はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

映画評1119 ~ ウィッシュ

2023-12-18 | 映画評
今回は「ウイッシュ」です。

ウォルト・ディズニー・カンパニーの創立100周年を記念して製作された、ディズニーの長編アニメーション。新たなディズニー・ヒロインのアーシャを主人公に、魔法の王国の真実を知ってしまった彼女が起こす奇跡を描いたファンタジーミュージカル。
監督は「アナと雪の女王」シリーズのクリス・バックと、「アナと雪の女王」や「ズートピア」などでストーリーアーティストを担当したファウン・ビーラスンソーン。脚本はクリス・バックとともに「アナと雪の女王」を手がけた、ディズニー・アニメーション・スタジオのクリエイティブ・オフィサーでもあるジェニファー・リー。音楽は、ジャスティン・ビーバーやエド・シーランにも楽曲を提供しているソングライター兼アーティストのジュリア・マイケルズ。「ウエスト・サイド・ストーリー」でアカデミー助演女優賞を受賞したアリアナ・デボーズがアーシャ役の声優を務めた。


<ストーリー>
どんな願いもかなうと言われているロサス王国。魔法を操り国を治めるマグニフィコ王は、国民から慕われているが、お城で働く17歳のアーシャは、ある秘密を知ってしまう。それは、人々の願いがかなうかどうかを王が決めていること、王は国のためになる願いだけをかなえており、国民が王を信じてささげた願いのほとんどはかなえられることがないということだった。王国の秘密を知ってしまったアーシャは、王を信じて託した人々の願いを救いたいと、夜空の星に祈る。すると、空から魔法の力をもった願い星のスターが舞い降りてくる。スターの魔法によって話すことができるようになった子ヤギのバレンティノやスターとともに、アーシャはみんなの願いのために奮闘する。


ディズニー100周年を記念した作品ということらしいが、本国では散々な興行成績だったようだ。

ネットなどでも「ストーリーは王道だが平凡」という批判もあったので、あまり期待はしていなかったのだが、主題歌がいい感じだったので見ることにした。

結論から言うと・・・平凡だ何だと言う以前に、これって勧善懲悪なのか?という疑問がわくほど、ストーリー設定がよくわからなかった。

監督だったか誰かが「この作品には、ディズニー作品に対するオマージュが100か所出てくる」と言ったそうだが、そういうことはどうでもいいくらいの内容だった、と言っていいと思う。

まず、「どんな願いもかなう」と書かれているけど、実際にはそうでもない。

みんなの「夢」を王様に託すと、1年に一度そのうち何人かの夢がかなう、という程度のものであって、全員の夢がかなうわけではない。

年に数人の願いがかなうだけなのだから、当然ここ数年の間に自分の願いがかなっていない人もいるわけで、それなのに「みんなの夢がかなう」と思うこと自体が実に不自然だ。

しかも、その「夢」というのは、王様に託した時点で忘れてしまう、というものなので、実際に夢がかなったところで、必ずしも「長年の夢がようやくかなった」という気持ちにはならないだろう。

そもそも、「夢」って時代によって変わっていくものではないのか。

実際、劇中でもそういう声を挙げた人もいるのだが、小さい頃の夢を大人になってかなえてもらったところで、果たして本人は喜ぶものだろうか。

つまり、前提がよくわからないので、その後の展開に対して期待感が湧いてこないわけだ。

だけど、それでもみんな幸せに暮らしているのだから、ある意味「文句を言われる筋合いのない王国」である。

それに、ここの王様はそこまで悪い人物ではない。

人々の夢を気まぐれでかなえてあげているだけで、王国に住む人たちを力で支配しているという雰囲気はまったくない。

だいたい、あらゆる魔法を研究した結果、いろんな魔法を使えるようになった人間が、それを自分の支配欲のためだけに使っているのではないのだから、こんな優しい王様はいないだろう。

それが「暗黒面」に落ちてしまった原因は、主人公アーシャが星に「王を信じて託した人々の願いを救いたい」という願い事をしてしまったせいである。

ウブな少女がそのような願いをすること自体は特に問題はない。

この作品の評判が悪いのは、ここからの展開がムチャクチャだからだと思う。

あらすじにもある通り、アーシャの願いを聞いた「星(スター)」がホントに出現するのである。

見た目はほとんど「星のカービィ」なので、ここからはカービィと呼ぶことにするが、この物語の主人公は実はアーシャではなく、このカービィである。

実際に王様を倒したのはカービィだから。

こいつが出現したせいで、自分の王国がおかしくなってしまうと思った王様が、カービィを捕まえるために禁断の魔法書を開いてしまったせいで、この王様は暗黒面に落ちてしまうのである。

王様が人々の夢を込めたものを潰すと、それによって自身の力が増大するということに気づいたのは、これ以降である。

つまり、アーシャが余計なことをしなければ、この王国は今まで通り幸せな国だったのは間違いない。

元々たいした野心を持っていなかった王様(しいて言えば「オレは世界一ハンサムだ、と思われたい」ということくらい)が、あんな風になったのは、カービィが出現したせいだ。

しかもこのカービィ、すべての動植物が話せるようにするなど、実に余計なことをする。

それで、しゃべれるようになったのはいいけど、アーシャが王様とバトルをしている時に、森の動物たちや木とかキノコが彼女を助けるわけでもなく、ただ単にしゃべれるようになったというだけ。

最後の方で、しゃべれるようになったヤギのバレンティノが「世の中のすべての哺乳類が仲良く暮らせるようになればいいのに」というようなことを言っていたが、そういう映画にしたいのであれば、そういう展開にすればいいのに、王様とのバトルでは何の役にも立っていない。

なぜカービィはアーシャの願いだけに反応したのか、という説明も一切ない。

とにかく、アーシャの祈りに反応してカービィが出現することによって、一気に王国に不穏な空気が流れてくるので、見ていて違和感しかなかった。

それに、この王様がいなくなったこの王国は、これからいったいどうなっていくんでしょうね。

いちおう妻だった王妃が新しく女王になったわけだけど、この人魔法が使えるわけでもないし・・・

ついでに言うと・・・

アーシャが王様に対して不信感を抱くようになったのは、アーシャが王様の従者になろうと面接に行った際、王様に対して「今年100歳になる私のおじいさんの願いをかなえてほしい」と言ったところ、王様がこのおじいさんの願いを見て「これは危険だからかなえることはできない」とつっぱねたことによる。

その願いというのは「ギターを弾きながらみんなと歌を歌う」という実に平和なものだったのだけど、こんなもののどこが危険なのかわからないし、実際そのような説明もしていない。

つまり、王様がこのおじいさんの願いをかなえていさえすれば、その後の展開はなかったわけだ。

王様はアーシャに対してかなり強い口調で言っていたのだけど、ここで王様が豹変する理由がよくわからない。

そこまでこだわる理由があるのなら、それを軸に物語を組み立てればいいのに、それもなしに一気に話を進めるから、実に変な展開になったのではなかろうか。

ということで、内容にはかなり違和感があって、とても感動できるものではありませんでした。

ただ、相変わらず劇中で歌われる歌はすばらしいので、評価としては「C」にとどめておきます。

今作も字幕版で見たのですが、主人公の声を演じたアリアナ・デボーズはもちろん良かったですが、
王様を演じたカーク船長(クリス・パイン)もなかなか良かったです。

おまけで・・・

本編の前に、100周年を記念する短編アニメが上映されたが、ミッキーマウスを中心に実にたくさんのキャラクターが生まれたんだなあ、と改めて思いました。


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