goo blog サービス終了のお知らせ 

saderのエッセイ館

saderは自然の中を旅するのが好きです。
四季折々自然が持つ“蠱惑の魅力”を『エッセイ館(やかた)』へとどけます。

護摩壇山から口千丈山

2021-03-31 18:09:45 | Weblog
フォトクラブ大峰のメンバーが高野山の方へ“雲海”を撮影に行くというので、連れて行ってもらうことしました。3月14日(日)未明、3時40分に車に乗せて頂き、橿原市を出発。満点の星空ですが気温の高いのが気がかりです。
待ち合わせ地点の天辻峠で2人のメンバーが合流、2台の車で行くことになりました。野迫川村へ入る頃、星空に少し雲が見られるようになりました。
天狗木峠で何故か方向を間違え?、天狗木峠の下にある「弘法大師の道」の入口から下へ降りましたが、ここにも“雲海ポイント”の表示がありましたから、間違いではない?(樹木の生長で見えなくなったダケ!)。再び天狗木峠の案内板まで戻りました。
以前から知っている野迫川の谷を見下ろす“雲海の撮影場所”へゆくには、天狗木峠の案内板を左にみて、陣ヶ峰(1105.8㍍)を右にする、この分岐を南へ行ったところ、左上に東屋がある開けたところです。あらためて、そこを目指して行くことに・・・。
雲海の撮影ポイントには到着すると、既に10台以上の車が来ていました。道の端の方に駐車して、日の出の時間を待ちましたが、空に雲が多く、雲海は望めそうにないので、次の目標、護摩壇山近くの林道奥千丈線へ行きました(3月末まで林道は閉鎖のはずだが・・・・)。
やっぱり林道奥千丈線は3月末まで通行止め、遮断機が下りていましたが、皆さん“意に介さず”「牛首ノ峰まで行こか~」と言って歩き出した、やむなくシブシブ行く事にしましたが、彼らについて行けないので先に行ってもらいました。  
彼等は、アッと言う間に霧の中に消え、深閑とした林道を歩くうち霧も薄れ、護摩壇山の稜線を眺められるようになった。1本松を過ぎると霧氷が綺麗な古畑山(1,308㍍)を左にします。ここまで林道歩き6㎞、1時間30分、道標が立っていました。  
更にUP・DNを繰り返すと1,251㍍の稜線と接する。“大ボソイ尾”の分岐がある奥千丈山の下あたりだろうか?ここに“伯母子登山道入口まで1.6km”の道標がありました。
ほとんど休憩せずにUP・DNを繰り返すこと2時間10分、ようやく“伯母子登山道入口”に到着しました。
ここからは霧氷林の中、木の間から山々を垣間見ながら口千丈山(1330.8㍍)まで50分です。以前は、ここから彼らが、もう到着したであろう牛首ノ峰(1341㍍)が望めたが、樹木の生長だろうか、いまは見ることが出来ない。   
彼等が戻って来る前に林道入口まで帰り着かねば・・・、雲間から青空が見えるようになった、口千丈山の霧氷に見送られ、帰途につきました。(小さい写真はクリックで拡大します)


広橋峠の梅林めぐり

2021-03-18 17:51:52 | Weblog
今年も広橋峠から梅の花が見頃を迎えた、との知らせが届いた。例年に比べると1週間ほど早いが3月10日(水)朝から天候が良さそうなので広橋峠へでかけました。
今年は新型コロナウイルスのため、“梅まつり”は無いそうですが、梅林は自由に見られるようになていて、峠の「梅茶屋」では無料の甘酒も振舞われていました。
例年のとおり、峠を出発点にして、すぐ上の小道を斜め上へあがり、展望の良い家の庭先を通って、軒先で毎年売っている“ワサビの花”を買いに行きましたが、「今年はイノシシが花を食べてしまって、採れなかった」ということでした。
イノシシは何でも食べるのだナ、と思いつつ「天守の森」下にある広場へゆく広い道へでる。ここからは、梅林の中に埋もれるように点在する民家が俯瞰される。広場周辺の林から梅の香りが漂ってくると間もなく舗装の道が途切れ、広場に着きます。ここからは山道になって「天守の森」に続いています。
この場所からは、白梅と紅梅に囲まれた金剛山・葛城山を望むことができ、撮影ポイントになっていて、憩うにも良いところです。今日は「天守の森」へは行かず、坂をくだった無人販売をしている家へ立ち寄ってみる事にしました。
もしかして、そこに“ワサビの花”があるかも知れないから・・・、予想通り、一束だけですが見つけ、買うことができました。ここを訪れた目的の一つだったので、あとは梅林風景を満喫しつつ、乳屋辻を経て散策路を岩森(下市温泉)へ下ることにしました。(小さい写真はクリックで拡大します)

