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えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

昭和の日

2011-04-09 23:48:43 | 歴史について
昭和の日とは、
4月29日、
昭和天皇のお生まれになった日です。

私が中学校のころまで、

昭和天皇ご在任中は『天皇誕生日』って呼んでましたが、

崩御されてから?
今上天皇が即位されてから?
一時、『緑の日』って呼び名になりました。

(↑なんとなく左翼の影響があったんじゃないかと・・・)

その後、昭和の日って呼び名になりました。この名称変更には、多くの国民の要望があったそうです。

日本の祝日には、本来歴史に基ついた意味があります。
昭和の日は昭和という時代をふりかえるための国民の祝日です。

忘れちゃいけないのは、歴史はつながってるってことです。
敗戦で戦前の日本と断絶したと思ってる日本人が多いと思いますが、
大河ドラマで見る戦国時代も明治維新も
今、私たちがくらす現代の日本につながっているんです。

今住んでる街は
例えば200年まえはどんなところで、どんなひとたちが暮らしてたのか。

そういうことに思いをめぐらすこともたまには必要だとおもいます。

さて、
今年の昭和の日、4月29日
こういうイベントがあります。

櫻井よしこ先生の講演もあります。

興味あるかたぜひご参加を。


http://www.syouwanohi.com/


平成23年昭和の日をお祝いする集いについて


関係各位

東北関東大震災の犠牲者にたいし心から追悼の誠を捧げますとともに、被災された皆さまにお見舞ひを申上げます。

さて、今年の4月29日「昭和の日」の行事につき、3月29日の会議において、以下のやうな企画が決定しましたので、ご案内いたします。

 名称 昭和の日の集い

 期日 平成23年4月29日(昭和の日)

 時間 午後1時半開場 2時開会 5時終了

 会場 ベルサール九段ホール

  千代田区九段北1-8-10 住友不動産ビル3階   03-3288-2441

 講演 櫻井よしこ先生「昭和史に学ぶ」

 参加費 1000円
            

当初予定していました企画を大幅に変更し、奉祝色を排し、災害復興を促進する願ひをこめ、意義ある催しにいたします。九段会館が被災で使用不可となり、自衛隊第一音楽隊の演奏も自衛隊の方針で中止となり、既にご案内した内容とは異なりますが、激動の昭和を追憶しつつ、日本人のあるべきすがたを再確認いたしたく存じます。

引き続きご協力を賜りたく、よろしくお願ひ申上げます。

NPO法人 昭和の日ネットワーク

        副理事長 相澤宏明


日本は悪い国との国家観を植え付け間接侵略狙う中国 - 1



日本は悪い国との国家観を植え付け間接侵略狙う中国 - 2






第二次世界大戦における日本に対する世界の評価

2011-03-04 10:01:40 | 歴史について
日本は本当に侵略国家だったか?侵略国家なら、世界の国々からこのような評価をうけるだろうか?
第二次大戦における日本は世界からどう評価されているか↓↓

【イギリス…第二次大戦で敵として戦う】
  H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

 

  アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

【タイ…第二次大戦時、日本の同盟国。日本以外で植民地化を逃れた唯一の国】
 ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )

 

  バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)

 約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所)

 

【アメリカ…大東亜戦争で敵国として戦う】 

 ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)

 日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)
 

 ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))

 ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。


 ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

 日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。 今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)  さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256~7ページ)

 

 ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)

 すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁)


 ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

 日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)  インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。

【インド…日本軍によってインド独立軍創設。英雄チャンドラ・ボースとともに大戦末期にイギリス軍と戦う】 

  ラグ・クリシュナン(インド、大統領)

 インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。(昭和44年「日本経済新聞」)

 

 ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)

  要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にと
どめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)

 

  グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)

 このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。  インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。 インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。(1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶)

 

  ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相)

 チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。(貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253~4頁)

【インドネシア…日本軍がインドネシア独立義勇軍を育成、日本敗戦後も
残留日本兵が義勇軍とともにオランダと戦い、独立を勝ち取る】 

 アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

  日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57~65ページ)

 

  ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

  我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。


  ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)

 日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」

 さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。 「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)

 

 朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

 

 朱 耀翰 {韓国 元国会議員 ゴーマニズム宣言第六巻p232}

 「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ?黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」

 

  ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官)

 この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!

