ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の五叉路(2)

2016-10-26 21:29:23 | 水戸

 五叉路とは普通の交差点に、脇道が1本加わった状態ですので、出現の可能性はたかそうです。事故も多そうなので、気をつけて渡る必要がござろう。わかりにくい写真ばかりで申し訳ないのですが、想像して見てください。

 

 市民センター緑岡(見川町2563)のある角。5本目の道は左側、磯崎皮膚科の手前です。

 

 県道174号線市民センター上大野(吉沼町1765-3)近く。4、5本目の道は、左右の停車している自動車の背後です。

 

 杉崎町にある内原駅入口信号交差点。(杉崎ふるさとコミュニティーセンターがあります。)5本目の道は、右側看板の奥です。

 

 国道50号線大工町信号交差点。5本目の道は左側女性の歩いて行く方です。

 

 国道50号線スポーツセンター入口信号。5本目の道は時計の裏にあります。

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水戸の町名(1)

2016-10-25 22:31:52 | 水戸

元白銀町(もとしろがねちょう)
 南町1-3-35(セブンイレブン水戸三の丸店)に旧町名石碑
 佐竹氏の時代に、彫刻師、金具師、研ぎ師などが多く住んでいたので白銀町と呼ばれていたそうですが、徳川氏の時代になって、町人地域の下町(したまち)へ移転させられて、この地は武家屋敷になり、元白銀町と呼ばれたそうです。高い所で、富士山が見えたので富士見台とも呼ばれていたそうです。

 

白銀町(しろがねちょう)
 うなぎの店東條(本町3-1-33) の隣に旧町名石碑
 埋立によって下町が形成され、上町(うわまち)にあった白銀町の住人が移ってできた町だそうです。水戸彫といわれた刀装金具工芸の優秀な職人たちがこの町から多くでたそうです。

 

南町(みなみまち)
 今の南町1丁目あたり
 江戸氏のころから開かれ始めたそうですが、佐竹氏の時代に町人地として形作られたそうです。徳川氏の時代になって、ここも町人は下町へ移されて、武家地になったそうです。会沢正志斎の私塾南街塾がありました。(写真は水戸平和記念館展示物)

 

黒羽根町(くろばねちょう)
 水戸共同病院前の通り
 那珂川水運の上流、下野国黒羽の住民がここに移り住んだのでこう呼ばれたといわれているそうです。徳川氏になって、武家地になったそうです。柳堤の建設に際してこのあたりの土石も使われたそうです。(写真は水戸観光協会発行文久元年水戸地図)

 

奈良屋町(ならやちょう)
 東部ガス脇の北行する通りと途中から黒羽根町に上る坂
 上町と下町をつなぐ、柳堤への出入り口で、商業が栄え、町人地としてたいへんにぎわったそうです。この町で古着商をした藤田与衛門の子として生まれたのが幽谷です。また、会沢正志斎もこの町で生まれたそうです。

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水戸の根っこ(1)

2016-10-24 21:14:30 | 水戸

 地上の重い部分を支える樹木の根は、大地にしっかりと広く深くのびているようです。すこし土砂が流されると、その一部が姿をあらわして、新鮮な驚きを私たちに与えてくれます。

 

吉田神社
 宮内町3193-2 029-247-6464
 フジの広くのびていることが実感できます。

 

水戸市総合運動公園 
 水戸市見川町2256
 周囲の樹木と絡み合っているように見えます。

 

竃神社
 本町1-2-6   029-226-5896
 古木のケヤキの根も見ごたえがあります。恐竜の指を連想させます。

 

水戸城空堀
 弘道館公園脇の県道232号線沿い
 斜面なので、根が出てきやすいのでしょう。

 

水戸市植物公園 
 水戸市小吹町504
 ①小池脇の土手上にあるカツラの根。太い根の上を細い根が横切っています。

 


 ②ラクウショウの気根。オットセイの親子のようです。

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水戸の銅像(2)

2016-10-23 21:45:58 | 水戸

 JR水戸駅北側の上市台地にある銅像です。

 


徳川頼房
 大手橋を渡って二の丸跡に入った左側。
 水戸徳川家の初代で、城下町水戸の多くをつくった人だそうです。家康は「宝としてたいせつにして、これを抜いてはいけない」とその性格を評したそうです。

 

徳川光圀
 大工町交差点交番脇
 市内に光圀の銅像は8つもあります。元服の時、3代将軍徳川家光から光の字を与えられたそうです。ともに、徳川家康の孫になります。

 

 

徳川慶喜 
 南町3丁目交差点(みずほ銀行側)
 最後の将軍です。子供のころ、寝るときに、顔の両側に剃刀を立てられ、寝相が悪くならないようにしつけられたということを語っています。市内の銅像の数は、光圀が8つ、斉昭(単独像)が2つ、慶喜(椅座像 単独像)が1つです。外に、斉昭、慶喜の父子像が1つあります。

 

本間玄調
 三の丸小学校前
 華岡清洲やシーボルトに師事した、水戸の藩医です。城に向かう途中、苦しんでいる乞食に、駕籠(かご)からおりて治療を施したという逸話もあるそうです。

 

豊田芙雄(ふゆ)
 大町2-2-14(水戸第二高校)
 日本の保母第一号。父は郡(こおり)奉行桑原信毅(のぶたか)、母は藤田幽谷の次女、夫は彰考館総裁・豊田天功の子、小太郎だそうです。水戸第二高校の教師にもなったそうです。この高校は共学だそうですが、男子はひとりもいないそうです。

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水戸の十文字

2016-10-22 21:19:50 | 水戸

 道路の交差点を十文字ということを、水戸へ来て初めて知りました。この表現は全国的にあるようですので、単に私が知らなかっただけのようです。交差点名称や、バス停などで、十文字といわれているものを並べてみました。

 

千波十文字信号
 県道50号線と県道235号線の交差点

 

丹下十文字バス停
 いばらき健康管理センター(見川町2131-143)のある交差点(バス停はこの手前です。)

 

成沢十文字バス停
 県道51号線と市道全隈・藤井線の交差点

 

平須十文字信号
 県道50号線と市道東野・平須線の交差点

 

水戸堀十文字店
 セブンイレブン水戸堀店(堀町1372-3)のある交差点

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