雛飾りの城下町から高取山

2021-03-12 17:35:16 | Weblog
明日香村の甘樫丘から南東の方向を眺めると高取山(標高580㍍)が望まれる。国の指定史跡「高取城跡」に指定され、近世城郭の日本三大山城に数えられる高取城跡が山頂の山である。高取城の築城は南北朝時代(14世紀中-後半)に地元の豪族越智氏によって築かれたとされる、その後、廃城となったが豊臣秀長によって改修され、江戸時代には高取藩の城となり、14代続いたが明治時代、廃藩置県で廃城になった。そんな歴史を秘めた高取山を眺めていると久しぶりに訪れたくなって、近鉄壺阪山駅に降り立った
コースは高取町の中心部にある「札の辻」から清水谷の家並を通り、壺阪川沿いの壺阪寺への参道を辿ることにしよう。高取町では三月中、家ごとに、代々伝わる雛人形を玄関に飾るので、街中が華やかな雰囲気に包まれる。訪れた日が3月7日(日)だった事もあり、人は多かったが‟蜜“になると言うほどではなかった。
人工林の中の参道は壺阪川の流れが細くなったあたりで沢を渡り、地蔵尊の立つ坂道を上れば壺阪寺の広場にでる。壷阪寺は西国三十三霊場、第6番札所で本尊は十一面観音菩薩、眼病に霊験があると言われ、お里・沢市の人形浄瑠璃「壺阪霊験記」の舞台としても有名である。
広場の右側にある階段をあがり、高取山への林道へでたら五百羅漢の入口までゆく。ここから山道、五百羅漢の前を左側に巡り、登れば尾根道にでる。緩やかな尾根道が八幡神社を巻き終えると高取城跡の入口に着く(案内板に高取城跡の全体図が書かれている)。
高取城の入口から少し行くと簡易トイレがある。そこから道から急な階段を登ってゆくと、壺阪寺中門跡がある。少しゆくと「日本三大山城」の説明版がある三の丸広場に着く。司馬遼太郎も「街道をゆく」の中でとり上げている立派な城壁の二の丸跡だ。
曲がりくねった大手門を通って本丸跡へでる。ここが高取山(標高580㍍)の山頂で石の方位版が設置されていて、晴れた日なら吉野山や大峰山脈、高見山が眺められる。
帰路は千早門、宇陀門、松の門、矢場門跡など多くの門跡をくだって行けば、左に「国見櫓」への分岐をみる。金剛・葛城山系、大和三山をはじめ奈良盆地を一望できるビューポイントだから立ち寄ってゆくとしよう。
展望をに満足したら元の道に戻って、古池から二の門跡を通って猿石にでる。明日香の栢森への分岐になっている。猿石を過ぎると“七曲り”の下りになる、途中に「一升坂」と呼ばれる急坂がある。ここを過ぎると木橋が現れるが流木?などが散乱して、道が荒れた感じになっていた。
ここまで来ると道は平坦になり、宗泉寺への分岐からは舗装路になる。砂防公園のトイレを過ぎると民家が現れ、武家屋敷などかある高取町の中へ入ってゆく。
ここからは、「町家の雛めぐり」を楽しもう。“雛の里親館”で巨大な雛壇に数え切れない雛人形が並べられている「天段のお雛さま」や、屋外に飾られた大きな清水谷絆広場の雛人形、家毎に、時代ごとに違う雛飾りがある。“京雛”は男雛を右、女雛を左に並べ、“江戸雛”は男雛を左、女雛を右に並べるなど、興味深い雛飾りに名残りを惜しみつつ、近鉄壺阪駅へむかいました(小さい写真はクリックで拡大します)。

