
A Different Perspective - WordPress.com(出典)
先日、画像を探していてこの1枚を見つけた。
母の頭にキスをする幼女はのちに美少女コンテスト嵐と呼ばれ、無残にもクリスマスの翌日何者かに殺され、自分の家の地下室から発見されたジョンベネ・ラムジーだ。
1996年6歳で彼女の人生は何者かに幕を閉じられてしまった。
彼女の母パトリシアは元ミス・ウエストバージニアであり、娘に自分が叶えることができなかったミス・アメリカになることを期待していたという。
しかし1993年に彼女はガンの診断を受ける。
本来は娘がティーンエイジャーになるまでコンテストに出すつもりはなかったという。
このガンであるという事実が、自分が生きている間にとパトリシアの考えを変え、幼い娘を美少女コンテストに出場させることになった。
上の画像は、詳しい解説は残されていないが、普通に考えれば、抗がん剤治療で髪の抜けた母の頭にいたわるようにキスをする娘という図だろう。
一般的な家族の図だ。
こういうものが事件当時出てこなったというのが、異常なのだ。
事件当時、それをリアルタイムで知っているが、母がガンであったということさえ、かなり後になるまで報道されることはなかった。
そして不思議なことにこの家族は世間の疑惑を受け、テレビに出て釈明するたび、世間の反発を買う。
昨年9月の兄の人気トークショー出演がそれであり

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かつて両親が事件の解決、自分たちの潔白を証明するために出演した際にも同じことが起きた。
2008年に行われたDNA鑑定により、父、母、兄の潔白は証明されている。
いるにも関わらず、未だ根強い家族犯行説は残り続けている。
もちろんこれは米国で起きた事件であり、日本にいる私には、リアルタイムで知っていようが、全ての正しい情報を持っているわけではない。
けれど、1993年というとジョンベネが3歳の時には母がガンであることが判っていたことになる。
兄にしても6歳でその事実に直面している。
ジョンベネが母がどんな病であったか判る年齢ではなかったと思うが、母の様子や家庭の中の様子から母にただならぬことが起きているのは判っていたと思う。
兄のバークはもしかしたら、母がガンであるという事実を言葉だけでも知っていたかもしれない。
それがどうなる病気という経緯までは理解できなくても、雰囲気からやはり何かを察していた可能性は高い年齢だ。
今、私のうちがそうであるし、私自身6歳になってすぐに祖父を病で亡くした。
そういう中で家族がどういう状態になるか、肌で感じ覚えている部分がある。
うちの場合は、家族の中で弱い存在であった私自身が、その数か月後、事故に遭い、障害を背負う可能性に行き当たった。
そこから家族、私の人生は反転した…。
私が「死」に敏感に反応するのも幼くして祖父の死に触れたことや、自分自身も死の淵へと導かれたことにあるのかもしれない。
そして「骨」に対して異常な恐怖心を長い間に渡って抱き続けていたのも、祖父の骨を火葬場で拾ったことに端を発しているのかと最近になって思う。

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この家族もまた、どうにか頑張ろうと最善と尽くす中で、言うに言われぬ苦悩を抱いていた可能性は高い。
ジョンベネが6歳になってもおねしょが治らなかったというのも、子どもとして何らかのストレスを感じていたからかもしれない。
それが彼女が現すことができる唯一の方法だったとしたら?
考えれば考えるほど、一見裕福で美少女コンテストの常連という恵まれた容姿を持っていた娘を持つ家族には、暗い影が何年も前から付きまとっていたのではないか。
全員が苦悩の中で苦しんでいたのではないか。
そう思うと、こういう場合、1番幼く、1番弱い者の所へ負のエネルギーが集中するという事実を踏まえると、この少女が痛々しくてしょうがないのだ。
この事件は元々難しいものではなかったという気がする。
実に単純なことがいろいろなことが重なって複雑怪奇な事件へと仕上がってしまったように感じる。
いつもどこかで、誰かの家庭が軋みを上げて悲鳴を上げている。
この家庭もそんな家庭の1つだったのはないか。
その軋みを覗き平穏を迎えるためには、ジョンベネの事件解決は不可欠だと思う。
どうにかその機会が、どうにかしてその手が残された家族へ、将来を絶たれた少女へ与えられんことを願わずにはいられない。

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