今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

昭和歌謡大全集2000・夏 (後編)

2006-07-19 19:05:20 | 歌番組

チータが語る三橋・春日の思い出
春日八郎はチータのために勝手に競走馬を買って来たそうだ(支払いはチータ・笑)。
三橋美智也は津軽三味線の師匠。
VTR
おやつはカール
三橋美智也「リンゴ村から」(昭和58年2月21日放送「にっぽんの歌」)

顔色がビターチョコなのは糖尿尿ゆえ
春日八郎「別れの一本杉」(昭和61年9月29日放送「にっぽんの歌」)


チータが語る美空ひばりの思い出・・・
ひばりに挨拶されるだけで、青江三奈と二人舞い上がってしまったそうだ。
ひばりを偲ぶ三人

VTR
美空ひばり「港町十三番地」(昭和54年4月22日放送「演歌の花道」)
美空ひばり「川の流れのように」(平成元年1月15日放送「演歌の花道」)

「港町~」はワンコーラスの歌唱でした。

トーク
ゲストは、久保幸江、菅原都々子、岡本敦郎、三條町子、二葉あき子、菊池章子、並木路子
当時の実演(歌謡ショー)の話など。
岡本は奈良光枝、三條は林伊佐緒・松島詩子に津村謙が多かったそう。
菅原はずっとワンマンショーだったとか。
VTR
左からライト、トップ、久保
久保幸江「トンコ節」(昭和48年12月30日放送「なつかしの歌声」)
菅原都々子「連絡船の唄」(昭和49年2月10日放送「なつかしの歌声」)
岡本敦郎「白い花の咲く頃」(昭和47年12月4日放送「なつかしの歌声」)


「トンコ節」はお座敷のセットで歌唱、終わりにはトップ・ライト師匠が登場。
菊池章子のざっくばらんトークは面白いし、人柄が伝わってくる。



一世を風靡した3人
VTR
この曲はちあきなおみの唄としても有名
小畑実「星影の小径」(昭和48年2月17日放送「なつかしの歌声」)

イヨマンテ
伊藤久男「イヨマンテの夜」(昭和46年12月31日放送「年忘れ大行進」)

死相が漂う…
岡晴夫「東京の花売娘」(昭和44年12月16日放送「なつかしの歌声」)

「星影の小径」の映像は演奏・歌唱共に素晴らしい。
しかし、岡・小畑はさておき、伊藤久男が一世を風靡というのは違和感が…。
「イヨマンテの夜」は確かに一世を風靡したと言えますが…。



昭和20年代の流行歌から…
VTR
今も元気で美声を聴かせてくれてます
三條町子「かりそめの恋」(昭和47年9月23日放送「なつかしの歌声」)

平成13年夏で引退
二葉あき子「フランチェスカの鐘」(昭和46年10月30日放送「なつかしの歌声」)

元夫は作曲家・大久保徳二郎
菊池章子「星の流れに」(昭和47年8月12日放送「なつかしの歌声」)

他の代表曲は「森の水車」
並木路子「リンゴの唄」(昭和44年12月31日放送「年忘れ大行進」)

ED
「お変わりなく。またお目にかかりましょう」と玉置。
しかし、翌年の放送時には並木路子センセが鬼籍入りされています。
チャームポイントはベロ


昭和8年~昭和41年まで33曲。
当時は2時間でしたが、中身は今に比べると濃いですね。
さて今年の夏はどうなりますやら…少しは内容改善がされていれば嬉しいのですけども・・・。

ちなみにスタジオ出演者の内、鬼籍入りされたのは
並木路子(01年4月7日没、79歳)
菊池章子(02年4月7日没、78歳)
塩まさる(03年10月16日没、95歳)
和田弘(04年1月5日没、73歳)
松山恵子(06年5月7日没、68歳)

の5名。謹んでご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m


昭和歌謡大全集2000・夏 (前編)

2006-07-19 16:38:39 | 歌番組

今でも春・夏の年2回放送される、テレビ東京十八番特番「昭和歌謡大全集」
第1回の放送が92年だったそうで、今年春までで26回放送されている模様。

私が、初めてこの番組を見たのは99年夏でした。
毎回楽しみに見ていますが、やはり7年も見ていると映像のダブりが多くなります。
時代の流れか年々戦前・戦後歌謡曲も流れなくなってきました(または1コーラスで切られる)。あげく「歌番組なのに」司会者の旅コーナーで1時間以上…。
残念ながらこの番組はドンドン内部崩壊を始めています。
それでも、1曲でも貴重映像があれば…と思って見てますが、今年春は酷いもので…。
「昭和歌謡大全集は死んだ」と筑紫哲也ばりに言いたくなりましたね(笑)。
それでも私はこの番組が放送終了と相成るまで見届ける覚悟です。
さて、今回の「昭和歌謡大全集」は2000年夏に放送したものの記録です。


トップ師匠登場
OPトーク~コロムビア・トップ登場。
トップ、玉置宏に促されて「なつかしの歌声」のフレーズを披露。
トップ「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を、若人には呼べど逝にて再び帰り来たらぬ古の幻を、さらば参りましょう昭和歌謡大全集
VTR
大津美子「ここに幸あり」(昭和49年1月13日放送「なつかしの歌声」)

トップ師匠健在、玉置センセもまだしゃべりがチャンとしてます(最近はカツゼツが…)
ことに時代を感じます。


トーク
ゲストは、大津美子、こまどり姉妹、花村菊江、松山恵子、和田弘とマヒナスターズ、曽根史郎、青木光一、白根一男
テレビ時代(創世記)のスターというくくり。
「当時のギャラは幾らか?」という質問に、みんな覚えていない。
こまどり曰く「500円くらい?」
和田弘「うちなんか6人だから余計わかんない」

