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水戸の梅の話題(2)

2017-02-16 20:09:56 | 水戸

種梅記碑(三の丸1-6-4(弘道館鹿島神社))
 「若い頃から梅を愛好していたが、水戸に来ると少なかった。自分で種を取って、江戸から水戸へ送って植えさせた。天保11年に弘道館が成るにあたり、数千株をその近くに植え、武士の家にも植えさせた。早春に花は風流の友となり、実は渇(かわ)きをとめ、軍旅の助けとなる。数年にして花を国中に広め、戦時の蓄えを増やすべきだろう」といった徳川斉昭の文章が刻まれています。

 

武田耕雲斎藤田小四郎の辞世
 天狗党の乱で、敦賀まで行軍して処刑された二人の指導者の辞世句には、梅が詠みこまれたものもあります。処刑は元治2年(1864)2月14日に行われたそうです。それにしてもこの二つの歌はよく似ています。写真は妙雲寺(見川2-103)にある武田耕雲斎の墓です。
武田耕雲斎 咲く梅の花ははかなく散るとても 馨(かおり)は君がそでにうつらん
藤田小四郎 さく梅は風にはかなくちるとても にほひは君が袖にうつして

 

子規の句
 南崖にある石碑(偕楽園(常磐町1-3-3)内)で有名な「崖急に 梅ことごとく斜めなり」という句もありますが、弘道館で詠んだという「烈公の冠正し 梅のはな」という句もあります。写真は南崖の子規句碑です。

 

観梅列車
 明治31年に常磐線が全通したそうですが、その翌年に上野から観梅列車が仕立てられたそうです。はじめ下町や大工町で踊りなどを見せたそうですが、3-4年で、偕楽園公園にその場を移したそうです。このころに、納豆の駅売りもはじまったそうで、役者が揃ったというところでしょうか。写真は、平和記念館にある明治29年頃の水戸駅だそうです。(駅は奥の長い建物で、その裏手は旧・千波湖です)

 

円通寺の梵鐘(千波町1227)
 徳川斉昭による、天保年間の梵鐘鋳つぶしで梵鐘がなくなって以来、ようやく昭和54年に再鋳されたそうです。この梵鐘の下の部分である下帯(したおび)には、梅の花がほどこされています。

水戸の梅の話題(1)

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