                                                          

伊吹山麓のセツブンソウ

2021-03-10 15:22:01 | Weblog
セツブンソウは毎年、2月中旬から3月初旬、つまり、節分のころに咲くことから、セツブンソウの名が付いたとされています。キンポウゲ科の多年草で自生地としては伊吹山麓、滋賀県米原市大久保が有名です。
 大久保の集落に入ると、昔、茅葺屋だったと思われる、トタン葺きの三角錐の屋根の家根がっ地ならんでいる。その中に赤い屋根が目立つ家がある。“伊吹大根おろし蕎麦の店”「久次郎」だ。店のメニューは「いぶき蕎麦」1種類だけ(だったと思う?)普通盛りが900円、てんぷら付きセット1,100円でした。
奈良を8時に出発したので、到着が昼前になってしまったので「いぶき蕎麦」をたべました。ついでにセツブンソウの開花情報を教えて頂きました。今年は例年より2週間ほど早く雪が解けたので、セツブンソウの開花も早かったと言います。『花は3月10日頃までは咲いているが、見頃は今がちょうど』との事でした。
因みに、セツブンソウの咲く場所は「久次郎」の店を出て左へ行き、一つ目の左へ上がる道をゆくと、長尾寺がある、そこから少し、上にあがった杉林にセツブンソウの群落があります。この他に3ヶ所ほど群落があるが、それは店の前に手書きの地図が張り出されている。    
この地区の全てのセツブンソウ群落をゆっくり巡って、最後にアズマイチゲ(東一華)の咲く場所を訪れて帰ることにしました。帰路、伊吹山を眺める湖水の傍で、家の庭にクリスマスローズが見事な花をつけていました。(小さい写真はクリックで拡大します)



冬牡丹咲く雪の長谷寺へ

2021-02-18 12:58:30 | Weblog
雨戸を開けると一面の銀世界!、昨夜の天気図では北海道の上空に発達した低気圧がいたから、もしかしたら橿原でも雪がチラつくかも・・・と思っていたが、2月17日(水)は、朝からボタン雪が横殴りに降っていました。
湿雪ではあるが、今日、明日の冷え込みが、この冬最後の氷瀑撮影の機会になるだろうナァ~、フォトクラブ大峰のメンバーは入山したのだろうか?彼らが行くであろう、大普賢岳東壁右俣や上多古谷の阿古滝は今や遥か遠い存在になってしまったが・・・。
長谷寺か當麻寺へ行こう、きっと冬牡丹が咲いているはだ、見に行くぐらいは行けそうだ。雪は降り続いているが、地面に落ちた雪はすぐに溶けて、積もりそうにない。少しでも早く行ける長谷寺へゆくとしよう。
長谷寺山門前に着くと、運よく駐車場が1台分だけ空いていた。雪は、まだ降り続いていたので、少しは冬牡丹の藁傘にも付いているだろうと期待して、仁王門をくぐる。
門の先は、長い“登廊”の階段が続いているが誰もいない。撮影に訪れる人は少ないのは、やはりコロナの影響だろうか?
冬牡丹は月輪院の下に咲くが、おかげで“登廊”から、ゆっくり撮影がたのしめました。ここから蔵王堂を経て、本堂への階段を登ってゆくが、ここでも人に会うことはなかった。
本堂の中を通り抜け、舞台にでると風が強く、吹き降りになっていたが、すぐに小降りになった。五重塔・三重塔跡をまわって下ったが、寒椿、蝋梅、紅梅、山茶花などに雪が付いて、ほんとうに美しい。室生の山々も、雪が小降りになると見え隠れして、冬山の気分も味わえました。
最後は本坊へ行って、本堂の方を振り返ってみると言う、お決まりのコースでしたが、“梅に鶯”という、思わぬシャッターチャンスに恵もまれました。

