“青い大輪の花”を荒涼としたヒマラヤの空の下で初めて見た人は、高地にこんなに美しい花が咲く事に、さぞや驚いたでしょう。その後(のち)、この花が“ケシの花に似ている”ことからギリシャ語でメコノプシス(Meconopsis) “ケシモドキ”【ケシ(mecon)似る(opsis)】と名付けたと伝へられています。
“青いケシの花”を「ヒマラヤの青いケシ」と呼んでいますが、メコノプシス属(ぞく)は種類が多いので、どれを指して「ヒマラヤの青いケシ」と言うのだろう・・・?何時か、機会があれば“名前に相応(ふさわ)しい花”を見たいと思うようになっていました。
ヒマラヤ山脈へ行く機会もありましたが、花の季節に訪れたのはアンナプルナに行った一度だけでした。この時はラリグラス(石楠花)が満開でしたが、マチャプチャレBC(標高3,650㍍)まで行くと雪が残っていて、雪の狭間(はざま)から顔を覗かせているサクラソウしか見られませんでした。
その後も何度かヒマラヤ山脈を訪れる機会はありましたが、季節が早過ぎたり、遅すぎたりで“幻の花”と言われる「ヒマラヤの青いケシ」に出会うことはありませんでした。

四姑娘山塊の略図
もう、「ヒマラヤの青いケシ」をみる機会は訪れないだろうナ~、と思っていた2004年6月。「水曜クラブぶなの木」と「エスカルゴ山の会」が中国の四(すう)姑娘(くうにゃん)山塊(さんかい)にある大姑娘山(たあくうにゃん)(標高5,025㍍)の登頂と世界遺産“九寨(きゅうさい)溝(こう)・黄龍(こうりゅう)”を旅することになりました。はからずも「ヒマラヤの青いケシ」を見ることが出来るという機会が訪れたのです。
その前の年、思わぬ病に罹(かか)ったため、退院4ヶ月足らずで出発となるスケジュールでしたので果して参加出来るのだろうか?迷っていたが、幸い入院していた病院の外科部長が“参加したい”と言ってくれたので行く決心がつきました。“悪友に言わせると自分が“四姑娘山の写真を撮りたいのでDrを引っ張り込んで参加したんだ”ということになるのですが・・・・。
大姑娘山は、中国の四(し)川省(せんしょう)チャン族(チベット族)自治(じち)区(く)にある四姑娘山塊にある四つの峰の南端に位置するピークです。その登山の起点となるのが日(りい)隆(ろん)鎮(ちん)(標高3,200㍍)です。ここへは巴(ぱあ)朗山(ろうしゃん)峠(とうげ)(標高4,250㍍)をバスで越えて行きます。この峠には多種多様な高山植物と共に、多くの“ケシの花” ( メコノプシス属 )が咲きます。

(写真は「エスカルゴ山の会」会報会報から)
勿論、大姑娘山のAC(標高4,400㍍)付近や老牛(らおにゅう)園子(いえんすう)BC(標高3,700㍍)、更には世界遺産の黄龍(五彩(ううさい)池(ちい)の標高3,600㍍)付近でもエーデルワイス、アツモリソウ、“青いケシ”などの花があたり前のように咲いていました。
日隆鎮の金(きん)昆(こん)賓館(ひんかん)に落ち着いた翌日、登山第2日目、高度順応のため巴朗山峠に向かいました。そのときの事ですが“ヒマラヤの青いケシとエーデルワイス”に憧れて、この山行に参加した「水曜クラブ・ぶなの木」のT子さんが“濃い青色”のケシの花を見つけて、ガイドの潘(はん)さんに「これがヒマラヤの青いケシなの?」と訊ねると、「そうです!」と返事が返ってきました。
しかし、Tさんは“花の色が濃すぎる”と思い、疑問を感じて「ホント?なの・・・・」と問い返すと、潘さんは「本当です。嘘だと思ったら、私の事務所に来て下さい」。「この花は成長すると、丈が伸びて花の色も薄い青になるのです」と自信満々に答えました。
二人のやりとりを聞いて、帰国後、あらためて「ヒマラヤ植物大図鑑」調べたら“青いケシ”の種類の多さと、これに魅せられて調査研究する人の何と多いことか!を知ることになりました。
「ヒマラヤ植物大図鑑」は「山と渓谷社」が創業70周年事業の一つとして発刊しましたが、その著者が故吉田外司夫氏(1949~ 2021年)でした。吉田氏は“青いケシ研究会”を立ち上げ、「青いケシ大図鑑(青いケシの新種24種も発表)」も発刊して、シノ・ヒマラヤ植物の”牧野富太郎”と呼ばれていると伺いました。
シノ・ヒマラヤとは、中国南西部からヒマラヤにかけての山岳地帯のことで植物地理学上そう呼称する様です。因みに、「山と渓谷社」創業70周年事業には私も“尼崎アルカイックホールでの講演会”に重弘恒夫氏(K2世界第2登頂者)、市毛良枝さん(女優・登山家)とご一緒させて頂き多少のご縁がありました。
先に述べました、井上さんと潘さん二人のやりとり云々(うんぬん)について、『大姑娘山紀行』(エスカルゴ山の会・水曜クラブぶなの木)共著、のコラム欄(らん)に「ブルーポピー後日談」として寄稿(きこう)させて頂きましたが、これは「ヒマラヤ植物大図鑑」から得た知識の受売りをしたものでした。
あれから、もう何年も忘れていた「ヒマラヤの青いケシ」ですが、六甲高山植物園に咲いていると聞いて、2023年5月9日、早朝から電車を乗り継ぎ、環状線や大阪駅のラッシュアワ-を数十年ぶりに体験しつつ、老骨に鞭打って六甲山へでと出かけました。
やっとの思いで辿り着いた植物園。期待に胸膨らませて咲いているという場所へ行ってみたら、一輪の花も見当たらない!植物園の窓口で尋ねると 「昨日までは咲いていたが昨夜の雨で散りました」というのだ、なんと無責任な~!・・・・。

