脳トレ宇宙論 正師・良書・ライバル
・正師を求めての旅-求道の旅
正師を得ざれば学ばざるに如かず(道元禅師『学道用心集』)
正しい師匠のもとでなければ、学んでいないも同然である。
何事においても自己流で物事を学ぶのは、一歩間違うと全く違う考え方や、
間違った方向へ行く危険と隣り合わせとなり、さらにその間違いは探究すればするほど本来の教えとのズレが大きくなっていくことがある。
・千日の勤学より一時の名匠
・師たるもの、常にひたすら学び続け、進歩していなければ師の資格はない
分からないことがあれば、相手がたとえ年下であっても教えを乞う
・師を凌駕せざるものは哀れなるかな(レオナルド・ダ・ヴィンチ、1452-1519、伊)
・古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ(松尾芭蕉、1644~1694)
・私は未だ学んでいる(坂本龍馬、1835-1867)
ライバル(rival)good rival a worthy opponent
一般にライバルないし好敵手は、何らかの競争関係において、好ましい状態変化を促す存在である。
学問の分野では競争相手の存在から、より知識を高めあう方向で努力する意欲を得る。
このような関係は相互の信頼の上に成立する。逆に相互に相手の成功を不正なものだと考え、その欠点を探し回る関係では、競争関係ではなく足の引っ張り合いである。また、その競争に謀略がある場合はスパイや情報戦である。
良書・名著・古典・適書・すばらしい書物
アレキサンドリア図書館
・数学を学ぶためには、自分に合った良い先生と良い先輩と友人、それに何よりも優れた本との出会いが大切である(上野 健爾,数学者)
・繰り返すことは最良の勉強である(ザメンホフ、1859-1917、ポルトガル、言語学者)
・どれだけ偉大な思想であろうと、それを伝える人がいなければ失われる
・理系から見れば、文系のやっていることはあまりにも精密性と客観性と再現性が乏しくて、とても学問には見えない。
文系から見れば、理系のやっていることは、現実の豊かなリアリティーを数式に還元して上澄みだけをすくっているだけの皮相な行為に見えてしまう。
このあいだの溝を埋めるのは至難の業である(森岡正博、哲学者)。
・「宇宙論は何の役に立つのか」は「生きていて何の価値があるのか」とほぼ等価である。
・数学教育はその国の繁栄を決める(ナポレオン、1769-1821、仏)、同じように「脳トレ宇宙論」はあなたの人生を豊かにする。
・好奇心は人間を生き生きさせる(宇野千代、1897-1996)
・学問の分野であろうと他の分野であろうと、さらに趣味であっても
世の中の流行に流されないで自分の面白いことを徹底的に追求して
充実した人生を送ることができれば非常に素晴らしいことではないか
(ドナルド・コクセター、1907-2003、英、幾何学者)
・面白さの本質は、明快さ、趣き、そして著者の熱い思いである
・「見てワカランものは、聞いてもワカラン、論理がワカランものは、宇宙もワカラン」、とこの間アインシュタインがテレビで言っていた…冗談でげす
・追加(引用WEB記事:EMANのあいさつ)
少年の頃の夢をひとつかなえることができた。相対性理論を数式で理解したいという夢だ。物理学を勉強した者は誰でもいつか自分もこの偉大な理論を数式で理解できるようになれればと夢見るものである。
(自分には無理だと最初からあきらめてしまう人がほとんどだが。)
小さい頃から大好きだった物理学の勉強の時間を 1日1時間取ることにした。 しかし、何年ものブランクがあるために 昔学んだ多くのことを忘れてしまっている。
量子力学も、解析力学も、素粒子論も順を追って説明すれば高校生にだって理解できるはずだ。本当に良い教科書が在れば大学で学ぶ範囲の概念を習得するのは数ヶ月かからないで済むだろう。 大学での残りの時間は応用に使うべきなのだ。挫折を乗り越えなければ研究者としてふさわしくないのか? 確かにそうだ。しかし挫折する必要のないところで才能の芽が摘み取られてゆくのを見るのは忍びない。
私の経験では物理そのものは決して難しくないのだ。 ただ理解に達するために資料を調べる時間が異常に長いだけである。ひとたび良い本に出会うと数時間の内に疑問が解決し、 数ヶ月に亘る探索が報われることがよくある。
せめて自分が何を知らないから、つまづいているのかだけでも分かれば、 もっと素早く知識を習得できるのだ。理解できるようになるまでに何冊もの本を交互に読みながら 自分の知識のギャップを埋めていかなければならない現在の状況を もっと簡素化したいのだ。
自分が大学生の時、やる気はあったけど、授業が全然わからなかった。 大学の先生というのは、 生徒がどれだけ単純なことでつまずいているのか分かっていないようだ。
大学を卒業する頃、自分がそれまでの必死の努力の末、ようやく理解した内容を振り返ってみるに、 誰かが分かり易く教えてくれさえすれば半年で習得できた事じゃないか、と感じた。 自分の4年間はあれは何だったのか、と挫折感を味わったものだ。