江戸時代の千社札は、寛政11年(17899)には、幕府による取り締りの対象にまでなったようです。そうなるだけの、派手な交換会が開かれたり、過剰な貼り歩き競争があったということなのでしょう。流行の行き過ぎはいつの時代にもあるようです。現在はほとんど見られなくなったようですが、それでも数十年前まで続いたのですから、息の長い習慣だったといえるのでしょう。
吉田神社(宮内町3193-2)
随身門にもたくさんの千社札が貼られています。こうしていろいろの寺社の写真を並べて見てみると、同じ人がいろいろな寺社を参拝しながら千社札を貼って回っていることが分かります。
鷲神社(千波町1945-1)
これはみこしを保管する神輿庫です。ここにもたくさんの千社札が貼られています。「奉拝+名前」の形が多いようですが、「敬神+名前」というお札も見られます。
常磐神社(常磐町1-3-1)
拝殿にはもう千社札は見られませんが、裏手の屋根だけの建物には貼られた千社札が残っています。
杓子稲荷(平戸町938)
小さな木製の千社札が一枚だけあります。この神社が建て直されたころにはもう千社札の習慣はほとんどなくなっていて、この特殊な一枚だけが新築後に貼られて、千社札を貼るという習慣の名残をとどめているといった感じでしょうか。
鹿島神社(全隈町255)
拝殿向拝の天井などに貼られている千社札です。四天王と書かれた4名連名や、2名連名の千社札、一人で2枚ずつ貼った千社札、「納札大王巴連」という「連名」を記した千社札など、いろいろな種類が見られます。
佐竹寺(常陸太田市天神林町2404)
別格の千社札風景が見られるたは、水戸市内ではありませんが、佐竹氏代々の祈願所だった佐竹寺です。ただし、平成24年の写真です。
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