長谷寺を離れ、桜井付近まで来ると、ひと時、雲が切れて薄日が射し、風花が舞う音羽山が綺麗な姿で見送ってくれました。(小さい写真はクリックで拡大します)


大峰山系・下多古谷の琵琶滝

2021-01-14 16:18:44 | Weblog
一昨日から、天気予報をみて、晴れたら、下多古谷の琵琶滝へ行こう、と決めていた。何処まで行けるか分からないが・・・、行けるところまで行こうと決めていた。1月13日(水)、予想通り、雪が止み空は明るく、雲一つない。
西の空を見ると金剛山・葛城山の稜線が薄いバラ色に染まっていた。体力的に少し不安はあったが、無雪期・普通の人なら林道終点から30分もあれば行ける距離である。新雪でノントレースの道だったとしても、例年、吹き溜まり以外は、脛まで程度のラッセルのはず、ゆっくり行けば登れるだろう。
 
林道に入ると路面に雪が積もっていたが、幸い、積もった雪の下にのこった車の轍が分かる程度だった。樹林帯の急坂も、2ヶ所度ほどスイッチバックで突破しなければ、ならなかったが、ヘリポートになっている桟橋まで上がる事ができた。ここからは水平道、車を止めて、横の湧き水で喉を潤してゆく。見上げる大峰山脈の主稜線に新雪が眩しい。振り返れば白髭岳の鋭鋒も、ひときわ輝いているように眺められました。
到着した林道終点の広場には登山者の痕跡もない。誰もいない静寂の中、装備を整えて出発です。新雪なのでピッケルは役に立たない、スノーバスケットを付けたストックを持ってゆく。
新雪でトレースは無いが、ほぼ予想通り、脛までの積雪です。部分的に沢の中を通るのでアイゼンを隠れた岩などに引っ掛けないよう、注意して通過。気になっていた吊橋の雪も、思った程ではなく、幸い渡れました。
  
ここからは、ちょっと厄介、雪に埋もれたフイックスロープを探り出し、掘り起こさねばならなかった。ルート中に、小さな“山抜け跡”のトラバースがある。新雪が‟アブク“になって落ちて来ないように・・・、と願いながら、言う事を利かない体でなんとか通り抜け、琵琶滝の展望小屋へは駐車場から50分ほどで到着しました。
昨日の降雪で気温が下がり、琵琶滝全体が氷瀑になっていると想像していたが、落ち口の下部残念ながら凍結していない。水量が多いから最近では、全体が氷瀑になるのは稀である。
展望小屋付近で、滝全体の撮影をした後、滝の下までいってみた、下からの姿は、それなりに迫力があるが、夏の水量の多い時期に見た‟二条一流“の姿の方が美しいと思えた。

もう少し、体力があれば、山の神から中の滝まで行き、全体が氷結した滝の姿を見ることも出来るのだが・・・
せめて、もう少し眺めていたいが、樹木の雪が落ちはじめ、下山する時間だぞ!と告げていた。
(小さい写真はクリックで拡大します)

忍坂から鳥見山(等彌神社)

