脳トレ宇宙論 Coffee Time 漆黒の闇(再)
WEB記事に心理学者の河合隼雄さんの話が紹介されていた。
「夜、闇の中、漁船が行き先を見失う。船員が必死に灯りをつけるが方向が見えない。その時老練の漁師が言う。「灯りを消せ」。真っ暗になる。闇に慣れてくると、遠くにボーと町の灯りが浮かぶ。明るさの中で見えなくなり、闇の中で見えてくるものがある。」
私たちはともすれば、常に光の中にあろうとし、また自らの手に灯りを持ち、行く道を照らし出そうとする。しかし、その光ゆえに、手にする灯りゆえに、見えなくしていることがありはしないか。灯りを消せ! 闇のなかに遠く微かな灯りが浮かぶ。自分へ集中する目が転じられる。
自分を離れたところから此方を照らす光があることに気づく。自分を中心点として描く世界が転ぜられて、その光の照らす世界の中に私が見出される。悩みがもし闇だとしても、その闇の中でこそ見えてくるものがある。自らに光を喪失して、はじめて気づく灯りがある。
WEB「いままで宇宙ステーションに守られていたんだな」ひとりぼっちで宇宙に出た時に感じたこと
足下には地球だけがあった――船外活動で宇宙飛行士・星出彰彦さんが目にした「漆黒の闇」
4か月間の滞在でも全く飽きなかった“ISSから見る地球”
「実は私は初めて宇宙に行く前は、飛行士の誰もが『地球が美しい』と言っているのを聞いても、それはそうだよな、と思うだけだったんです」と、彼は振り返る。
地球の美しさは地上にいても想像できる。正直に言ってそう思っていました。だから、私自身は宇宙に行ったら、地球よりも星を眺めたいと考えていた。それなのに実際にISSから地球を見ていると、本当に目が離せなくなってしまったんです。宇宙ステーションは90分で地球を一周するわけですが、山や海や都市、夜明けや昼や夜と景色が刻一刻と変化していく。それは時間があればいつまででも見ていたいと思わせる美しさで、4か月間の滞在でも全く飽きませんでした。もし仕事ではなく旅行者として宇宙に行ったら、私はずっと窓にへばりついていると思います」
だが、EVAを行なうためにISSの外に出て、何も遮るもののない状態で地球や宇宙を見たとき、彼の胸に生じたのはさらに別の感情だった。
その光景はISS内からのものとはどのように違うものだったか。
「いま自分は宇宙全体を肌で感じているんだ」船内との感覚の違い
「もう、何て言うんですかね。船外で何も目の前に遮るものがない状態で宇宙空間にいたときの感覚は、やはり船内にいたときとはぜんぜん違いました。目の前には地球と宇宙しかない。宇宙の闇の深さ、それに対する昼間の地球の青さ。その世界を宇宙服のバイザーを一枚隔てただけの肉眼で見ていると、息を飲むとはこういうことなのかと感じました。
足下に見えた地球を含めて、いま自分は宇宙全体を肌で感じているんだ、という気がしたんです。あのとき、私の耳には他の宇宙飛行士と地上のチームが交信している声が聞こえていました。仕事の緊張感はもちろんあって、次の作業のことは頭の片隅にありました。でも、ロボットアームが作業場所に着くまでには、まだ少し時間がかかると分かっていました。
何かを考えて、次のアクションを起こす必要がなかったので、『いまこの瞬間だけはこの時間を独り占めしたい』という気持ちになったものです。とにかく自分だけの時間として、その景色を見ていたい。目の前にあるこの景色を、とにかく集中して吸収させてほしい、と思ったんです。だから、その数分のあいだは、どうか誰も俺に話しかけないでくれ、と念じながら、ただただ地球と宇宙の闇に対峙していました」
宇宙に出て行くこと、そして、人類が宇宙に住むこと
彼にとってEVAでの「数分間」は、自らの人生にとっての大きなハイライトの一つとなった。
「宇宙に出て行くこと、そして、人類が宇宙に住むことによって生み出されるのは、無限の可能性なのではないかと私は思っています」と、彼は言った。
「いまは一握りの宇宙飛行士だけの世界ですが、多くの人が宇宙に出て行くようになったとき、新しい産業だけではなく、新しい文化や思想が生まれてくるのではないか。それらは地球から遠くに行けば行くほど新しくなり、また、人類はそうすることを求めているんじゃないか……。
