テレビというのがどうしても退屈なのは「作り手」の脳の中身を一方的に受信するだけだからだろう。読書の場合には、本への書き込みやメモといった手法で、書き手の言い分に対して突っ込みをいれることができる。最近はあまり小説は読まずに経済関係や自己啓発関係が多いのだが、ただそれを「読んでいるだけ」では日常生活への応用というのが非常に難しい。一度受け取った情報なり考え方なりを自分なりに整理統合・加工して、できればグラフやチャートなどに二次加工していくと自分のおかれた生活環境の中でさらに応用がきくようになると思う。
で、その二次加工の最中に当面は必要ないと思われる事項や優先順位が低い事柄については「捨てる」勇気も必要になりそうだ。おそらくこのトータルで何でも受け入れるのではなく、「捨てる」「加工する」という自前の努力を積み上げて読書を積み重ねることが、読書をただの「趣味」にしてしまうか、あるいは仕事や人間関係などへ応用がきくものにするのかの分かれ目になるように思える。
で、その二次加工の最中に当面は必要ないと思われる事項や優先順位が低い事柄については「捨てる」勇気も必要になりそうだ。おそらくこのトータルで何でも受け入れるのではなく、「捨てる」「加工する」という自前の努力を積み上げて読書を積み重ねることが、読書をただの「趣味」にしてしまうか、あるいは仕事や人間関係などへ応用がきくものにするのかの分かれ目になるように思える。
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