2020-12-21 12:42:51 | Weblog
" border="0">鳥見山(とみやま)という名前の山が桜井と宇陀の近くに二山ある。榛原の鳥見山以外に桜井市外山(とび)には、もう一つの鳥見山が存在する。山頂の標高は245㍍。西側山麓に鎮座している式内社(しきないしゃ)の等彌神社(とみじんじゃ)が山上に鎮座していたとされ、神武天皇にまつわる伝承も同じ様にあり、山中に残る碑なども同じである。つまり、同じ、歴史がある山が二山あるという事らしい。
昨日、外鎌山(とがまやま)から眺めた、そんな伝説がある“二つ目の鳥見山”を歩いてみたくなって、12月5日(土)快晴の朝、「赤尾」へ向かいました。国道166号線の交差点を「赤尾」の方へ入って、最初の十字路を左折した左にある小さな工場で、念のため道を尋ねたら、「ハイキングに行くのか?」「道標もない所だから、初めての人には、分かりにくいよ」と言って、親切に案内してくださった。
途中に、忍坂山口坐(おっさかやまぐちにいます)神社があり、その境内に「赤尾の大クス」と言われる樹齢約600年の“楠の木”が聳えていた。「このクスノキは2代目で、言い伝えによると、初代のクスノキは京都金閣寺を建立するとき天井板として利用されたらしい」と教えていただいた。傍らには「押坂山口坐神社のクスノキ」の碑と「大和の古道紀行」の説明板もありました。
そこから、道なりに村の中を進むと、笹茂る小沢に“鉄の小橋”がある。そこを渡って、山畑のわきを通り、尾根が迫るところから坂上にあがる。「ここから、尾根には踏跡があるから分かると思う」「気をつけて」といって、案内をしてくれた方は帰っていった。
尾根に取付いて、少し行くと灯篭が立つ“山ノ神”?と思われる石碑の前にでた。ここから、踏跡が続いていて、登りは迷うことも無いが、今の季節は“落ち葉”が踏跡を隠す。下りは、迷い込みそうな枝尾根もあり、朽ちた道標も残っていた。
クヌギ、コナラ、など落葉広葉樹の美しい森の中、わずかに垣間見える音羽山や三輪山、外鎌山など眺めながら登ってゆくと、鳥見山の下にある広場へでました。「霊璽(れいじ)」の石碑が建つ山頂は、すぐ上でした。
鳥見山の山頂は双耳峰になっていて、霊璽の石碑が建っている方が東峰(標高240㍍)、鳥見山の山頂とされているが、頂からは残念ながら展望は得られない。山頂を後にして、下の広場から右へくだって、登り返した所に「白庭(はくてい)」の石碑(せきひ)がある。ここは「白庭山」とも呼ばれ、鳥見山の西峰(標高245㍍)である。ここも広くなっていて、ベンチが置かれているが展望は無い。
「白庭山」から階段状の坂道を下った鞍部の左側に小高い丘がある。登ってみると「庭殿」と書かれた案内板があった、そこに“庭殿は祭りの饗宴に供されたところ”と書かれていて、その傍らに桜井市の歌人の歌碑がありました。「庭殿」も、かつては“大和の国原”を見渡せるほど、眺めが良かったのでしょうが、今は、樹木の生長によって、わずかに木の間から三輪山が垣間見られるだけで、朽ち果てたベンチも寂しげでした。
「庭殿」からは散策路を最後の目標、「斎場山」へ向かいました。「斎場山」が何処にあったのか分からぬまま、霊璽拝所へ到着。(下山後、霊璽拝所が「斎場山」と分かりました)。
霊璽拝所をでると、そこは、もう等彌神社の境内でした。石段道を下って、稲荷神社の鳥居をくぐると、ここが等彌神社から鳥見山への正面登山口でした。
等彌神社は朝鮮からの渡来人と言われた物部氏の神社と伝えられ、見所も多く、棟方志功の版画を石に彫刻したものなど、興味深いものもあります。等彌神社正殿にお参りして正面の鳥居をでて、振り返ると綺麗なモミジの紅葉が無事下山を見送っていました。(小さい写真はクリックで拡大)。                                                        

