弘道館絵図(弘道館 三の丸1-6-29)
弘道館にあった医学館には、牛が飼われていたようで、牛小屋が記されています。徳川斉昭は、牛酪をつくったり、教職の老年者に給与したり、また、病人に勧めたりしていて、そうとう牛乳を評価していたようなので、そうしたことも影響しているのでしょう。(後日 考えてみると、水戸藩は広汎に種痘を実施しましたので、牛痘のワクチンを作るために牛を飼育したのかもしれません。)
韓牛の石碑(「組合記念」碑 平戸町)
大正3年に12名が組合を組織して、京畿道水原郡烏山産の韓牛を下関経由で導入し、農耕に使用して広めたそうです。昭和6年に「組合記念」碑として、それを記して建てたようです。
牛塚(六地蔵寺 六反田町767)
多くの貴重な仏教文献等を収集した、六地蔵寺3世の恵範(えはん)が、それを牛に運ばせて水戸に着くと、疲れで牛が死んでしまったので牛塚を建てたそうです。
牛馬奉納額(地蔵院長田観音 内原906)
地蔵院境内にある長田観音は、足利義政の家臣だった長田孫六が戦いに敗れて、この地に逃避して、建てたそうです。その後勢力を持ち直して足利に帰ることになったものの、馬が転倒して怪我をしたため、馬頭観音に祈って無事に帰れたそうです。観音堂は近くの畑中にあったそうですが、大正時代に地蔵院境内に移されたたそうです。そうしたことからなのでしょう、牛と馬を描いた絵馬が奉納されています。
撫(な)で牛(水戸八幡神社 天満宮 八幡町8-54)
菅原道真を天神とする信仰より前からあった天神信仰で、牛はその使いと見られていたようです。それが道真を天神とする信仰にも引き継がれて、牛乗り天神とか、撫で牛といった形ができたようです。撫で牛は、自分の体の悪い部分と同じ牛の部分を撫でると御利益があるということのようです。この天満宮は、水戸八幡神社がこの地に移されたときより前からあったそうです。
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