日本一周川下り

カヌーで全国一級河川を中心に川下りをした旅日記。
日本一周の楽しいやり方等、カヌーとは無関係に楽しめるでしょう。

 同 【2003年 7月27日】

2006-10-17 02:58:25 | Weblog
《北上川 Ⅰ》

番号 河川名 全長(km) スタート地 ゴール地 難易度
備  考
17 北上川 249(内約13) 雫石川へ1kmの所 紫波大橋 中易 自然が豊富な川

 朝、何となく明るい。テントのジッパーを上げると、何と青空が見えた。『ワー青空じゃー、綺麗じゃなー、気持ちがええー、久しぶりじゃのー、グランドの緑も綺麗じゃー!』とパチリ。
久しぶりの明るい日差し
とは言っても、今時のカメラは音がほとんどしない。何だか、気が抜けたような、撮れてるかどうか不安さえ感じる。
 この際、少しでも、衣類を乾かそう。

 早速、朝ごはんに蕎麦を湯がいた。『うまいなあ!天気が良いとご飯も一層おいしくなるなぁ!』

 さあ、出発だ。
 少し走ると、何と正面に雲をたなびかせた大きな山、岩手山だ、久しぶり、懐かしい
美しい岩手山の遠望
 と、言うのが、40年余り前のS36年、秋田県花岡に研修に来ていたとき、土日で、九州工大の同じ実習生と二人で、この岩手山へ登ったことがある。夜、懐中電灯を照らしながら、それはそれは大勢の人が登った。きっと麓から見ていたら、山が明るく輝いていたのじゃないかと思えるくらい多くの人が縦にも横にも並んで、がれ場を登って行ったのです。懐かしい!当時をふつふつと思い出させてくれる見事な山容だ。
 盛岡へ近づくと段々山が大きくなる。今日は晴れてて、私に岩手山の偉容を見せてくれるために、晴れてくれたような気さえする。何とすばらしい山容だ。やっぱり、私はついている。

 「旅本」の地図にある出発地辺りへ行くと、河川敷が畑でその間に、車のわだちがいくつかあり、川面にも向かっている。その中の一つに入り込む。が、突き当りには川辺には降りれなかった。丁度、そこに居られた農家の人にお尋ねしたら、『あの三角の建築物のところから入れば、川面に行けますよ!』と、言う当たりから、話が始まり、『私は、金は無いけど、時間だけはた~っぷりあるので、思い切って、旅に出ました。』彼は『定年して、それまでは、半農だったが、今はプロの百姓をしている。農家が農業で生活できる社会にならないといけない。』 『昭和の30年代の高度経済成長・所得倍増計画、以来、国は一次産業を無視し、疲弊させた。日本は食糧自給率30%、これからは自給しないと、食糧難の時代がキット来るから、農業は絶対に良いですよね!私も農業はしたいのですよ。』等など。
沢山の野菜を下さった吉田さん
 分かれる前に、『大根持って行くかね?』 『あぁ、ありがとうございます。いただきます。』 『かぶもどうだね、ジャガイモも持って行きな!』と、掘り起こし、なすびも切りとってくださった。『ありがとうございました。』と。『気をつけて行ってらっしゃい。』等でお別れした。 写真を撮らせていただき、ご住所もお聞きした。盛岡市内の吉田さんだ。吉田さんは丁度、私と同じ昭和14年生れで、吉田さんが25日ほど先輩だった。帰ったら、写真をお送りしよう。
 で、お教え戴いた三角の所から入ると、ばっちり。丁度良い降ろせる場所があった。
 なお、吉田さんから、これは北上川じゃない、支流の雫石川だともお聞きしていた。

 「雫石!」これも猛烈に懐かしい響き。先の岩手山に登った話の続きだが、山頂へ着き、どこへ下りようかと降り口を周りの人に聞いたら、雫石へ降りる道がある。と、下り方向をお聞きし、下り始めた。あれだけ沢山の人が登ったけれど、こちらに降りる人はいないようだった。
 兎に角、どんどん下った。大分下ったのだけれど、まだまだ、先のようだ。4時頃には、バスに乗らないと、花岡へ今日中には戻れない。ついに、二人は走り始めた。なだらかな下り坂をどんどん走った。走っても走っても村には着かない。途中、畑仕事している人に、『どれくらいですか?』と、お聞きしたら『もっと先だ!』との返事。
 また、もっともっと早く走り出した。疲れも何も無い、必死で、走った、背中の荷物も「何のその」走った、走った。こんなに走ったことは生涯にない位走った。