そんな事があって、諦めムードだった2025年5月23日。毎年「ヒマラヤの青いケシ」を六甲高山植物園へ見に行っていると言う「フォトクラブ大峰」のT氏から電話があった。「昨日、行ったら咲いていいましたよ」“一緒に撮影に行こう”と誘って頂き、再び六甲高山植物園を訪れました。
この日、シノ・ヒマラヤの地とは違うところですが “スカイブルーの花”が「ヒマラヤの青いケシ」の名に相応(ふさわ)しく青空の下、美しく咲いていました。
“透き通る青空のような青い色の孤高の花”、その花言葉は「底知れぬ魅力」でした。(小さい写真はクリックで拡大します)
完
ヒマラヤの青いケシの花(六甲高山植物園にて)

★ブログはAmebaに引っ越ししました。(不慣れなため写真の挿入が上手く出来ません(>_<))
“青いケシの花”を「ヒマラヤの青いケシ」と呼んでいますが、メコノプシス属(ぞく)は種類が多いので、どれを指して「ヒマラヤの青いケシ」と言うのだろう・・・?何時か、機会があれば“名前に相応(ふさわ)しい花”を見たいと思うようになっていました。
ヒマラヤ山脈へ行く機会もありましたが、花の季節に訪れたのはアンナプルナに行った一度だけでした。この時はラリグラス(石楠花)が満開でしたが、マチャプチャレBC(標高3,650㍍)まで行くと雪が残っていて、雪の狭間(はざま)から顔を覗かせているサクラソウしか見られませんでした。
その後も何度かヒマラヤ山脈を訪れる機会はありましたが、季節が早過ぎたり、遅すぎたりで“幻の花”と言われる「ヒマラヤの青いケシ」に出会うことはありませんでした。

四姑娘山塊の略図
もう、「ヒマラヤの青いケシ」をみる機会は訪れないだろうナ~、と思っていた2004年6月。「水曜クラブぶなの木」と「エスカルゴ山の会」が中国の四(すう)姑娘(くうにゃん)山塊(さんかい)にある大姑娘山(たあくうにゃん)(標高5,025㍍)の登頂と世界遺産“九寨(きゅうさい)溝(こう)・黄龍(こうりゅう)”を旅することになりました。はからずも「ヒマラヤの青いケシ」を見ることが出来るという機会が訪れたのです。
その前の年、思わぬ病に罹(かか)ったため、退院4ヶ月足らずで出発となるスケジュールでしたので果して参加出来るのだろうか?迷っていたが、幸い入院していた病院の外科部長が“参加したい”と言ってくれたので行く決心がつきました。“悪友に言わせると自分が“四姑娘山の写真を撮りたいのでDrを引っ張り込んで参加したんだ”ということになるのですが・・・・。
大姑娘山は、中国の四(し)川省(せんしょう)チャン族(チベット族)自治(じち)区(く)にある四姑娘山塊にある四つの峰の南端に位置するピークです。その登山の起点となるのが日(りい)隆(ろん)鎮(ちん)(標高3,200㍍)です。ここへは巴(ぱあ)朗山(ろうしゃん)峠(とうげ)(標高4,250㍍)をバスで越えて行きます。この峠には多種多様な高山植物と共に、多くの“ケシの花” ( メコノプシス属 )が咲きます。





