体重62キロ台は二日天下で、その後は61,8キロが続いている。62キロ台にのせたとしても、63キロ台は年内には届きそうもない。まだ食べると気持ち悪くなることがあるからだ。血尿が1日おきに少量ではあるが出ているので鶏のレバーを食べるのだが、気持ち悪くなるので沢山は食べられない。
これまで遠出というと、辻井伸行さんのピアノを聴きに行ったサントリーホールと紀尾井ホールで、共に慎重を期してタクシーで往復した。
12月2日(水)にフィジーから帰国して初めて地下鉄に乗った。空いている昼前後に大手町まで往復し、丸善のビルの上層階にある小松庵でそばの定食を食べた。ここの蕎麦は以前に食べて美味しかったので、今回は、天丼と温かい蕎麦のランチでその美味しさに満足した。このランチのせいか、ずっと61キロ台だった体重がその夜、一気に62、2キロになった。翌晩も62キロでなんとかギリギリで62キロ台を維持している。
12月2日(水)にフィジーから帰国して初めて地下鉄に乗った。空いている昼前後に大手町まで往復し、丸善のビルの上層階にある小松庵でそばの定食を食べた。ここの蕎麦は以前に食べて美味しかったので、今回は、天丼と温かい蕎麦のランチでその美味しさに満足した。このランチのせいか、ずっと61キロ台だった体重がその夜、一気に62、2キロになった。翌晩も62キロでなんとかギリギリで62キロ台を維持している。
昨年11月25日の下記のブログに感想を書くようgooブログから求められた。
「寂聴さんの家を後にして奈良のホテルに行き、翌日キトラ古墳とその近所にある檜隈寺趾を観た。この地域は六世紀頃の早い時期の渡来人が定住した所のようだ。檜隈の隈は李寧煕さんが朝鮮で活動していたと言っておられたクマ族のことであろう。キトラもおそらく古代朝鮮語なのであろう。
一旦飛鳥駅に戻り同じ1日バス券で写真を掲載している高松塚古墳に行った。彼女によると天武天皇も葬られていた持統天皇の古墳から天武天皇の遺骨が高松塚古墳に移されたのだと言う。」
この頃トミに記憶力が衰えたので、恐らく、寂聴さんを訪れたのは長の別れのつもりだったのではないかと思う。
飛鳥に関心を持って行ったのは、この地方に古代の先進朝鮮民族が移住してきたのを確認したかったからだろう。李寧煕さんなど朝鮮語と日本語の関係に詳しい人が枕詞に古代朝鮮語を見ているところからも、おそらくアスカという言葉も古代朝鮮語なのではあるまいか。
「寂聴さんの家を後にして奈良のホテルに行き、翌日キトラ古墳とその近所にある檜隈寺趾を観た。この地域は六世紀頃の早い時期の渡来人が定住した所のようだ。檜隈の隈は李寧煕さんが朝鮮で活動していたと言っておられたクマ族のことであろう。キトラもおそらく古代朝鮮語なのであろう。
一旦飛鳥駅に戻り同じ1日バス券で写真を掲載している高松塚古墳に行った。彼女によると天武天皇も葬られていた持統天皇の古墳から天武天皇の遺骨が高松塚古墳に移されたのだと言う。」
この頃トミに記憶力が衰えたので、恐らく、寂聴さんを訪れたのは長の別れのつもりだったのではないかと思う。
飛鳥に関心を持って行ったのは、この地方に古代の先進朝鮮民族が移住してきたのを確認したかったからだろう。李寧煕さんなど朝鮮語と日本語の関係に詳しい人が枕詞に古代朝鮮語を見ているところからも、おそらくアスカという言葉も古代朝鮮語なのではあるまいか。
昨11月28日(土)は待ち遠しい辻井伸行ピアノコンサートだった。まだ体調が回復していないのでタクシーで紀尾井ホールに行った。高速を使ったので、開演午後2時の1時間も前に着いた。切符は知り合いにS席を2枚買ってもらっていて、前回は、サントリーホールの前から3列目だったが、今回は12列目だったのに、音響効果が良いホールで十分堪能できた。ショパンづくしでノクターンに始まり、ワルツ、バラードの後にアンコールを3回も弾いてくれた。ネットでいい演奏を何回も聴いているが生演奏はそれをはるかにしのぎ、素晴らしいの一語に尽きる。
前回のブログに初恵さんが辻井伸行のピアノが好きだとコメントしてくださっていたが、重病、入院で返事ができなかった。私は辻井伸行さんのピアノばかりではなく、性格も好きだ。ともに人を癒すものを持っておられる。来年の紀尾井ホールでの演奏も生き延びていれば是非聴きたい。
