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水戸の見て歩き

水戸の梅の話題(3)

2017-02-17 21:30:19 | 水戸

梅祭前夜の梅
 今日は水戸の梅まつりの前日です。偕楽園の梅の開花は40%を越えたそうです。閉園直前にいってみましたが、ひとりで梅の夜景を独占できました。

 

偕楽園駅(常磐町1)
 明治32年に観梅列車が始まったそうですが、その梅祭にあわせて、大正14年2月に、公園下に仮降車場として臨時の駅がつくられたそうです。今も続いていて、梅の開花時期だけにオープンし、特急列車もとまる駅というのは珍しいものでしょう。少しずつ駅の整備も進んでいるようです。

 

梅里先生碑(常磐町1-3-1(常磐神社))
 「先生は常州水戸の産なり」ではじまる漢文の碑で、「ものにこだわらない。読書が大好きだが、必ずしも十分な理解を欲しなかった。歴史を編纂しようと思い、資料を探したり、買い求めた。皇統や人臣をただして定説をつくった。兄の子に後継を譲り、それによって自分の志をなした。瑞竜山の先代の墓の傍らに碑を建てて、それを梅里先生(光圀)の墓とする。」といった、徳川光圀自身が書いた墓碑銘だそうです。ちなみに、水戸で生まれた藩主は、光圀だけだそうです。

 

徳川斉昭の梅の歌
 春めでし 花もえならず 神垣に おふる鈴梅 なるとこそきけ
  しらたえに あけに匂へる 梅の花 心の色は 神ぞ知るらん
  葦原の瑞穂の国の外までも にほひ伝へよ 梅の華園
写真は修繕中の弘道館庭にあった「葦原の」の歌の掲示です。

 

梅の地名
 梅香 佐竹氏の臣・岡本禅哲(梅香斎)が、この地に住み、梅を植えて楽しんだことに由来するそうです。
 梅小路 天保の改革の一環として、江戸在住の武士を水戸に移したときにつくられた町で、桜、松、竹等、植物の名前をつけて、町の入口にそれぞれの木を植えたことに由来するそうです。
 白梅 昭和37年の住居表示法によって、昭和51年に、今の白梅の地名が、旧地名にかわって登場したようです。写真は、梅小路石碑付近です。

水戸の梅の話題(2)

コメント
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