(写真は東柵町と西柵町 (水戸城下絵図写) 茨城県立歴史館所蔵 画像の無断転載禁止)
泉町(いずみちょう)
慶長の頃開かれた商人町で、始め新町(あらまち)といわれましたが、その後、本新町(もとあらまち)呼ばれました。火事がおおかったことから、享保元年(1716)火に強い水ということで、泉町と改められたそうです。
金町(かねまち)
元は材木商が多かったので木町といわれていたそうですが、火事が多く、元禄9年(1696)に、金は火に強いということで上金町、下金町と町名が改められたそうです。水戸光圀が改名したという説もあるようです。
柵町(さくまち)
二の丸三の丸南の崖下地区と、本丸南の崖下地区との間に柵木戸があり、それからついた名前だそうです。前者が西柵町、後者が東柵町、通りが柵町通りだそうです。柵木戸は上町と下町の境ともされたそうです。
梅香(ばいこう)
佐竹の家臣岡本禅哲は梅香斎と号して梅が好きで、佐竹氏水戸入城後も、この地に住んで梅を植えて楽しんだそうです。それでこの地名が付いたのだそうです。幕末に徳川斉昭は、残っていた老梅に先春梅と名をつけて碑をたてたそうです。
備前町(びぜんまち)
水戸藩初代徳川頼房以来代々家老であった、中山備前守の家臣17名の屋敷があったことことによるそうです。元禄3年(1690)、天王町(牛頭天王が祀られていたそうです)と町名が変更されたそうですが、いつしか元に戻ってしまったそうです。
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常陽銀行のマークですが、yahooのホームページの天気予報の晴れのマークとほぼ同じでしょう。
そして、三種の新規の八咫鏡の中央のマークとも、ほぼ同じ。また、八咫鏡は、福岡県糸島市にある「伊都国・平原遺跡出土の大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)と、同じ形状で同じ大きさのものではなかったか」と言われています。
常陽銀行のマーク・八咫鏡の中央のマークとも、「八本のフレア」があり、八咫鏡も「八」がある。
なぜ「八」なのか、太陽を1年を通して同じ場所で同時刻に観測すると、1年のうちに太陽の位置が8の字型を描きます。この現象を「アナレンマ」と言われています。なので、∞(無限大)も同じ記号なのでしょう。そして、水戸とは、元は三戸のようですから、八咫烏の「三本足」のかもしれません。「ホーリーホック (HollyHock)」は英語で「葵(タチアオイ)」を意味し、水戸藩(水戸徳川家)の家紋の葵 から採られているようです。Hollyの意味は西洋柊,Hockの意味は、飛節,後脚くるぶし関節(◇ブタなどの後脚の球節の上の関節;その肉),鶏のひざ です。
また、西洋柊は、「ヨーロッパではキリスト教以前にもドルイドにより聖木とされた。また古代ローマではサトゥルヌスの木とされ、サートゥルナーリア祭(農神祭)で、知り合いへの贈り物と一緒にセイヨウヒイラギの枝を添え渡していたものを、その直後に当たる12月25日の冬至祭でキリスト教徒がまねたため、後にクリスマスにつきものの装飾となったといわれる。キリスト教では、キリストの足元から初めて生えた植物とされる。また、トゲトゲの葉や赤い実はキリストの流した血と苦悩を表す。そこから別名「キリストの刺」「聖なる木」とも呼ばれる。」です。(都市伝説になりますか?)
日本の記紀にはエジプトのように史実的が書かれていなく感じるかと思います。代わりに、レイラインやことわざ等々調べると面白いですよ。
・水戸市宮内町の吉田神社では、例年高さ7mの門松を設置するとのことです。
・栃木県那珂川市矢又の「鷲子山上神社」この神社にはフクロウ像があって、高さが何と7mらしいです。
東国三社のお守りに、鹿島神宮:青色、息栖神社:黒色、香取郡宮:赤色のものがあります。東金砂神社の田楽舞の「三鬼舞い」の鬼の面は青・黒・赤です。オリンピックマークの五輪の上段と同じ
水戸の「水」は東海道53次の50番目の宿場:水口と第50代天皇:桓武天皇に謎かありそうです?
「五十」は、いそ(磯)で、太陽は茨城では海(磯)から日の出となります。
ゆっくり、楽しんでください。