下記あまりまとまっていませんが。
独立性、多様性、分散性のある集団は案外正しい、のではないかと本の中では。経営の章もあったりする。
基本コンセプトはそのとおりだと思う。派生的考えてとしてはその結果インデックス投資などの概念も生まれてきたんだと思う。生物進化論の一部で生き残った生物は単なるたまたまだ、という主張にも似ている。ちょっとこれは違うか。
古典的経営戦略論ではこういう考えた方はしない。マネージメントや経営企画な一部の会社の頭脳が会社・市場全体を見て戦略という判断を下す。コンサルはそれを支援する。コンサルの仕事も仕方も少人数、似たもの同士、階層組織の中で仕事する。
これは欧米型思想、マネージメントかもしれない。
日本の企業は多くは戦略は現場からのボトムアップで形成されて場合に寄っては経営企画などは調整役である。部署や事業の縦割りもしっかりあるので、独立性をもって案を作っている、ということもできなくもない。結果として。
もちろんボトムアップだと手詰まりになることもある。それに途中で合意形成が多すぎて、どんどん考えがあらぬ方向にずれてしまっているケースも多分に見られる。
全社的な視点から社員が皆関わって戦略的なことを作れるか。ソフトバンク孫正義氏はTwitter上で下記のように自己紹介に書いています。
「Twitterとグループイントラを使って次の新30年ビジョンのための議論をしていきます。皆さんと、どんなビジョンを描けるか、楽しみにしています。」
ある程度会社の規模が大きく(多様性)、部署がグループが細かく別れ(分散性)社員が全社、せめて事業視点で物事を考え、かつ変に部などで合意形成した意見でなければ(独立性)があれば、後は編集の問題である程度できるんじゃないかと思う。本当は株主なども入れてもいいんじゃないかと思う。もっと言えば誰でも参加してもいいのかもしれない。潜在的な株主だし。編集作業は孫正義氏や経営企画がするのだろう。
コンサル経験的にも十分ありえる話しだ。会社のプロジェクトの打ち手など会社の誰かが何かしらのアイディアは持っている。プロジェクトの最初に大量のクライアントインタビューを実施するのもそのためだ。それを集め、編集し、さらにアイディアを追加するのである。ただ、コンサルは編集のときに偏見と自らのアイディアを強烈に押し出そうとするので、結果的に独自色がでる、出てしまいすぎる?傾向にあると思うが。
そういう意味でコンサルは古典的なやり方と編集注力型の二つのプロジェクトに別れていくのではないだろうか。
古典的なやり方はクライアントのトップという個人の悩みを解決する仕事で、これはある程度の個人技・より共感型のアウトプットが重視される。
もう一つのが知の編集作業。世の中・社員の知をどう効率的に扱うべきかを支援するタイプのものである。
独立性、多様性、分散性のある集団は案外正しい、のではないかと本の中では。経営の章もあったりする。
「みんなの意見」は案外正しいジェームズ・スロウィッキー,小高 尚子角川書店このアイテムの詳細を見る |
基本コンセプトはそのとおりだと思う。派生的考えてとしてはその結果インデックス投資などの概念も生まれてきたんだと思う。生物進化論の一部で生き残った生物は単なるたまたまだ、という主張にも似ている。ちょっとこれは違うか。
古典的経営戦略論ではこういう考えた方はしない。マネージメントや経営企画な一部の会社の頭脳が会社・市場全体を見て戦略という判断を下す。コンサルはそれを支援する。コンサルの仕事も仕方も少人数、似たもの同士、階層組織の中で仕事する。
これは欧米型思想、マネージメントかもしれない。
日本の企業は多くは戦略は現場からのボトムアップで形成されて場合に寄っては経営企画などは調整役である。部署や事業の縦割りもしっかりあるので、独立性をもって案を作っている、ということもできなくもない。結果として。
もちろんボトムアップだと手詰まりになることもある。それに途中で合意形成が多すぎて、どんどん考えがあらぬ方向にずれてしまっているケースも多分に見られる。
全社的な視点から社員が皆関わって戦略的なことを作れるか。ソフトバンク孫正義氏はTwitter上で下記のように自己紹介に書いています。
「Twitterとグループイントラを使って次の新30年ビジョンのための議論をしていきます。皆さんと、どんなビジョンを描けるか、楽しみにしています。」
ある程度会社の規模が大きく(多様性)、部署がグループが細かく別れ(分散性)社員が全社、せめて事業視点で物事を考え、かつ変に部などで合意形成した意見でなければ(独立性)があれば、後は編集の問題である程度できるんじゃないかと思う。本当は株主なども入れてもいいんじゃないかと思う。もっと言えば誰でも参加してもいいのかもしれない。潜在的な株主だし。編集作業は孫正義氏や経営企画がするのだろう。
コンサル経験的にも十分ありえる話しだ。会社のプロジェクトの打ち手など会社の誰かが何かしらのアイディアは持っている。プロジェクトの最初に大量のクライアントインタビューを実施するのもそのためだ。それを集め、編集し、さらにアイディアを追加するのである。ただ、コンサルは編集のときに偏見と自らのアイディアを強烈に押し出そうとするので、結果的に独自色がでる、出てしまいすぎる?傾向にあると思うが。
そういう意味でコンサルは古典的なやり方と編集注力型の二つのプロジェクトに別れていくのではないだろうか。
古典的なやり方はクライアントのトップという個人の悩みを解決する仕事で、これはある程度の個人技・より共感型のアウトプットが重視される。
もう一つのが知の編集作業。世の中・社員の知をどう効率的に扱うべきかを支援するタイプのものである。