ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の火鉢

2024-01-24 21:10:00 | 水戸

 火鉢はほとんど姿を消した暖房具のようですが、囲炉裏などと同じように、昔を楽しむアイテムの一つとして、これからもわずかでしょうが生き残っていくのでしょう。周囲が木材の角火鉢もありますが、町でよく見るのは陶製の丸火鉢のようです。

 

弘道館玄関(三の丸1-6-29)
 これが一番水戸で知られた火鉢でしょう。3本の獣足が支える、金属製で大型の丸火鉢で、いかにも重そうです。昔からここにあった物かどうかは知りませんが、格式のある広い玄関で、暖を取ったり、手をあぶったりするのにはちょうどよい大きさと風格があるようで、風景になじんでいるように見えます。この奥に、尊攘の掛軸が下がっています。畳縁には、三葉葵が編み込まれているようです。

 

見和図書館(見和2-500-2)
 河和田城跡から出土した、上にある弘道館の火鉢と同じような、火鉢の獣足だそうです。15世紀とありますので、徳川時代以前の、江戸氏の時代に使われた物なのでしょう。粘土をこねて焼いた素朴な火鉢ようですが、地元でつくられたのでしょうか。水戸という地方で、江戸時代前と後との生活文化の違いが大きかったらしいことが、写真上下の獣足を比較すると実感できるような気がします。見和図書館で見ましたが、大串の水戸市埋蔵文化財センター(塩崎町1064-1)に保存されているようです。

 

二の丸展示館(三の丸2-6-8)
 瓦質(がしつ)土器は、12~13世紀頃から生産が始まった、瓦のような質感を持った、表面に炭素が吸着した灰白色や灰黒色をした土器だそうです。写真の火鉢にはうわ薬がかかっていて、花の模様も描かれていますが、地元でつくられたようです。日新塾(成沢町)で出土した火鉢の破片だそうです。瓦質土器は、ほかに甕(かめ)や花瓶などの大型のものが多かったそうです。品質はそれ程よくはなかったことでしょう。

 

常磐町
 ストーブやエアコンが普及して、本来の用を終えた火鉢は、金魚鉢や水生植物の植木鉢などとして使われたようです。最近はその役目も終わってきたようで、逆さにおかれて台になるという第三の人生に入っているようです。これが今一番見ることのできる火鉢のようです。

 

定善寺(じょうぜんじ 酒門町363)
 広い寺で行われる冬の法事は寒いので、昔はたくさんの火鉢が使われていたことでしょう。上の写真を見ると、お寺だけになかなか見ごたえのある火鉢が使われていたようです。中に大きな徳利?が入っていて、境内観音堂脇に置かれていました。宝蔵寺(谷田町633)でも以前、たくさんの火鉢が見られました。

 

幸月庵(石川3-4140-3)
 蕎麦店でこんな火鉢を以前見かけました。茶席なども想定して置かれたのでしょうか。いかにもしゃれた火鉢でしたが、残念ながら店は閉じられてしまったようです。

水戸の炭(1)


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