外鎌山(桜井市)へ

2020-12-11 17:28:35 | Weblog
12月4日(金)晴天に誘われ、外鎌山(とかまやま)へ出かけてみました。
近鉄「朝倉台駅」前の駐車場に駐車、ここから団地の中を南東にまっすぐ進み、朝倉台西六丁目を目指す。団地の中を突き当りまで行くと、通行止めの鎖がある。ここに道標がある。その前から坂道を登る。
団地を左下に見て、竹林の中に続く道を縫うよう様に登ってゆく。所々に道標が設置されている。7合目の立て札の所で道は傾斜をゆるめるが、後醍醐天皇に尽くした桜井の武士、玉井西阿(さいあ)の最後の砦があったという、外鎌城跡の石積付近からジグザグ道の急登となる。 それも、しばしの事、山頂の台地につく。
外鎌山は、慈恩寺側から見ると‟富士山“のような端麗な姿から「朝倉富士」、「磯城富士」とも呼ばれているようで、山頂には、三等三角点標石がある。この付近、5月末にはナルコユリ、ササユリが咲き、秋にはリンドウも咲くようである。
眺望は耳成山、天香久山、畝傍山の大和三山をはじめ、金剛山・葛城山から二上山まで、奈良盆地の山々が眺められる。眼下には、明日、登ってみようと思っている鳥見山(榛原の鳥見山とは別の山)が間近に見下ろせる。標高こそ232,5㍍の里山であるが、自然林の中、ベンチが設置され静かな山の雰囲気があじわえる。
「西阿の碑」、「妙西光龍王と法白天龍王」碑をあとに、静寂の頂を離れ、「忍坂(おっさか)」方面を目指して尾根を東へくだるとしよう。 
東へくだる尾根は境界尾根になっていて、左が自然林、右が植林の分かりやすい道である。一つ目の鞍部から小さなコブを登り返すと、後は緩やかな起伏を幾つか経て、「竜谷(りゅうたに)・忍坂」分岐にでる。
忍坂へは道標から90度、右折して下る道を選ぶ。途中、フイックスロープが見られるが、これは登りに使うのだろう。やがて樹林を抜け、丸木橋を渡ると“忍坂街道ビューポイント”の看板がある見晴らしのよいところにでる。
明るい栗の木の疎林を下ってゆけば「大伴皇女墓」分岐に着く。墓へは往復7~8分である。元の道へ戻って、すぐの右へゆくと鏡女王墓がある。畑中の道を下って行けば小沢の流れを左に、舒明天皇陵を右に見る(工事中で立ち入り禁止になっていた)。
舒明天皇陵を少し下ったところに、今日、最後の見所?になる「ちごいし」という石がある。石の上に半鐘がある珍しいものだ。神武天皇に縁がある石とも、古墳の石室の石とも言われている。
ここからは、古い村の中を北へ抜け、朝倉台の坂をのぼって、朝倉台駅前の駐車場へもどるだけである。
(小さい写真はクリックで拡大)

葛城古道(一言主神社の大銀杏)

2020-12-02 10:34:02 | Weblog
今年、和歌山の四郷で見られる串柿の“暖簾”も、紅葉も見に行くことが出来なかったが、“天ノ川温泉”へ行ってきた友人が、坪ノ内の大銀杏が色づき、綺麗だったと言って話していたのを思い出した。
坪ノ内の大銀杏というのは、天川弁財天の西側にある「来迎院の大イチョウ」と言われているものである。これが綺麗だったと聞いて1週間、“葛城古道の一言主神社なら、まだ、銀杏が綺麗なはず”である。
11月30日(月)、昼近くになってから出かけてみた。一言主神社の参道には数台の車が止まっていたが、人影はなかった。石の階段脇のモミジが綺麗に色づいて、境内の木々も予想した通り、大銀杏の木を中心に見頃を迎えていた。
お天気もよく、境内の景色だけでも、じゅうぶん満足させてもたった。帰りは、お土産に、無人販売の店でジャンボ柚子を二つとレモン一袋、買って帰りました。(小さい写真はクリックで拡大します)



葛城古道の彼岸花(季節遅れのブログ)

2020-11-08 17:32:23 | Weblog
ワケあって、季節遅れの彼岸花をブログに載せることになりました
以前から約束していた写真の仲間3人と一言神社から九品寺の方へ彼岸花を撮影に行ってきました。 
本来、明日香の稲渕へ行く予定でしたが、新型コロナウイルスの流行のため、明日香方面の彼岸花は早くに刈り取られて、案山子祭りも中止になったため、急遽、葛城古道に変更して出かけました。
葛城古道は例年通り、一言神社付近は満開でしたが九品寺の方は、まだ5分咲きでした。ただ、残念なことに、花の中に入って踏散してしまう人が複数・・・。踏潰されるのを恐れてか?人のいないところに“玉虫色”が一匹かくれていました。 
まだ、5分咲きの彼岸花でしたが、それでも十分楽しませてもらえた事にまんぞくして、九品寺をあとに、御所駅へ。
(小さい写真はクリックで拡大)