(写真は「エスカルゴ山の会」会報会報から)
勿論、大姑娘山のAC(標高4,400㍍)付近や老牛(らおにゅう)園子(いえんすう)BC(標高3,700㍍)、更には世界遺産の黄龍(五彩(ううさい)池(ちい)の標高3,600㍍)付近でもエーデルワイス、アツモリソウ、“青いケシ”などの花があたり前のように咲いていました。
日隆鎮の金(きん)昆(こん)賓館(ひんかん)に落ち着いた翌日、登山第2日目、高度順応のため巴朗山峠に向かいました。そのときの事ですが“ヒマラヤの青いケシとエーデルワイス”に憧れて、この山行に参加した「水曜クラブ・ぶなの木」のT子さんが“濃い青色”のケシの花を見つけて、ガイドの潘(はん)さんに「これがヒマラヤの青いケシなの?」と訊ねると、「そうです!」と返事が返ってきました。
しかし、Tさんは“花の色が濃すぎる”と思い、疑問を感じて「ホント?なの・・・・」と問い返すと、潘さんは「本当です。嘘だと思ったら、私の事務所に来て下さい」。「この花は成長すると、丈が伸びて花の色も薄い青になるのです」と自信満々に答えました。
二人のやりとりを聞いて、帰国後、あらためて「ヒマラヤ植物大図鑑」調べたら“青いケシ”の種類の多さと、これに魅せられて調査研究する人の何と多いことか!を知ることになりました。
「ヒマラヤ植物大図鑑」は「山と渓谷社」が創業70周年事業の一つとして発刊しましたが、その著者が故吉田外司夫氏(1949~ 2021年)でした。吉田氏は“青いケシ研究会”を立ち上げ、「青いケシ大図鑑(青いケシの新種24種も発表)」も発刊して、シノ・ヒマラヤ植物の”牧野富太郎”と呼ばれていると伺いました。
シノ・ヒマラヤとは、中国南西部からヒマラヤにかけての山岳地帯のことで植物地理学上そう呼称する様です。因みに、「山と渓谷社」創業70周年事業には私も“尼崎アルカイックホールでの講演会”に重弘恒夫氏(K2世界第2登頂者)、市毛良枝さん(女優・登山家)とご一緒させて頂き多少のご縁がありました。
先に述べました、井上さんと潘さん二人のやりとり云々(うんぬん)について、『大姑娘山紀行』(エスカルゴ山の会・水曜クラブぶなの木)共著、のコラム欄(らん)に「ブルーポピー後日談」として寄稿(きこう)させて頂きましたが、これは「ヒマラヤ植物大図鑑」から得た知識の受売りをしたものでした。
あれから、もう何年も忘れていた「ヒマラヤの青いケシ」ですが、六甲高山植物園に咲いていると聞いて、2023年5月9日、早朝から電車を乗り継ぎ、環状線や大阪駅のラッシュアワ-を数十年ぶりに体験しつつ、老骨に鞭打って六甲山へでと出かけました。
やっとの思いで辿り着いた植物園。期待に胸膨らませて咲いているという場所へ行ってみたら、一輪の花も見当たらない!植物園の窓口で尋ねると 「昨日までは咲いていたが昨夜の雨で散りました」というのだ、なんと無責任な~!・・・・。




そんな事があって、諦めムードだった2025年5月23日。毎年「ヒマラヤの青いケシ」を六甲高山植物園へ見に行っていると言う「フォトクラブ大峰」のT氏から電話があった。「昨日、行ったら咲いていいましたよ」“一緒に撮影に行こう”と誘って頂き、再び六甲高山植物園を訪れました。
この日、シノ・ヒマラヤの地とは違うところですが “スカイブルーの花”が「ヒマラヤの青いケシ」の名に相応(ふさわ)しく青空の下、美しく咲いていました。
“透き通る青空のような青い色の孤高の花”、その花言葉は「底知れぬ魅力」でした。(小さい写真はクリックで拡大します)
完
ヒマラヤの青いケシの花(六甲高山植物園にて)

★ブログはAmebaに引っ越ししました。(不慣れなため写真の挿入が上手く出来ません(>_<))