一句鑑賞

街歩き

本日の天気予報、午後はところにより雨でした。

確かに曇り空で推移しぱらっと来るかなと思いきや、来ない。

夜はどうだろうと考えましたが、ウォーキングは中止にしました。

11時近くになってざっと降りました。結果は歩けたのですが、疲れもあって中止。

今週のオフはどうしよう・・・独り吟行ですこし遠くまで出かけたい。

 

今週のオフの予定も決まらないのに、11月のとある一日が仕事の予定です。県の食品関係の講習会がありますので出席申し込みをしております。

場所が筥崎宮裏手にある県の合同庁舎。午前の部に申し込んでいるので済めば近所でお昼となります。コンビニのイートインでも構わないけど、せっかく箱崎ですから久しぶりに蕎麦宗右衛門にでも考えてますが・・・曜日がどうだろう?休業日ではないだろうか、あとでネットで調べよう。前回はいつだった?ざる蕎麦か、天ざるか、或いは鴨せいろのどれかを食べます。

この箱崎界隈は道が狭い!といっても昔からの歴史の歴史の町だから仕方ない。

当日はJR利用となるので、お昼から箱崎を歩いてみたい。いにしえの何かに出合えるかもしれないし、昭和の匂いを残す店舗などあるかもしれない。蕎麦屋にこだわらずに小路から小路へとトリップしてみたい。

 

筥崎宮のはこは、筥ですが町名などに使用される字は箱です。地名の由来は神功皇后さんが後の応神天皇を出産されたときの胞衣(胎盤)を箱に納めて、誕生の地から宇美川に流した。それが流れ着いた先が地名の由来だとか・・・でお宮さんが筥崎だから、少し控える意味で箱崎の字を使うとの伝えとある。がどうだろう?後世のこじつけ見たいかな?筥松という地名はすぐ近所に残っているのにね。箱は今でも貴重品を納めますね。そういった意味では分かります。

 

この辺りは博多区千代(ちよ)から箱崎、その先の貝塚(かいづか)、多々良川(たたらがわ)を渡り千早(ちはや)から香椎へと松原続きだったのだろう。そして香椎(かしい)の先には唐の原(とうのはる)という唐人が住んでいただろう地。その先が和白(わじろ)といって神功皇后時代からの伝説が多く残っている。

そして奈多(なた)の松原から海の中道、志賀島へ続くのですね。昔は松原が続き見事な景色だったでしょう。

箱崎松原では秀吉さんが九州征伐(やられたわけではないのだが)の際に陣を張り茶会を行ったとか伝わっております。秀吉の博多町割りと言われる町内の区画割りが下呉服町に残っていますが、箱崎辺りの細かく小路の町割りはそのころ行われたのかなと考えたりします。今も狭くて車が離合できないそんな町です。

 

その箱崎の中のまた細かな地名がなかなか好いのですね。子供の頃から聞いていた地名では、網屋立筋(あみやたてすじ)とか馬出(まえだし)など忘れることのない地名です。いつかじっくり歩いてみたいです。

馬出のどこだったか、今行っても場所が分からないが、「赤のれん」というラーメン屋さんがあった。ここもいずれ訪ねてみたい。知る人ぞ知るラーメンのレジェンド歴史そのものお店です。50年ほど前に数回行きました。

 

今夜はなぜか地名が頭を支配している・・・困ったもんだ。

文章もまとまらない・・・<(_ _)>

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