 やっとのことで人家が見え、村に着き、バス停へ。がくっ!、次は一時間後の5時頃しかない。完全に花岡ヘは帰り着かない。でも、帰れる所まで帰ろうと、やっとバスに乗り込み、盛岡駅へ着いて、時刻表を見ると、やはり最終便は出てしまっていた。残念無念!
 まぁ仕方ない。駅のベンチでシュラフで寝て、朝一で花岡へ向かった。当然、その日は、実習はパー!無断欠席だ。

 それから、何年か過ぎたとき、当時は非常に珍しい事件がこの雫石で起こった。自衛隊機と民間機の空中衝突事故と言う大惨事。大きく新聞紙上に取り上げられた。
 「雫石」と言う名には、こんな強烈な印象が私にはある。

 で、吉田さんに教えていただいた場所の入り口付近に、「雫石川1、0km」の立て札もあり、分かりやすかった。カヌーを降ろし、準備万端整えて、丁度見上げると、岩手山が綺麗に見える。すばらしい眺めとパチリ。
スタート地からの岩手山
 風はきつい、が、今日は珍しく、ランニングの風、追い風だからありがたい。この強い風で、前から吹かれたら、とんでもない川下りになる所だけど、今日は順風だ。

 GO!と、1045:岸を蹴った。すぐ、小さいけれど瀬で、楽ちん楽ちん。北上川への合流点へ近づくと、ゴムボートがいくつか見える。『あれ~!本流から、ゴムボートが来てる!』と、思いつつ、近づくと、何と、10隻ほど見える。『あれあれ!』と、驚いていると、もっといる4~50隻ほど見える。何と、ゼッケンを付けている。「第27回北上川ゴムボート下り大会 JR東日本、国土交通省」とある。北上川の本流へ入ると、前にも後にも、数え切れない数のゴムボート。

 『こんにちは!皆さん何のグループですか?』 『色々なグループが来ていますよ。』 『何人くらいいるんですか?』 『メンバーは全部で3000人位いるけど、今日は1000人位の参加者でしょうか!』 『ワオ-!3000人?』
 もっと、下っていくと、いるわ、いるわ。ゴムボートの群れ。ゼッケンナンバーも500番を超えている。各ボートに二人ずつ。
 親子、男女、金髪女性、男同士、女性のみ。老若男女、楽しくやっている。少し下っていくと、彼らのゴール地点が近づく、何と河川敷にはいっぱいの車、車、車・人、人、人・テント、テント、テント、
ゴムボートたちのゴール地「芦田川手造りいかだレース」を思い出した。2000年に、第二十回で終ったけど、金をかけない方法で、もっと続けておれば、福山の夏の風物詩として、市民の楽しいイベントだったのに…。誠に残念だ。

 兎に角、すごい人が参加し、陸でも家族が応援に参加し、今日一日を楽しく、健康に、綺麗な空気を吸い、美味しく食べ、和気あいあいとした、一日にしたことだろう。誠に素晴らしいことだ。

 川は風にも押されながら、順調にすべる。風が強くなると、カヌーをヒール(傾けて)させ風を多く受け、走らせる。流れに乗っている木の葉などをどんどん抜き去り、早い早い。
 今日は珍しいものに出会った。1mほどの蛇がくねくねと泳いでいた。滅多に見ることは出来ない。子供の頃から、蛇は大嫌いなのだが、泳いでいる分は、彼らは自由じゃないから、安心で、平気だ。むしろ可愛くさえ思う。近づいて見る。が、余り近づきすぎて、カヌーに乗り込まれたら大変だから、一定の距離は保ちながら…。黒っぽくて白の斑点があったから恐らく、鴉(からす)蛇だ。彼は陸に近づき、水から上がった、安堵したに違いない。

