あるがままに徒然雑記

日々の雑感を、時に任せて・・・

府中市四谷方面寺社巡り 3

2012-09-10 | 日記
四谷地区の散策もいよいよ終わりになりました。
中隠居の門→四谷文化センター→三社宮神明社→四谷尋常小学校跡と
田園風景を楽しみながら四谷下堰緑地まで約4kmの行程でした。

中隠居の門
民俗学者として有名な、宮木常一氏が、
その著書「私の日本地図」で紹介した四谷の市川家の門
昭和45年の撮影当時のまま残されている。
中隠居と呼ばれる市川家は四谷の篤志家として、
松の植林など多摩川の護岸工事に貢献した。


三社宮神明社
四谷村の鎮守社。ご祭神は三柱の神様をお祀りしている。
主祭神は「天照皇御神」通称お伊勢様
「宇迦之御魂神」通称お稲荷様 農耕の神様
「猿田彦命」通称賽の神 ニギギノ命が高天原から降臨された折に、
道案内され、後に悪神や凶事を防ぐ神様。


四谷尋常小学校跡
明治13年(1880)四谷村単独の四谷学校創設。
明治25年(1892)尋常小学校となる。
昭和13年(1938)奇秀学校(現第五小学校)と合併し、
四谷分教場となる。
昭和20年(1945)分教場廃止。
現在は公会堂として利用されている。



府中市四谷方面寺社巡り 2

2012-09-09 | 日記
正光院から小野神社~間嶋神社へと続きます。

小野神社
武蔵国多摩郡 式内社
府中市 多摩川の左岸、住吉町にある。
住宅地にある公園の横にあり境内がつながっている。
また、欅の古木が多く立っている。

多摩川を挟んだ多摩市一宮に同じく小野神社があり、
そちらは、武蔵国一宮とし、同じく式内社 
多摩川の班氾濫により社地が移動し、遷座を繰り返し、
二社になったとする説があり、
遷座の時期は平安末期と想定されている。

社号標


鳥居


拝殿


拝殿扁額


古い鳥居


古い手水


現在の手水舎


間嶋神社(あいじまじんじゃ)
祭神は子の権現、秩父の子の権現(飯能、天龍寺)を勧請した神社

もともと関戸橋西方の青柳島にあった集落で、
多摩川の洪水で流されたため移転した集落。
青柳島の住人の多くは、国立の青柳に移住した。
地名の起こりは不明、河川との間の島のような
中州にあった集落が地名になった。




二十三夜 下弦の月
真夜中に出てくる月 
3:40分時の月


朝7:10分時の月 


7:10分時の空

府中市四谷方面寺社巡り

2012-09-08 | 日記
四谷の田園風景を訪ねながら寺社や史跡も巡ってきた。
再度、西府駅前の御嶽塚古墳から、
日本電気内にある一里塚の碑を見学し、
新田川緑道を歩き「正光院」へ。

広い日本電気構内、右側に一里塚の跡地の碑がある。


正光院
真言宗吟松山長閑寺という。
墓所には本宿小野宮の旧家内藤家の墓所がある。
創建については詳らかにされていないが、
1300年代の鎌倉時代から南北朝、室町時代の板碑がある。


観音堂
多摩川三十三観音霊場第26番札所


本堂
老朽化により平成16年に木造の新本堂を建立


六地蔵
とても優しい顔をしていた。

府中市四谷の田園風景散策

2012-09-04 | 日記
お彼岸の頃が見ごろとなる彼岸花の里の下見に、
四谷下堰緑地までの田園地帯を散策してきました。
まだ彼岸花は球根が少し顔を出している状態だったが、
お彼岸の頃は一気に咲いて楽しませてくれることを期待する。
昨年と同じ炎天下汗だくの散策だった。
青空と緑の田んぼ、見事に実った稲がこうべを垂れていた。

四谷自然緑地


四谷下堰緑地
この辺一帯が彼岸花の里


田んぼのある風景




田んぼのあぜ道にもいっぱいの彼岸花が咲く


彼岸花の球根


キツネノカミソリ 一株だけ咲いていた


四谷下堰緑地までの途中に咲いていた花々



ベランダから見た夕暮れの空


コバルト色の夜空がきれいだった





府中市・文化遺産を訪ねて

2012-09-01 | 日記
東日本大震災からもうすぐ1年半。
「防災の日」の1日、全国各地で地震や津波を想定した訓練が実施された。
「防災の日」は、被災地の人々が復興へ向かって、
懸命に頑張っているその現状を心新たにしてしていきたい日でもある。

奇しくも1日の天候は荒れ模様
8月に降らなかった雨が一気に激しい雷雨となり暴れだした。
かろうじて雨が降り出す前に市内の文化遺産を訪ねてきた。

市史跡 御嶽塚(みたけづか)
平成16年3月府中市史跡に指定される。
市内でも数少ない盛土が現存する貴重な塚

JR南武線西府駅の西、徒歩1分。
西府文化センターの一角にある。
府中崖線沿いのこの地域では発掘調査によって
約13基の古墳群が発見されたが、この御嶽塚はそのひとつ。
周囲に溝のある円墳だったと考えられる古墳で、
塚の上の石祠には御嶽大権現が祀られてある。
西府文化センターの西側には、
圭頭太刀、鉄鏃、金銅製の耳飾りなどの多くの副葬品を伴う、
河原石積みの横穴式石室の古墳が、
並んでいたことが明らかになっている。
これらの古墳は、御嶽塚古墳群と呼ばれ、
古墳時代後期の6世紀から7世紀初めに築かれた古墳である。

御嶽塚


御嶽大権現の石祠


「小野宮願主内藤伊助 安政五年十一月吉日」の銘


市指定文化財
甲州街道本宿一里塚跡

甲州古道は、江戸を起点とする五街道のひとつであり、江戸日本橋から、
内藤新宿を経て、府中宿を通り、さらに多摩川を渡り、日野の万願寺、
そして甲州へと続き下諏訪で中山道と合流していた。
この本宿一里塚は、江戸よりちょうど八里目にあたる一里塚。
現在は日新町1-10、日本電気(㈱)府中事業場内にあり、
この碑も日本電気(㈱)によって昭和43年に建てられたもの。
見学は受け付けに寄り許可が必要です。

七里目は市指定文化財、甲州街道常久一里塚跡が
清水が丘3-15にあります。

塚の上には、榎やけやきなどが植えられて、
旅人が陽射しを避ける休所ともなった。



甲州道中一里塚跡の碑