宇宙ステーションの外に出たとき、目の前に広がる宇宙の底のない闇に、私は畏怖を感じました。同時に、この地球があってこそ、初めて僕たちはより遠くに行けるんだな、と確かに思った。例えば宇宙ステーションにある空気も水も、結局は地上から持ってきたものであるわけです。
地上からのサポートなしに、人は宇宙では暮らせない。地球という存在がなかったら、私たちはこの真っ暗な宇宙で生きてはいけない。そういう状態に長く身を置いてみると、『自分は地球に生かされているんだ』というこれまでの漠然とした感覚に、確かな説得力が出てきたと感じています」
宇宙:そこは漆黒の闇なる神秘の空間なり
- Q:宇宙から帰還した宇宙飛行士の人達が、「月や宇宙で神を感じた」ということを言いますが、あれは真に神を感じているのでしょうか。
A:地球も宇宙であるのだが、我々の実感としては、やはり地球外ということになる。その空間は実に不可思議である。その漆黒の闇は透明である。そして、深い静けさに満たされている。
私の瞑想は、昔からこの宇宙空間のものが多い。それは四半世紀前宇宙からの映像が地上に流される以前から、私の視覚に捉えられるものであった。実に心落ちつく所である。時空を超えた空間存在である。
多くの飛行士が宇宙空間で神を感じるのは、決して仏教的深遠な哲理を把握するということではなく、もっと単純な感性としての神ということである。その限りにおいて、彼らは、確かに神を体感しているのである。
それは丁度、大自然の雄大さを眼前にして、心洗われ、神想観を抱くが如きものである。その延長に存在する体験である。 -
・漆黒の闇の中の善光寺お戒壇巡り(WEB)
信州長野にある善光寺の本堂の床下には、一筋の光も入ることのない暗闇の中を巡る回廊がある。
回廊の中ほどにあるご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れば、極楽浄土が約束されるとか。
本堂の奥の瑠璃壇には、御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りしてある。
内々陣の奥にある入り口から七段の急な階段を降りていくと、本堂の床下をロの字型に巡る回廊がある。ここからがお戒壇巡り。
気のせいかひやっとした冷気さえも流れてきて、少し背筋も寒くなる。地下に降りると灯り一つなく木の廊下が闇に消えく。
ここからは経験したことがないほどの真っ暗闇である、右壁に錠前があるとのことで、右壁を伝い上下くまなく触りながら歩くが、やたらつるつるした壁と廊下が手と足から感じられる。
歩く人の声が聞こえると少し安心する、しんと静まり返ると恐怖感が高まり、時折ガチャガチャと錠前の音が回廊に響きビックリしながらも、幾つかの角を曲りやっと小さな極楽の錠前に触れることができた。入り口からここまでの距離も時間さえもわからなくなるくらいの不思議な空間。
これで、秘伝の御本尊様と結縁することができたということ。
氣を抜けば、暗闇からは戻れない・戒壇巡りを体験(WEB)
石川県にある俱利迦羅不動寺(くりからふどうじ)の西之坊鳳凰殿。俱利迦羅不動寺は、インドの高僧である善無畏三蔵法師によって、およそ1300年前に開かれた古刹寺院です。
俱利迦羅不動寺の戒壇巡りは、本尊の真下となる、お堂の地下回廊を巡ります。 暗闇の地下回廊を、右壁に巡らされたお数珠にそって進み、“如意宝珠(水晶の珠)”に触れ、願いや祈りをささげて、ふたたび暗闇の中を歩いて地上に戻ります。如意宝珠に触れることでお不動様とのご縁が深まり、願い事が叶うと言われています。 また、暗闇なので見ることはできませんが、地下の回廊の左壁一面には、たくさんの仏像が鎮座しており、戒壇巡りをする者の心身を浄め、護ってくれるのだそう。
「戒壇巡りでご注意頂きたいことがあります。御本尊様の胎内(お堂の地下)に入ったら、右側の壁に巡らされているお数珠からは絶対に手を離さないでください。お数珠から一度手を離してしまうと、闇の中で左右・前後ろが分からず、こちらに戻って来られなくなってしまいますので・・・」
