自然の持つ大きな力を体験した人間が、畏怖の思いから、神様を誕生させたのでしょう。その力には、豊穣をなどもたらす和、穏の部分と、災害などをもたらす荒、烈の部分があって、後者を神とした一つが荒神なのでしょう。そんな荒神信仰に、陰陽思想や密教、山岳信仰などが入ってきて、さらに、食や暖などの部分(和)と、火事の部分(荒)をもつ竈神(かまどがみ こうじん)という信仰も、読み方が同じということもあって合流したのでしょう。その結果、複雑で、あまり解明の進んでいないらしい神様ができてきたようです。荒神の姿は、日本独特なもので、インド、中国から入ってきたものではないそうです。
竃神社(かまどじんじゃ 本町1-2-6)
江戸氏の時代には水戸城内に三宝荒神(さんぽうこうじん)という名前であった神社だそうですが、寛永3年(1626)に赤沼に、さらに、元禄3年(1690)に現在地へ移り、天保年間(1830-1844)に徳川斉昭が竃神社と改名したそうです。荒神を竈神にかえたというのは、農人形の斉昭らしいといえるような気もします。
三宝大荒神(五十嵐建設 城東3-1-78)
上の竃神社が、今の地に移る前にあった地あたりに、屋敷神として祀られている荒神社のようです。たぶん、かつて、今の竃神社がこのあたりにあったことを示すためにも建てられたのでしょう。
三宝大荒神(西大野529)
神額には、三宝大荒神、金刀比羅大権現と刻まれていますが、拝殿には、八坂神社、稲荷神社も併祠されているようです。三宝荒神は、三面六臂(顔が3、手が6)で、仏法僧の三宝を守護する神仏混淆の神のようです。
竃天神(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
こうした竈神(かまどがみ、こうじん)がかつては、竈の上に祀られていたようです。私の生まれた家にもすすで真っ黒になった竈神がありました。
荒人神社(見川36°22'06.2"N 140°26'36.4"Eあたり)
いつの時代にか「神」が「人」にかわってしまったのでしょうか。