ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸城西側の東西道

2017-02-18 21:50:42 | 水戸

 新編常陸国誌(復刊)の「安政中水戸上町図」にある町名です。小さい文字は、参考です。
きちんとした碁盤の目状(少し長めですが)になっており、都市計画がしっかりできていたことが分かります。
この地図で見ると、今は、大町、仲町、南町を、「おおまち、なかまち、みなみまち」といいますが、かつてはまちをちょうといっていたようにも思えます。これらの道の東西には、南北の道である、大坂町(西)と黒羽根町、元白銀町(東)があります。

 

 田見小路には、かつて水戸八幡があり、八幡小路といわれたそうです。水戸藩主5代・徳川宗翰(むねもと)が、この地に御殿をつくり、ながめがよく、田が展望できるということで、田見小路といわれたそうです。

 

 大町 佐竹氏の城郭整備の時に開かれた町で、町人が住んでいたそうですが、寛永初年、田町越えの際、町人が下町に移されて、武家地となったそうです。

 

 仲町 大町と同様です。大町と南町の間にあったので呼ばれたそうです。

 

 南町 大町と同様です。泉町との境に泉町見付という門があったそうです。

 

 裡(うら)南町 片側町だったそうです。元禄年間には、儒学者・森尚謙らが学問を教授する講釈所があったそうです。

 

 藤沢小路 古くは神生平(かのうたいら)といわれたそうです。佐竹氏に招かれた、同族だった32代遊行上人が藤沢道場(今の神応寺)をこの地に建てたことから呼ばれたそうです。

 

梅香 佐竹氏の家臣・岡本禅哲(梅香斎)が自宅に梅樹を植えて楽しんだことから呼ばれたそうです。

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