 

  スリム中将(イギリス第十四軍司令官)

 たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。(「敗北から勝利へ」)

 かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。(同書)

 

  蒋介石

 ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇りたるを学び、範として我が国軍の名誉を失墜せざらんことを望む

 

  ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト)

 これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与え性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(『神風』)

 

引用・参考文献 『「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編、展転社』
おまけ・終戦直後の新聞記事より

「国体を護持し得るか否かは、片々たる敵の保証(ポツダム宣言)にかかるのではなく、実に日本国民の魂の持ち方如何にかかる。特攻魂に端的に現れた七生報国の烈々たる気魄は、我々がこれを祖先よりうけついだものであるが、これは永劫に子孫に伝えねばならぬ。日本国民が果たしていつの日に再生し得るかは、一に日本国民の魂がこの試によっていかに鍛えられるかによってきまるのである」

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日本を誇りに思える台湾の人々の言葉

2011-01-08 10:49:02 | 歴史について
先人たちは立派だったんです。私は日本を誇り思います。




アメンバーの歴史さんの『本当の日本の歴史』より転載。http://ameblo.jp/create21/

大東亜戦争「日本肯定論」 4 日本統治経験国識者の証言

台湾




蔡焜燦氏 企業会長


「後藤新平は道路、鉄道、水道、港湾などのインフラ整備をはじめ、
台湾の衛生環境と医療の大改善等数々の大事業をやってのけたのだった。
台湾開拓、整備予算として日本の国家予算の四分の一という

べらぼうな額であった。日本のこうした統治政策は、世界にその類例をみない。
台湾の近代化に尽力した後藤新平は今でも「台湾近代化の父」と呼ばれ、
我々台湾人から惜しみない喝采と敬意を持って評価されている」




「現代の日本人たちは、日本を愛する事が出来ないと言うかもしれません。

日本はそれほどに戦争中にアジアの国々に悪いことをしたのだと。

しかし、それも私から言わせると歪曲された歴史観です。

日本が戦後から行ってきた教育は、あまりにも自虐的すぎました。

そうした考えに正義感を覚える輩は、ただ無知なだけです。

日本の皆さん、日本を愛しなさい、胸を張りなさい!

日本はあなたがた現代の日本人のものだけじゃありません。

私たち「元日本人」のものでもあることを忘れないで下さい」






黄文雄氏 評論家


「日本は台湾に鉄道を敷設し近代化へ大きく貢献することになる。
日本領台以前の台湾には道路と称されるものはなく、

交通手段は歩くかカゴでの移動しかなかった。

台湾の農業近代化を実現した「八田ダム」は戦後作られた
日本最大の愛知用水路の13倍、万里の長城の6倍にもなる」


「広枝音右衛門警部は

戦中台湾人兵士の命だけは保証するように米軍とかけあい、

『責任は全て日本人の私が取る。

祖国台湾には諸君の生還を願っている家族がいる』と言い広枝は自決し

台湾人部下は全員台湾人に帰国することができたのである」






許文龍氏 奇美実業会長


「私が生まれる30年以上前から日本時代は始まっていました。
父と母に聞いた話では、日本人が来て、

まず治安が一気に良くなったそうです。
いわゆる「夜不閉戸」、夜、ドアに鍵をしなくても眠れる状態。

次に良くなったのは衛生状態です。

日本の時代になる前は劣悪な衛生状態のせいで伝染病が多く、

うちの曾祖父も祖父も、三十歳まで生きられませんでした。

それが日本政府が上水道、下水道を造るなどのインフラ整備を行ったことで、台湾の衛生状態が改善され、台湾人の寿命が延びました。
台湾に造った上下水道は、当時の東京よりも進んでいたほどなんですよ。

当時造られた基隆港や高雄港も、日本のどの港より大きかったはずです。

その後も総督府は産業復興に力を入れ、

日月潭の水力発電や嘉南平野の烏山頭ダムなどが

台湾に造られていきました。特に、ダムが出来たことによって農業が発展し、

台湾はとても豊かになりました」







鄭春河氏 評論家


「大正時代、国際連盟で人種差別撤廃を提案した日本が、
白人諸国の大反対で否決されたことを思うと、まさに今昔の感がある。
有色の日本がホンコン、シンガポールで英軍に大勝し、

