海鮮丼だった。豪華な食事が出るのねえ、と誤解しないで欲しい。食べたい人は別料金を支払う。刺身を嫌いな人も居る訳で。写真に撮るほどには豪華ではないので撮ったことはない。貝やイカなどの固い刺身は使わないから、ちょっともの足りないが、イクラも入っていてまあまあの御馳走だ。

退院して普通食が食べられることになってから、改めて食事に感謝するようになった。退院してすぐは、ご飯だけは柔らかいものにしていたが、高齢者の施設だから固いご飯は普段から出ない。たまに、何かの催しの日に松花堂弁当にお赤飯が入っているが、その柔らかいこと・・物足りない。そんなことなので、良く噛めば問題なし。

そろそろ値上げを言い渡されそうな食事料金、私としてはあと2万円くらい値上げして、内容を充実させて欲しいが、このランクの有料ホームではこれ以上は無理なのだろう。不味くはない。かといって美味しくもない。時々の御馳走は美味しいこともあるけれど。ただ、化学調味料や添加物を異常に嫌って暮らしていた私が、不愉快になるような人工的な味のないのが有難い。無論、塩分は病院の「減塩食」に近いので、自宅から直接入居した人にはその不満が大きいようだ。必ず佃煮やら梅干しを持参する男性は多い。私と一緒のテーブルの女性は醤油差しと佃煮を必ず持参、何にでも醤油を少し掛ける。味を見てからにすればいいのに・・と思うけれど、人は人、自分は自分。余計なことを言い合わないのがストレス回避になる、と学んだ。

コロナ隔離後、私の前の席で食事をするのは、ほぼ全盲の車椅子の方だ。高齢になってからの失明のようだが、過去をあれこれ聞き出すことも私は自分からはしないのでよく解らない。でも、同じ4階だしことばは交わしてきた方なので、不愉快なことは殆どない。ボランティアで視力障害者のガイドヘルパーをした経験もあるから、全盲の方との付き合いは苦にならない。が、一つだけ気になることがあった。

「私、肉が嫌いなのよ、とくにここの豚肉が不味くてねえ」と繰り返しおっしゃる。私は肉も魚も、不味いと思うのは料理法がダメな時で素材の好き嫌いはない。だから、彼女の言い分はあまり愉快なことではなかった。なので何度目かの「こ豚肉、美味しくありませんねえ」と言ったとき、釘を刺してしまった。「私はいつも、美味しくいただいていますよ。今日はとくに柔らかく調理していて食べやすくて。Rさん、お嫌いなのは残念ですね」事実を言っただけなのだが言い過ぎたかも。

以後、彼女の「肉は嫌い」の言葉はなくなった。相変わらず肉料理は残すことが多いけれど。作ってくれる厨房の人に感謝感謝。

 

孤独にも孤食にも慣れ昼の虫  KUMI

(昨日の句会の句を推敲・添削したもの)

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俳句、作れた

2022年10月27日 | 俳句

天気 晴のち曇

午後はLINEでの句会の日なので、午前のうちに洗濯をして乾燥を終え片付けていたら、何かと助けてくれる近所の太極拳仲間の友人から電話があった。いつもLINEなので電話は珍しい。ホームの前まで先生と来ているのでせめてベランダから手を振って~と言う。

そんなことしなくても館内に入れるのに・・慌てて階下へ。今日は月2回のレッスンの日で、その帰りに私の居るのが駅近くなので先生に見せに来たのだという。嬉しいこと。先生には、スポーツジムで初めて出会ってから、訳あってそこのメンバーと個人的にレッスンをお願いして、15年以上も教わってきた。その割に上達はしなかったけれど、基本はきっちりと覚えたつもりなので、未だに転倒せずに歩ける。

部屋へも来てもらえるが洗濯物が散らばったままだし、1階の応接室で30分ほど。もう、太極拳を本格的には出来るようにはならないが、この帯状疱疹の症状が回復したらまた、体を動かそう。今は太ももが痛むので股関節のストレッチが出来ない。何もしなければ弱っていく一方、と解っていても・・

開催は最終木曜、と決めている句会、今日も何とか開催した。いつものように一人三つの席題で合計9句。でも今日は締切までの2時間が短かった・・というのも、途中で眠くなってしまったのだ。午前中に先生と会ったり洗濯したり・・の、些細なことも疲れるのだ。30分くらい熟睡したら俄然元気が出た。

それは別として、何とか9句を作ることが出来てほっとした。まだ認知症になってはいなかった証拠。体を動かせない入院をすると短期でも認知症になる人が居る。何しろ、丸7日間飲まず食わずで痛みと苦痛で七転八倒の日もあり。食事時間がないので昼夜もよく解らなくなり、昼間も痛み止めの点滴で眠っていたり。

よくまあ、頭だけでも無事だった、と、句会が終ってから妙に感激した。え?本当に大丈夫?自分でそう思っているだけかも。俳句はまあまあ普通に作れているけれど。

 

秋天へ高々と嬰児(やや)抱きあげる  KUMI

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朝の始まり

2022年10月26日 | 俳句

天気 晴

出掛けるだけの体力はないので、絵に描いたような秋晴れを眺め、富士山を眺めて。これでも病院で絶食絶飲の上に腹痛で七転八倒していた日々を思えば幸せだ。

今日は、何ヶ月ぶりかでカメラを出して富士山を撮ってみた。

邪魔なモノをすべてカメラアプリ機能で消すと、これしか残らない。

ここへ来る前の家からは、冬の晴天なら毎日下のような富士山を眺めていたので、今は不満といえば不満、でも生涯に富士山を幾度見られるか、という人からすれば、見えるだけでも「羨ましい」ことになるので愚痴はやめよう。

昨夜は、痛みの我慢をやめて鎮痛剤を飲んだ。実は、品不足で問題となった「カロナール」がまだ15回分くらい手元にある。免疫療法の副作用に頭痛と発熱があって、少し熱が出たことも。そのため、病院で毎回数回分を処方してくれた。使ったり使わなかったりで残りがかなり手元に残ったのだ。薬局からカロナールが姿を消した時ドクターに「今までの残りがありますので」と断った。それが、帯状疱疹で役に立つことになった。痛み止めはなるべく飲まない主義だが、眠れないのは困る。

おかげで、昨夜は熟睡、まではいかないがかなり眠れた。冬のように冷える朝になるというので、敷布団の足元にはホカロン。朝の気温がこのあたりは10℃を切っている。部屋は冷えても、廊下は終日暖房を入れているので、寒さで凍えることのないのは有難い。

雪の富士拝して今日の始まりぬ  KUMI

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