昨日、脱原発を訴える「さようなら原発集会」が東京・明治公園で開催され、6万人の人たちが集まったのだとか。
さすがに、「フジテレビに対する抗議デモ」と違って、各局ともにニュースとして報じていた。
http://www.asahi.com/national/update/0919/TKY201109190278.html
原発については、賛否両論あると思う。
原発なしに電力が確保できるのであれば、それに越したことはない。
もちろん、コスト等のリスクもクリアしての話だけど。
福島原発での事故が、天災によるものなのか、人災によるものなのか、という議論もあると思うが、ウエイトはともかく、両方ともに存在することは間違いないと思う。
少なくとも、現政府が「ほとんど何もしてこなかった」という事実が、事態を悪化させたことには異論はないはずだ。
だから、このような集会が盛大に行われても、何ら不思議ではない。
ただ、何となく胡散臭く感じるのは、この男が表に出てきているから。
大江健三郎。
ご存知「ノーベル賞はもらうけど、文化勲章はいらない」と言い、何の検証もしなかったくせに「沖縄ノート」で、当時の軍隊のみならず、沖縄の人たちを愚弄した上に、批判に対しては常に逃げ回っている卑怯者だ。
この男が出ている限り、集会の趣旨には賛同できない。
今回の集会でも「原子力は荒廃と犠牲を伴う」と言い、「だからいらない」と言っている。
一見もっともらしい意見だけど、だったら火薬とか火全般に対して、もっと批判的にならないとおかしい。
身近なもののうち、あんな危険なものはない。
でも、すでに人間の生活にはなくてはならないものになっている。
つまり、そんな危険なものを「どう安全に扱うか」が問題なのであって、そのために人類は、ずっと努力してきた。
その結果、我々の暮らしが変わってきたわけであって、そこに「犠牲」がなかったはずがない。
だから、「安全が確保できない」というのであれば廃止すればいい。
もちろん、災害には「ヒューマン・エラー」はつきものである。
それを踏まえての安全だから、「絶対」はない。
そういう議論を抜きにして、「事故が起きたから、即廃止」というのは、あまりにも短絡的で、逆に危険だと思う。
しかも、大江のような「常に相手を見ながら、強いものには媚びる」ヤツが訴えることは信用できない。
いや、単なる感情的なものだということはわかっている。
だけど、こいつに対しては「本能的」に胡散臭いと感じてしまう。
同じことをシナに対しても言えるのなら、それでいい。
しかし、この人の場合、シナ人の前で「嬉しそうに土下座する」くらいのヤツだから、もともと信用できない。
あと、坂本龍一などが参加しているが、ミュージシャンは、もともと「こうなればいいな」と思っていることを歌や曲にして生きている人たちだから、常に理想世界しか思い描いていない。
こういう連中が「世界平和」や「原発反対」を叫ぶことに、特に違和感はないが、功成り名を遂げた人たちばかり、というのはちょっと気になる。
つまり、原発がなくなろうと、自分たちは十分生きていける、という人たちだからだ。
これまで、楽器とかマイクとかスピーカーとか、散々「電気」の世話になっておいて、今さら「原発はいらない。電気がなくても生活できる」などと訴えることに説得力はゼロだ。
まっ、「電気はいらない」とは言ってないかも知れないけど・・・
あと怖いのは、誰かが声を挙げると、何も考えずに追随する人間が多いこと。
もちろん、それはフジテレビに対する抗議デモにも言えることだとは思う。
いずれにしても、大江健三郎を見ただけで、脊髄反射してしまいました。
さすがに、「フジテレビに対する抗議デモ」と違って、各局ともにニュースとして報じていた。
http://www.asahi.com/national/update/0919/TKY201109190278.html
原発については、賛否両論あると思う。
原発なしに電力が確保できるのであれば、それに越したことはない。
もちろん、コスト等のリスクもクリアしての話だけど。
福島原発での事故が、天災によるものなのか、人災によるものなのか、という議論もあると思うが、ウエイトはともかく、両方ともに存在することは間違いないと思う。
少なくとも、現政府が「ほとんど何もしてこなかった」という事実が、事態を悪化させたことには異論はないはずだ。
だから、このような集会が盛大に行われても、何ら不思議ではない。
ただ、何となく胡散臭く感じるのは、この男が表に出てきているから。
大江健三郎。
ご存知「ノーベル賞はもらうけど、文化勲章はいらない」と言い、何の検証もしなかったくせに「沖縄ノート」で、当時の軍隊のみならず、沖縄の人たちを愚弄した上に、批判に対しては常に逃げ回っている卑怯者だ。
この男が出ている限り、集会の趣旨には賛同できない。
今回の集会でも「原子力は荒廃と犠牲を伴う」と言い、「だからいらない」と言っている。
一見もっともらしい意見だけど、だったら火薬とか火全般に対して、もっと批判的にならないとおかしい。
身近なもののうち、あんな危険なものはない。
でも、すでに人間の生活にはなくてはならないものになっている。
つまり、そんな危険なものを「どう安全に扱うか」が問題なのであって、そのために人類は、ずっと努力してきた。
その結果、我々の暮らしが変わってきたわけであって、そこに「犠牲」がなかったはずがない。
だから、「安全が確保できない」というのであれば廃止すればいい。
もちろん、災害には「ヒューマン・エラー」はつきものである。
それを踏まえての安全だから、「絶対」はない。
そういう議論を抜きにして、「事故が起きたから、即廃止」というのは、あまりにも短絡的で、逆に危険だと思う。
しかも、大江のような「常に相手を見ながら、強いものには媚びる」ヤツが訴えることは信用できない。
いや、単なる感情的なものだということはわかっている。
だけど、こいつに対しては「本能的」に胡散臭いと感じてしまう。
同じことをシナに対しても言えるのなら、それでいい。
しかし、この人の場合、シナ人の前で「嬉しそうに土下座する」くらいのヤツだから、もともと信用できない。
あと、坂本龍一などが参加しているが、ミュージシャンは、もともと「こうなればいいな」と思っていることを歌や曲にして生きている人たちだから、常に理想世界しか思い描いていない。
こういう連中が「世界平和」や「原発反対」を叫ぶことに、特に違和感はないが、功成り名を遂げた人たちばかり、というのはちょっと気になる。
つまり、原発がなくなろうと、自分たちは十分生きていける、という人たちだからだ。
これまで、楽器とかマイクとかスピーカーとか、散々「電気」の世話になっておいて、今さら「原発はいらない。電気がなくても生活できる」などと訴えることに説得力はゼロだ。
まっ、「電気はいらない」とは言ってないかも知れないけど・・・
あと怖いのは、誰かが声を挙げると、何も考えずに追随する人間が多いこと。
もちろん、それはフジテレビに対する抗議デモにも言えることだとは思う。
いずれにしても、大江健三郎を見ただけで、脊髄反射してしまいました。
こういう連中が「世界平和」や「原発反対」を叫ぶことに~
こういった連中って平和でデモもある程度は許容されている日本では我が物顔で行うくせに、本当に訴えなければいけない国(北朝鮮や中国、中東の核保有国など)では何もしないんですよね。
真に平和を願うのなら世界規模で訴えるべきなのに日本から出ようとはしない。
私の中では自己満足のエセ活動としか思えません。
まあ、基本的に「歌で平和を訴える」連中ですから、正面きって堂々と言う、なんてことを普段からしていないわけで・・・
彼らからしてみれば、かなり「一生懸命やってるんだぜ」ってところでしょうか。