フィリッピンの米軍を駆逐したのを目のあたりに見た世界の有色民族から、

長年の間に習性とまでになったいた白人隷属の卑屈な気持ちが

ヴェールを剥がすかのように一掃され、「白人優位、白人不敗」の神話は、

これを機に音を立てて崩壊したのであった。

まさに大東亜戦争は、有色人種の白色人種に対する

壮絶なる巻き返しであり、そしてその力と気迫を持っていた国は、

その当時は日本しかなかったのである」

「私は生を日本に享けて僅か26年間の日本人なれど、

あくまで祖国日本を愛します。

特に自虐的罪悪感をもつ同胞に先ずその反省を促したい。

願わくは、一時も早く目覚めて大義名分を明らかにし、

民族の誇りにかけて速やかに戦前の日本人、真の日本国民に戻って下さい。そして、民族の発展と世界永遠の平和確立に貢献して下さい」

世界の人たちは神風特攻隊の動画を見てどう思ったか

2010-12-13 15:41:33 | 歴史について
マイ日本には(主に国益に関する)いろんなおもしろい情報ためになる情報ががアップされていますが、

またおもしろい記事が紹介されていました。

世界の人たちが神風特攻隊の動画を見た感想をまとめています。以下転載↓


2010.10.17
神風特攻隊の海外の反応!

第二次世界大戦末期に日本軍が行ったこの特攻攻撃を世界の人たちはどう思っているのか?



あるアメリカ人兵士は「私達はカミカゼ(神風)が怖かった。10人のうち7人は涙を持って迎え、後の3人は憎しみをもってこれを撃ち落した」と言っています。

またあるフランス人は、「散華した若者達の命は・・・無益であった。しかしこれら日本の英雄達はこの世界の純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた」と評価しています。
また
「西洋文明においてあらかじめ熟慮された計画的な死と言うものは決して思いもつかぬことであり、我々の生活信条、道徳、思想と言ったものと全く正反対のものであって西欧人にとって受け入れがたいものである」とも言っています。

詳しく知りたい方はウィキペディアをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A
↑実はドイツも特攻を行ったとか色々書いてあり勉強になります(⌒∇⌒)




〓Kamikaze

〓08:18
〓Kamikaze...a short film I made. Music by Ennio Morricone.
〓特攻へのレクイエム

〓06:41
〓特攻へのレクイエム Requiem for kamikaze.
この神風特攻に対する海外の反応はここから↓


スウェーデン
彼らは真の英雄だ!

イギリス
全ての神風パイロット達に敬意を表する。永遠にあなた達の勇敢な行動は忘れられないでしょう!

シンガポール
皆知ってるかもしれないけどKAMIKAZEの意味は英語で神の風っていう意味なんだよ!

クロアチア
日本バンザーイ!心より日本をリスペクトします!クロアチアより。

インドネシア
私は初めて日本の神風を知ったときのとてつもない衝撃は今でも忘れる事ができません。またその攻撃を実際に受けたアメリカの衝撃は一体どれほどだったのかも想像します。 
日本の神風特攻隊は地球上で今までに起きた戦争の英雄達の中で最も勇敢で貴重な戦士達だったと思います。

インド
私はこの世界大戦で亡くなった全ての方々に敬礼をします。

マレーシア
私は彼らが自分の国や家族の為に命をかけてまで行ったこの特攻を尊敬します!

アメリカ
なんという戦闘機の浪費!

ペルー
banzay banzay?

ベルギー
これは航空機での自殺ですか?

不明
日本人は勇敢だ!アメリカではこうはいかない!

タイ
やっぱ日本はスーパークレイジーだわ!

イタリア
神風はヒーローだな!

アメリカ
日本が中国大陸でやった事を見てみろ!何がヒーローだよ。南京大虐殺や赤ん坊が剣で串刺しになってるのとか見たことあるのか?
日本人の残虐性をしらないのかお前ら?
もしアメリカが原爆を落とさなかったら日本は今でも戦争をやり続けていたぞ!

クウェート
南京大虐殺は歴史的な真実ではありませんよ。中国のプロパガンダの一つです。中国はあの戦争の被害についてかなりの嘘を言っています。
また中国という国の歴史を見てみると外の国に敵を作らないと自分達の支配を維持できないというのもあるでしょう。

フィンランド
なんて勇敢な男達なんだ!マジで尊敬するよ。フィンランドより。

イスラエル
私はアラブ人だけど素晴らしい日本の文化と彼ら英雄達を賞賛します。神は日本に恵みをあたえるでしょう!