 梅雨のため、また、昨日の本降りの雨のため、水量が適当に多いので、難所や、要注意のところも何のその、どんどん行ける。やはり、私の日頃の行いが良いから、お天道様は私に味方してくれているからに違いない。今後も善行を重ねよう。
 このあたりは、泥岩質が多く、黄土色で、滑らかな岩肌をしているのが、比較的安心感を与えてくれる。砂質程度で、石の礫も含んでいないようだ。
 盛岡市という大都会の真ん中を貫いて流れているにもかかわらず、うっそうたるジャングルの間を縫う様にながれていて、多くの市民はこんな素敵な場所をほとんど活用していないのではないだろうか?自然との接点をカヌーで触れていただきたいものだ。自然は心をしっかりと癒(いや)してくれるんだから…。
 そんな自然を満喫しつつ、追い風にも乗り、下っていくと、比較的早くゴールの紫波大橋が見えてきた。
 1338:着岸。2時間と53分のこれまた素敵な北上川下り、パートⅠとなった。

 車を取りに戻ると、近くで魚釣りをしている人とまた、話が出来た。彼は山登りが好きで、今もボランティアでお手伝いをしているとのこと。また、彼は若い頃、日本一周をしたいからと、トラックの運転手になって、早めに出発し、現地に早く着き、その時間を観光に当てた、と言う。日本一周するにも色々な方法があるものだ。でも、若いときに。そんな夢を持ち、その為の方策を考え、実行したのだから、彼はえらい!感心だなぁ。

 紫波大橋へ帰ってくると、丁度、3人の女の子が近づいてきて、『こんにちは!今晩ここで寝るの?』 『そうだよ!ここは雨も落ちないしね!』 『おじさん、何してるの?』 『カヌーで川下りしながら、日本一周をしているんだよ。福山から来てるんだ。福山って、どこだか分かる?』 『分んない。九州?』 『ブー!』 『広島県!』 『当たり!良く分かったね!賢しこいなー!』 『ここに書いてあるもん!』等と話していて、『おじさん、花火しない?』 『花火?まだ明るいじゃん!』 『花火するのに大人の後見人が要るのよ、おじさんなってくれない?』 『あぁ、それは良いよ!』 『やったー、良かった!』 『ところで、ふろふき大根の作り方知ってる?』 『知らな~い!』 『じゃあ、しゃーない、適当に作ってみるか!あんたら、食べる?』 『食べる、食べる!』 『皆も食べるかなぁ?』 『絶対、食べるよ!』 『じゃぁ、沢山作らなきゃ!』と、言うことで、適当に作ることにした。

 最初に声をかけてきた、かおりちゃんが手伝ってくれる。大根洗ったり、皮剥いたり。その皮を小さく刻んで、みじん切りにし、草地にばら撒いてもらったりした。
 私はエコクッキングをしているので、余り生ごみは出さないし、大地から得たものは大地に返すことにしているので、皮でも、芯でも、食べれる所はとことん食べ、どうしても捨てざるを得ない部分は、小さく刻んで大地にばら撒く。小さくすれば、ミミズや蟻や微生物が早く分解してくれるからね。
 大体において、「今、日本人が大地から得たものを燃やして空へ放出するから、空気がおかしくなっているのだ、そして、食べれる所もどんどん捨てている。無駄をして、ごみを増やし、燃やして炭酸ガスを空へ撒き散らしている。温暖化していくのは当たり前だ。「天に唾している」んだから。特に、『あなた方、若い人たちはこれから自分達の生きていく地球なのだから、生きて行けれるようにゴミをきちんと分別し、資源として活用し、燃やすゴミを減らさないと、大変なことになること間違いないのだよ!』と、言ったことも話てておいた。理解してくれたかなぁ?

 ふろふき大根も何とかできて、少しは食べてくれたけど、沢山残った。美味しくも無かったからだ。なお、大根はもっと時間掛けてゆっくりと煮てやらないと味が染み込まない、時間も不足だったろう。
 彼等は「紫波一中」の陸上部のクラブ員で、総勢10人ほどだが暗くなると徐々に集まり、花火を始めた。中学3年で、まだ花火をしたいくらい、ここの子供達は純真?初心(うぶ)なのだろう。そんな子供達とも話ができて、良かった。なお、かおりちゃんは中々しっかりしてて、物怖じせず、素直で、非常に良い子だ。

《紫波大橋下泊》

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