前回のブログに初恵さんが辻井伸行のピアノが好きだとコメントしてくださっていたが、重病、入院で返事ができなかった。私は辻井伸行さんのピアノばかりではなく、性格も好きだ。ともに人を癒すものを持っておられる。来年の紀尾井ホールでの演奏も生き延びていれば是非聴きたい。
フィジーにいた時、辻井伸行のピアノをネットで聴くようになり、帰国してからも入院中を除いて聴き続けている。それに加えて、アリス・サラ・Ottのピアノも聴くようになり、久方ぶりで高橋竹山を聴いてからは、その音色がピアノに近いことに気づき、特に高音がリストのラ・カンパネッラを想起させるので、今は、津軽三味線にはまり、さらに尺八に聴き惚れている。
欧米のクラシックに匹敵する音楽が日本にもあるのだ。
欧米のクラシックに匹敵する音楽が日本にもあるのだ。
体重が61キロを越えてからなかなか62キロを越えられない。毎日4,5回排便しそのたびに小さくて硬い黒っぽいのがいくつか出るから全くの便秘というのではないが、スッキリしない。スッキリすれば食欲がもっとでて体重が増えるのかもしれない。一度62キロになったが、昨夜は61.2キロだった。しかし体力がついてきている感じなのが救いだ。
gooブログから昨年11月5日のブログに感想を書くよう求められた。その内容は以下に再録した。
「PSAは9月10月の数値16、93から15、3に下がったのに続き14,23だった。大久保医師は喜んで下さったが、下がったとはいえ僅かで、予想していた通りで、イクスタンジはあまり効かない感じがしたから採血した翌日からもう飲んでいないと話した。」
フィジーから帰国したとき、イクスタンジを飲んだが副作用が強く出たのでやめて、大久保医師の処方したザイティガを飲んだ。しかしこれも副作用が強く出たのでやめた。それにもかかわらず、これが腎不全を招いたと思っている。
PSAは昨年に比べたら三桁になっているからその値を下げることは諦めると大久保医師に伝えた。帝京の主治医に抗がん剤治療を断って最後の正月だと言われてから三年持った。
「PSAは9月10月の数値16、93から15、3に下がったのに続き14,23だった。大久保医師は喜んで下さったが、下がったとはいえ僅かで、予想していた通りで、イクスタンジはあまり効かない感じがしたから採血した翌日からもう飲んでいないと話した。」
フィジーから帰国したとき、イクスタンジを飲んだが副作用が強く出たのでやめて、大久保医師の処方したザイティガを飲んだ。しかしこれも副作用が強く出たのでやめた。それにもかかわらず、これが腎不全を招いたと思っている。
PSAは昨年に比べたら三桁になっているからその値を下げることは諦めると大久保医師に伝えた。帝京の主治医に抗がん剤治療を断って最後の正月だと言われてから三年持った。
今日、火曜日は訪問診療日だったので、溜まり尿の赤い血尿を大久保医師に見せて、先週カテーテルを替えてから排便時にちょっと気張っただけで出血するようになっているのは、バルーンが当たっているところからの出血ではないかと訊ねると、バルーンの食塩水を半分くらいに減らしてくれた。そのあとの排便時に少し気張ったが出血しなくなった。
昨夜の入浴時の体重は61.6キロだった。一昨夜は61.4。60キロになかなか戻らなかったが、先週初めになってやっと61キロになってからはこのところ毎日200グラムずつ増えている。歩行力もついてきた。
ところが昨日の朝日を浴びて、居間で日向ぼっこをしている自分の顔がガラス戸に映っているのを見て愕然とした。これでよく生きているという憔悴しきった皺くちゃの顔なのだ。やはり死にかけて辛うじて生き延びているのかもしれない。
体力をつけるしかない。
ところが昨日の朝日を浴びて、居間で日向ぼっこをしている自分の顔がガラス戸に映っているのを見て愕然とした。これでよく生きているという憔悴しきった皺くちゃの顔なのだ。やはり死にかけて辛うじて生き延びているのかもしれない。
体力をつけるしかない。
カテーテル・バルーンを取り換えてから少し出血するようになり、昨日、木曜日は訪問看護の日で丁度良く婦長の向田さんが来たので聞いた。カテーテル・バルーンが新たな膀胱の毛細血管に当たるとそこから出血したり、その出血を止めたりするそうだ。溜まり尿がピンクになるぐらいは心配ないという意見だった。下肢のマッサージをしてもらい、立ったままする姿勢矯正の方法も教わった。向田さんは、以前訪問看護を受けていたわたしの入院をいち早く知って2回見舞いに来てくださった。