某ニュース番組で、
中国で尊敬を受ける101歳の日本人医師のことが
紹介されていました。感動したので紹介します。
その日本人山崎医師は、1908年生まれ。
1936年、日中戦争時に日本兵として中国にやってきました。
そこで衝撃的な光景を目にします。
ある日本兵が中国人女性の母親から、3歳の子供を取り上げて、絞め殺してしまうのです。
『子供は何も罪はない。悪いのは日本の軍隊だ。』
こんな軍隊にはいられないと
脱走する山崎さん。
日本軍にみつかっても、
敵である中国人にみつかっても
殺されるという状況で逃げ続けた山崎さん。
しかし、飢えには勝てず、
あるとき、近くを通った中国人におそるおそる近寄って手を差し伸べて
食べ物を求めた山崎さん。
その中国人は日本人である山崎さんに食べ物を分けてくれました。
その後も物乞いを続けるのですが、
食べ物だけではなく、家に泊めてくれる中国人まで現れ、
生きのびることができたのです。
このとき山崎さんはこう思ったそうです。
『敵である日本人の自分をどうして、中国の人たちは助けてくれるのだろう』
『いくら、考えても分からなかったが、
中国の人たちに助けられて、生きのびることができたのだから、
中国のひとたちに恩返しをして行こう』
この決意を実行に移すため、医師になって中国の人たちを助けることを思い立ちます。
山崎さんは終戦後も帰国せずに、中国にとどまります。
中国語もままならない状況で、猛勉強を重ね、なんと独学で医師になります。
その後医師になるまでの間、支えてくれた中国人女性と結婚し家族を持ち、以来現在まで
中国で現役医師として今も働き続けています。
医師になって、
最初のころは日本人ということで、信用されず診療所を開いても患者は来ませんでした。
しかし、マラリアにかかった中国人の家をたずね、そっと薬だけをおいて帰ったところ、
その患者はみるみる良くなりました。
それをきっかけに山崎さんの評判は広がり、患者はどんどん増えていきます。
患者がどんなに増えても山崎さんは貧しい人からはあまり、お金をとることを好まず、
平均の診療代は日本円で200円から300円。
しかも薬代を入れての値段です。
みずからは質素な暮らしに努め、
腕がよく、
安く良質な医療を提供してくれる山崎さんは
『世を救う100歳の神の医師』
として中国で非常な尊敬をうけているそうです。
日本人であることでかなり苦労もしたそうです。
文化大革命のころ、日本人迫害という風潮のなかで、
石で殴られることもあったそうですが、
山崎さんは日本人であることを隠しもせず、
黙って殴られ続けたといいます。
そして、100歳を超えてもういのちが長くないと悟ってからは、中国の医療のために自らの体を死後献体(遺体を解剖に使うこと)にする手続きを済ませているそうです。
すべては、中国人に償いたい、恩返しをしたいという気持ちからだという山崎さん。
もう、涙がとまりませんでした。
山崎さんを敵と知りながら、助けてくれた昔の中国の人たち。
そして、医師になって中国に恩返しをしたいという志を貫いて今も活動している山崎医師。
本当に頭が下がります。
すてきなこころざしをみせていただいて、心が洗われました。
ありがとうございました
と山崎さんにお礼を言いたいです。
中国で尊敬を受ける101歳の日本人医師のことが
紹介されていました。感動したので紹介します。
その日本人山崎医師は、1908年生まれ。
1936年、日中戦争時に日本兵として中国にやってきました。
そこで衝撃的な光景を目にします。
ある日本兵が中国人女性の母親から、3歳の子供を取り上げて、絞め殺してしまうのです。
『子供は何も罪はない。悪いのは日本の軍隊だ。』
こんな軍隊にはいられないと
脱走する山崎さん。
日本軍にみつかっても、
敵である中国人にみつかっても
殺されるという状況で逃げ続けた山崎さん。
しかし、飢えには勝てず、
あるとき、近くを通った中国人におそるおそる近寄って手を差し伸べて
食べ物を求めた山崎さん。
その中国人は日本人である山崎さんに食べ物を分けてくれました。
その後も物乞いを続けるのですが、
食べ物だけではなく、家に泊めてくれる中国人まで現れ、
生きのびることができたのです。
このとき山崎さんはこう思ったそうです。
『敵である日本人の自分をどうして、中国の人たちは助けてくれるのだろう』
『いくら、考えても分からなかったが、
中国の人たちに助けられて、生きのびることができたのだから、
中国のひとたちに恩返しをして行こう』
この決意を実行に移すため、医師になって中国の人たちを助けることを思い立ちます。
山崎さんは終戦後も帰国せずに、中国にとどまります。
中国語もままならない状況で、猛勉強を重ね、なんと独学で医師になります。
その後医師になるまでの間、支えてくれた中国人女性と結婚し家族を持ち、以来現在まで
中国で現役医師として今も働き続けています。
医師になって、
最初のころは日本人ということで、信用されず診療所を開いても患者は来ませんでした。
しかし、マラリアにかかった中国人の家をたずね、そっと薬だけをおいて帰ったところ、
その患者はみるみる良くなりました。
それをきっかけに山崎さんの評判は広がり、患者はどんどん増えていきます。
患者がどんなに増えても山崎さんは貧しい人からはあまり、お金をとることを好まず、
平均の診療代は日本円で200円から300円。
しかも薬代を入れての値段です。
みずからは質素な暮らしに努め、
腕がよく、
安く良質な医療を提供してくれる山崎さんは
『世を救う100歳の神の医師』
として中国で非常な尊敬をうけているそうです。
日本人であることでかなり苦労もしたそうです。
文化大革命のころ、日本人迫害という風潮のなかで、
石で殴られることもあったそうですが、
山崎さんは日本人であることを隠しもせず、
黙って殴られ続けたといいます。
そして、100歳を超えてもういのちが長くないと悟ってからは、中国の医療のために自らの体を死後献体(遺体を解剖に使うこと)にする手続きを済ませているそうです。
すべては、中国人に償いたい、恩返しをしたいという気持ちからだという山崎さん。
もう、涙がとまりませんでした。
山崎さんを敵と知りながら、助けてくれた昔の中国の人たち。
そして、医師になって中国に恩返しをしたいという志を貫いて今も活動している山崎医師。
本当に頭が下がります。
すてきなこころざしをみせていただいて、心が洗われました。
ありがとうございました
と山崎さんにお礼を言いたいです。