ギリシャ
彼らは本当に凄いよ!ギリシャより。

アメリカ
色々な意見はあるだろうけど彼らが凄まじく勇敢だったという事は間違いないね。国のために自分の命をかけたのだから。尊敬に値するよ。
この戦争で亡くなった人たちどうか安らかに眠ってください。

ジブチ共和国
この映像はとても悲しいな・・・

タイ
これはとても悲しいね。

不明
この日本のパイロット達は日本のミツバチのようだね!
彼らは自分の巣(国)や仲間(家族)を守るために侵入者に対して命がけで向かっていくんだよ!
私は彼らをとても尊敬します!
神風パイロット達の評価を下げようとする人たちもいますが、私はそんな奴らに言いたい。
そういうお前らは自分の国や愛する人の為に命を投げ出す覚悟があるのかと!

中にはぼろ糞にけなす人もいましたが賞賛する声もとても多かったです!
 
自分の命を犠牲にしてまで国や愛する人・家族を守るために戦った方々に涙せずにはいられません。



引用元。
ブログ「海外の反応!I LOVE JAPAN」

http://blog.livedoor.jp/zzcj/

↑こちらのブログ大変おもしろいです。一度のぞいてみてください。

【転載】日本は戦勝国だった

2010-12-09 20:54:43 | 歴史について
そよ風様のブログ(http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/)


とっても素敵なお話が紹介されていました。

日本が大好きなすべての日本人に読んでほしいです



(前略)

…さてそんな中、大変示唆に富んだ講演がありました、

この日の為にわざわざ北海道からお越しの

安濃豊氏の「日本は戦勝国だった」というお話です。

御著書もあり、ねず吉ブログやその他で紹介されたり

北海道ラジオ放送で既にご存知の方も多いと思います。

科学者である安濃氏の「日本は戦勝国だった」という

コペルニクス的大転換的話も科学的に

次々と証拠を挙げて証明していくかのような

お話に思わずすいこまれてしまいました。

安濃 豊氏の主張は

日本人は東京裁判史観の洗脳から解放され

日本人が戦争に勝った事を認める事から

始めるべきだということ。

今の日本は戦争前に望んだ事すべて実現している。

今日本はABC包囲網で窮した油も鉄も入るようになり、

どこの国より豊かになっている。

有色人種はあの戦争で解放された。

奴隷同然であった植民地は殆ど残っていない。

いわば大東亜圏構想、八紘一宇も実現し

アジアが繁栄している。

このどこが敗戦国なのだ。

日本人が卑屈な敗戦国民であると言う認識を棄て、

世界史に残る偉業を成し遂げたと言う誇りを

持つ事から始めよう。

詳しくは御著書を読んで頂くとして以下は抜粋です。
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日本の戦後の歴史に疑問,以下の2点

1.何故敗戦国である日本が

飛躍的な経済発展を成し遂げたのか?
   
古来、敗戦国は戦勝国からの賠償金の請求、
敗戦国民は奴隷として戦勝国への労役の提供、
女性は貢ぎ物として差し出されるというのが常であります。

2.何故戦勝国の軍隊が

まるで敗戦国の傭兵(外人部隊)であるかのように、

必死に日本を守っているのか?
   
古来、敗戦国の軍隊など戦勝国の軍隊の
玉除けに使用されたり、激戦が予想される作戦に
威力偵察の目的に投入されたりします。
しかし、日本では戦勝国の軍隊が敗戦国を守るために
戦っています。(例;朝鮮戦争)
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 大東亜戦争中または終了後、アジア諸国は次々と独立していきます。ケニア独立準備政府は独立後の官僚養成のため、国内の有能な青年達を海外へ留学させます。その中にバラク・オバマ・シニアと言う青年が居ました。この青年がオバマ・ジュニア現米国大統領の父です。ハワイ大学に留学したオバマ・シニアはスエーデン系白人女性と恋に落ち1961年オバマ・ジュニアが生まれます。
オバマ・ジュニア一家はインドネシアへ引っ越します。その結果、オバマ・ジュニアは小学生時代をインドネシアで過ごすことと成ります。
もしも、ケニアが独立しなければ、実の父と母の出会いはなかったでしょう。また、インドネシアが独立していなければ、母と継父との出会いもなかったでしょう。大東亜戦争があったからケニアは独立し、インドネシアも独立しました。

 「オバマ大統領は大東亜戦争の申し子である」と言う理由はこういう事です。

 ”有色人種解放戦争”であった大東亜戦争は最大の”白人敵国”であった米国の大統領まで有色人種にしてしまいました。これを勝利と言わずして何と言うのでしょうか?