他にはテレビカメラのレンズの話。
VTR
こまどり姉妹「ソーラン渡り鳥」(昭和56年7月12日放送「夏祭りにっぽんの歌」)

若い!
花村菊江「潮来花嫁さん」(昭和49年2月10日放送「なつかしの歌声」)

今日は落下傘ドレスじゃありません
松山恵子「未練の波止場」(昭和47年9月9日放送「なつかしの歌声」)

ゲストのうち、和田弘・松山恵子の2名はお亡くなりに・・・。
花村菊江の映像が流れたとき、「あら~」とあまりの変わりように声が(笑)鉄火場の姐さん
お恵ちゃんはマドロス姿での歌唱。このときの衣装は30年後も歌番組で披露した事があるのを思い出しました。



チータはこの歌手たちの歌は東京で聴いているそうである。
潮来花嫁さんはコンクールの課題曲だったそうだ。
VTR
マヒナ「泣かないで」(平成5年12月31日放送「年忘れにっぽんの歌」)

コスプレおじさん
曽根史郎「若いおまわりさん」(昭和59年7月14日放送「夏祭りにっぽんの歌」)
青木光一「早く帰ってコ」(昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」)
白根一男「次男坊鴉」(昭和47年7月1日放送「なつかしの歌声」)

全国警察官友の会推薦なんだそうだ「若いおまわりさん」(笑)
「次男坊鴉」の演奏はスィング感たっぷりで聴いていて心地よい。
オリジナル音源は何かもたついた感じがするし、再録音は問題外。


前回放送時から今回放送までの間に亡くなった歌手の追悼コーナー
淡谷のり子(99年9月29日没、享年92)
渡辺はま子(99年12月31日没、享年89)
池眞理子(00年5月30日没、享年83)
青江三奈(00年7月2日没、享年54)
淡谷の想い出は菊池章子が語る。
指環
形見の指環を見ながら、元気でいなきゃと思うのだがなかなか元気になれないそうである。
渡辺はま子の思い出は二葉あき子。
可愛らしいオバアチャマ
二葉「渡辺さんはね、そうあの頃は歌手もあまり多くなかったから、淡谷センセ、渡辺はま子さん、私って順番なの。それで渡辺センセはとっても明るい方で、夏になると思い出すんですけど、ビールをよく召し上がって、疲れちゃったからアンマさん呑もうよっていてね、アンマさんがビールになってね、二人で呑んでてね、みんな宿の人も寝ちゃったもんだから、アンマさん探しに行こうって、二人で台所行って、ビールがここらへんにあるよって二人で呑んだ記憶があります
池眞理子は並木路子、青江三奈はチータがそれぞれ想い出を語ってました。
菊池「華がある方ね、とっても素敵なね」(青江を評して)
VTR
ゲルマニウムローラー
淡谷のり子「別れのブルース」昭和45年9月15日放送「なつかしの歌声」
おはまさん
渡辺はま子「蘇州夜曲」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」
ステージで死ねた唯一の歌い手
池眞理子「愛のスウィング」昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」
井原静子(本名)は4つ年上
青江三奈「恍惚のブルース」平成4年9月27日放送「演歌の花道」

青江のVTRの時にはチータ号泣。
青江とは親友
しかし、このビデオを見る限り、並木センセが翌年亡くなるとはとても見えない…。
菊池・並木は故人、二葉は引退…。時代の流れを感じずにはいられないです。


昭和10年代コーナー。
トップ師匠と玉置宏のトーク。
レコードの溝の話などから…
玉置それを語っていただけるのは今やトップさんしかいないですから
玉置、テメーのほうが詳しいだろ
トップいるよ向こうに(笑)、田端義夫さんとか。塩まさるさんなんてもっと知ってるよ
会場爆笑。
年齢はトップと変わらないゲストたち

VTR
直立不動
東海林太郎「赤城の子守唄」昭和46年7月22日放送「なつかしの歌声」

愛称ピンちゃん
藤山一郎「東京ラプソディー」昭和48年10月7日放送「なつかしの歌声」

30cm巨根伝説
ディック・ミネ「或る雨の午后」昭和46年7月29日放送「なつかしの歌声」
トップ師匠の思い出
東海林「楽屋で並べられる駄洒落がきつかった。笑わなきゃ怒るし、笑いすぎりゃまた怒るし」
藤山「奥さんがよく楽屋掃除しに来たの」
ディック「想い出がありすぎちゃって何しゃべっていいか全然わかんない」

トーク
生きた化石
ゲストは昭和12年デビュー塩まさる昭和14年デビュー田端義夫
灰田勝彦の思い出
「青春が歩いてるような感じ」(田端・談)
霧島昇の思い出
「霧さんは同じ区域で育った。いわば親戚同士みたいなものだった」(塩・談)

VTR
当時の方が老けてる?
塩まさる「九段の母」昭和45年12月31日放送「年忘れ大行進」

ギターがアレじゃない!
田端義夫「大利根月夜」昭和47年11月19日放送「なつかしの歌声」

ヅラ
霧島昇「誰か故郷を想わざる」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」

自称:ハワイ生まれの江戸っ子
灰田勝彦「新雪」昭和49年3月31日放送「なつかしの歌声」

何だかバタヤンより塩まさるの方がしっかりしてるように見える
既にボケが来てるバタヤン、これから6年、今も健在です。
バタヤンのギターが例のオンボロギターじゃない(驚)。
霧島は元ボクサーだったそうである(トップ・談)

(後編へ続く)