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ダイアナ妃VSエリザベス女王 ~BS世界のドキュメンタリー~

2016-05-28 17:53:20 | ドラマ/映画/ドキュメンタリー

 www.theaustralian.com.au(出典)


 まさにロイヤルバトルを繰り広げたエリザベス女王とダイアナ妃だ。

 この2人の間にあったことをドキュメンタリーとしてフランスが制作した番組が放送された。


 そこではチャールズ皇太子は無類の女好きだったとされていた。

 ちょっとでも気に入った子がいると、前の彼女と別れて付き合う。

 だから、いつまでもふらふらとしていて、30歳を前にしても花嫁が決まらず、周囲もそろそろ困りだしていた。

 
 そんな頃…。

 ダイアナ妃のおばはエリザベス女王のお付きであった時期があり、自分の血縁に17歳の娘…ダイアナがいるのを思い出していた。


 ダイアナ妃の父のスペンサー伯は王室の侍従を務めていた。

 
 大体この2人は同じ地域で育った。

 それでも全く違う女性へと成長していった。

 
 本来は伯父のエドワード8世が次の王に即位するはずだった。それが米国人で離婚歴のある女性と一緒になることを望んだため、のちまで「王冠を捨てた恋」と言われる理由で、即位をしなかった。

 突然、継承順位の問題でエリザベス女王の父がジョージ6世が即位することになった。

 そしてそのあとはエリザベス2世(女王)へと継がれる順位ができた。

 けれど、するはずではなかったから、帝王学というのを学んでいなかったため、10代になってから急いで準備が始まった。


 エリザベス女王にすれば、運命を受け入れのだ。

 だから、ダイアナ妃もその運命を受け入れるかと思ったが、彼女は自分に与えられた妃という運命より自分の幸せを求めたのだ。

 決定的に違うタイプの2人だったのだろう。

 

 しかし17歳の頃から、お妃候補にと考えられていたいた話は初めて聞いた。

 その頃はまだおばが思っているだけで具体的な話ではなかったのかもしれない。


 しかし嫁ぐには貴族の娘であり、プロテスタント、男性との深い付き合いがない女性ということで、条件は十分に満たしていた。


 ダイアナ妃とエリザベス女王はマスコミを巻き込んでその争いを、ダイアナ妃が元妃になるまで続けることになる。

 ダイアナ妃は巧みにマスコミを味方につけた。


 最初は王室も華やかなダイアナ妃はマスコミにとっても格好の妃で、王室の存在が薄れていたから、いい存在と思われていた。

 それがあっという間に逆転してしまった。

 
 やはり彼女の1番の仕事は跡継ぎを産むことだった。

 ダイアナ妃は2人の男子を産み、見事その役目を果たしたが、それ以上の厄介ごとも持ち込むことになる。

 米国でもダイアナ妃フィーバーは続いた。


 reaganlibrary.archives.gov(出典)  

 米国に行った先、華麗なダンスを披露するダイアナ妃。

 しかし、ダイアナ妃の行動が気になる女王は彼女に多くの注文を出していた。

 ダイアナ妃は慈善活動に目を向けるようになったが、それが当時はまだ偏見の多いエイズ問題だった。

 ダイアナ妃は自ら病院を訪れ、自分から手を差し出し、看護をする者や患者と接した。
 
 しかし、女王はダイアナ妃を呼び、何故、そんな恐ろしいものにかかわるのかと言ったという。

 ダイアナ妃はこの時は、泣きながら女王のいる部屋を飛び出したという。
 
 
 何より切なかったのは、母が父と離別し、寂しい子供時代を過ごしたダイアナ妃の結婚には最初から「愛がない結婚」と知らされたことだった。

 この時点で、ダイアナ妃は嫁ぐことを周りの者に相談したと言われるが、今更、なかったことにできる状態の時期は過ぎていた。

 その後も王室にとっては有り難くない慈善活動を続けた。

 反戦運動、地雷問題…。

 当時、地雷を売っていたのは英国だったから、売りながら、その国の妃は撤去を呼びかけ、自ら地雷のある地域に出かける。

 けれど内々では、事実はどうであれ、外では王室に問題がある。ダイアナ妃とチャールズ皇太子との不仲を出さないというところでは同意していた。
 
 しかし30歳を迎え、成熟した大人となったダイアナ妃は、見事女王との約束を破った。

 ちょうど女王はの47回目だったかの結婚式にぶち当ててBBCの取材に応じてカミラ夫人のことを暴露した。

 そして王室の暴露本も出たが、それもダイアナ妃が自ら少しずつ話をしたものだったと言われる。

 エリザベス女王がその立場に保守的に従順に従ったのとは逆に、ダイアナ妃は革新的に自由奔放に振る舞った。

 2人の世代の差がはっきり出た結果でもあった。

 2年近くダイアナ妃と王室との戦いが続いた。

 

 そして長らく別居をしていたダイアナ妃は、エリザベス女王の主導のもと離婚が決定する。

 女王としてはもう、ダイアナ妃とは関わりたくないという状態だったらしいが、ダイアナ妃はケンジントン宮殿に自分の部屋を持ち続けること、王子たちの親権も持ち続けることを主張し、縁は全く切れる状態にはならなかった。

 
 しかし最期は、ダイアナ元妃を巡るあまりに加熱したパパラッチ問題で事故が起きてしまった。

 ダイアナ元妃の他界は王室はいらないと国民に言わせる事態に発展した。

 女王がすぐにダイアナ元妃の事故に対して声明を出さないことにも原因があったと言われる。

 その頃、女王は母を亡くした2人の王子のそばにいることを選んだため、ダイアナ元妃への追悼の意が遅れたのだ。

 やはり立場を持つと、自分の幸せか、国民への立場への幸せか、とるべき行いが違ってくるのだろう。


 しかし縁があるとは怖いもので、ダイアナ妃は王室へ行くべきして嫁いだ人であったと改めて思う。  

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