敗戦国である日本が何故驚異的発展をしたのか?米国以外の連合国は何故経済的に没落したのか?米国も何故日本に対して相対的に凋落してしまったのか?

戦後、アジア各国は全て独立しました。さらに、旧日本軍によって、また残留日本兵によって訓練を受けた、アジア各国軍は戦後白人の軍隊に対して無敗を誇っています。第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争、マレー紛争、サラワク・ブルネイ・カリマンタン、オランダ領ニューギニアなどでは独立後も英米蘭仏、オーストラリア、ニュージーランド軍とアジア各国の軍が戦いましたが、いずれも白人軍は敗退しているのです。大東亜戦争という薬がいかに効果絶大であったかを示しています。

 私は米国に対して、「原爆投下への謝罪を早急にすべきである」とお勧めしたい

 ドイツ人は原爆投下を米国のアウシュビッツと揶揄しています。投下させれば婦女子、幼児、乳児まで一瞬にして無差別に焼き殺すことを分かっていて使用に踏み切ったわけですから、アウシュビッツ以上の残虐行為であったことは間違いありません。米国にナチスを非難する資格がないことは明らかです。

 米国の言い分はこうです。

「原爆投下により戦争は終結し、日本本土上陸作戦は回避され、多くの日本人の命が救われた。日本は原爆使用に感謝すべきである」

「真珠湾攻撃への報復だった。先に手を出した日本が悪い」


私は米国に核報復を行う国またはテロリストは必ず現れると考えている。
「米国白人はあまりにも多くの有色人種を虫けらおように殺しすぎた。世界中から恨みを買っている」と言うことがその理由である。
私の「謝罪の勧め」である。

 米国がアルカイダによる核テロに遭った後、アルカイダが次のような犯行声明を発表したら、米国は反論出来るのだろうか。

「核の使用はアフガン戦争を早期に終結させるために必要だった。米国はアフガニスタンから撤退せよ。さもなくば我々はさらなる核攻撃を実行するであろう。戦争終結のためにはやむを得ない。さらなる戦争犠牲者を出さないために必要である」

 広島長崎への原爆投下と同じ論理で正当化された場合、アメリカは反論出来るのであろうか?否である。

 広島長崎での原爆使用を不当なものであったとして謝罪し、防衛目的以外の不使用を宣言しない限り、テロリストに対して核による報復テロの口実を与えることになる。

 亜細亜解放という戦争目的を達成した日本と日本軍が、敗戦国と侵略軍というレッテルを貼られ、侵略して植民地化した領土を全て解放されてしまった欧米白人国家と連合軍が、戦勝国と解放軍に認定されると言うことは明らかに論理的に矛盾を来している。

靖国に眠る英霊の皆様方へ

 今日ここに英霊の皆様方にアジア解放達成及び大日本帝国の戦勝をご報告申し上げることが出来ることは、皆様方の子孫たる我々にとって無上の喜びである事をまずはご報告いたします。

英霊へのご報告
 
 アジア各国の独立
 白人達は大日本帝国の降伏に小躍りし、勝利したものと思い込み、再びアジアを植民地にすべく帝国陸海軍が撤退した後のアジアに宗主国として舞い戻って来ました。しかし、そこに待ち構えていたのは、以前では考えられなかった武装して良く訓練された現地独立軍とそれを指揮する残留日本兵でした。 白人帝国主義者は大戦前と同じように武力を持って高飛車に出れば、アジア人は白人に平伏すものと舐めきっていたのですが、残留日本兵によって訓練された現地独立軍は日本軍が遺棄した武器を使用して頑迷に抵抗、次々に独立を勝ち取りました。
 昭和30年4月、戦後独立を果たしたアジア・アフリカ各国はインドネシア連邦共和国のバンドンに結集、バンドン会議を開催しました。この会議には日本代表も招かれ、人種差別の防止、諸国民の平等などが決議され、植民地主義が否定されました。ここにアジアは白人植民地主義者から解放されたのであります。
 最終的には1975年ベトナムの完全独立を持って殆ど全ての植

民地は独立を果たしました。さらに、アジアの独立に呼応して、アフ

リカにおいても独立戦争が各地で勃発、アフリカの白人植民地も

次々に独立を果たしました。開戦に当たっての帝国政府声明文に

書かれているように、大東亜戦争の主目的であった【東亜から米英

の暴政を廃し、本然明朗たるアジアに復する】ことが実現したので

あります。


参考
ブログ『日本は戦勝国だった』

http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/