今でも同じ?スポーツ界の現実

2013-07-08 20:58:53 | 日記風
 昔の五輪の選手って、お国のために頑張れと送りだされていたが、世界に届く実力はなかった。

 けれど、日本人の体格も欧米化し、十分に勝てる要素が育ってきた。

 選手も、試合前にお国のために頑張りますとは言わず、自分のために楽しんでするというようになった。


 一見、変わったかに見える。


 でも実態ってそんなに変わってないんじゃないかな。


 どうしたって、世界基準で戦おうと思うと練習に継ぐ練習をしないといけない。

 そしたら休みなんてない。他のことを考える余裕もない。友だちと学校にいる以外に遊ぶ暇なんて到底ないだろう。せめて学校の勉強だけはあとのためにしているかもしれない、その程度かもしれない。


 昔は、競技の練習しかせず、五輪の選手じゃなくなるとなにをしていいか、将来のことを何も考えておらず、特に多くの賞金が国から出るわけじゃないから普通の暮らしをしていく選手がほとんどだった。


 あんなに頑張って、普通の暮らしを手に入れる…。こうなると五輪もある種の修行みたいなものか?

 中には名前が有名だから利用されて、犯罪に落ちて行く例やなにをしていいか判らず自殺という選択を選ぶこともあった。


 実態は今もあんまり変わってないのかもしれない。

 1日数時間の練習をしたら、他にできることなんて限られるものね。五輪後のことを考えて…なんて余裕もないだろう。



 変な話、橋本聖子元選手の子どもの名前が、聖火(せいか)亘利翔(ぎりしゃ)朱李埜(とりの)と名付けられているのを見ると、頭が五輪でいっぱいと言うのがよく判るというか、それしかなかったんじゃ…と思えてしまう。みんな男の子みたいですけどね。

 話は違うけど、漫画家の中尊寺ゆつこさんのお子さんの名前が 倭央(わお)と言うのも違う意味で驚きましたが…。

 生まれた時に、わお!と叫んだのが理由とか。将来中央に立つ人になってほしいという意味はあるらしいですが…。  

 どちらも…子どもはどう思っているのだろうかと…。橋本元選手の子どもが五輪に出るくらいになったとして、ギリシャ君の出る大会が南米で行われたり、アジアだったりすると、ややこしいような…。

 ちょっと違うか。

 どうしても1つの競技を極めようと思うとそれに必死にならないといけないというのはある。
 あるけど、それだけだと、選手としての人生が終わった後の人生が見えないから…と考えだすようになったと聞いたけど…やはりそこまで頭が回らいでいる…んだろうか?


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