と、お寺の方から説明を受けたときには、戒壇巡りの入り口が、異界の入り口に思えてきました・・・。
塗香(塗るお香)で両手を浄め、小さな水晶玉を渡された後、戒壇巡りが始まります。
漆黒の闇の中で感じること
実際に戒壇巡りを体験してみると、日常生活では意識が及ばないような気づきがありました。
漆黒の闇の中、頼りは肌にあたるお数珠の感覚だけ。視覚が機能していないため、一歩一歩がとてもゆっくり。日常では感じることのなかった暗闇への恐怖心もあいまって、如意宝珠までの距離がとても長く思えます。
5分もない戒壇巡りでしたが、地上にたどり着いたときは、ほっとしました。
「光があり、見える」ということが心に与える安心感。己の中に眠る得体の知れない恐怖心。余計なものが視界に入らないため、“今この時”に湧き出る感情や意識だけに集中し、精神の旅をしているかのように感じました。 非日常な漆黒の空間だからこそ自分の内面と向き合えた、新鮮な体験でした。
「星取県」の異名、名実ともに 鳥取県が星空予報でPR
矢田文 2020年7月8日 朝日
「星取県」を名乗る鳥取県は、民間気象会社「日本気象」(大阪市)と連携し、県内の夜空の星の見えやすさを配信する「星空予報」を始めた。
星空予報では、雲の量などからその日の午後8時時点の星の見えやすさを「星空指数」として5段階で評価。県内19市町村の翌々日までの各星空指数と、天気や気温、月齢などを毎日、ウェブ上に掲載する。
星空予報は、星取県ウェブサイトのトップページhttps://www.hoshitori.com/から閲覧できる。
暗闇・漆黒
漢字の「暗」、そして「闇」に<音>が使われているのは何故だろう。辞典によれば、<音>は<陰>と発音も同じで「くらい」という意味。「暗」<日+音>は「(曇りのために日の光が射さないから)くらい」、また、「闇」<門+音>も「(入口を閉めて暗くするから)やみ」を表わす。和語の「くらい」は、「クレル(暮れる)、クラシ(暮らし)」と同根の言葉。日暮れになると暗くなるからだ。また「やみ」は、「ヤム(〈光が〉止む)」が起源という。異説もある。
「漆黒(しっこく)の闇」という表現がある。「漆黒」は「漆(うるし)のように黒く光沢のあること」が本来の意味で、「漆黒の髪」は「艶やかな黒髪、カラスの濡れ羽色のような髪」という褒(ほ)め言葉だったが、茶髪の現代では廃語に近い。一寸先も見えないような暗闇を意味する「漆黒の闇」も、このごろは滅多に聞かれなくなった。
英語のDarkは、古英語のDeorc(暗い)から変化した語で「曇らす、濁らす」が原義の形容詞。「光がない⇒暗い、闇の」と、「白色より黒に近い⇒色の濃い、黒っぽい」が基本の語義で、光と色についていう。また、日本語の「暗い」と同様に、比喩的に「光がない⇒隠された、秘密の、無知の。暗い⇒陰気な、憂鬱な、悲観的な」という意味でもある。
Darkと結びついた比喩表現は多いが、なかに(スペードのエースのように暗い)というのがある。スペードのエースは最強のカードなのだが、時に「死の前兆」ともされる。戦争の話題でといえば、「不吉なカードを引いてしまった、不運にも戦死した」ということ。だからの比喩に使われる。題名が≪Are You Afraid of the Dark?≫(『暗闇が怖い?』)のサスペンスもある。
英語で「漆黒の闇」にあたる熟語にという言い方がある。は「原油精製の副産物である黒い粘性物質、樹脂、松やに」のことだから、「漆」を使った日本語表現とも相通ずる。
(蛇足)
名詞の「dark(暗闇、暗い場所)」に関連して、<whistle in the dark>という熟語がある。これは、「暗闇で口笛を吹く」ところから、「(やせ我慢をして)強がって見せる、虚勢を張る」という表現。
または 、字義通りには「笛を吹く」だが、最近増えてきた「内部告発をする」という熟語でもある。官庁などの不正を内部から世間に知らせること、警笛の意味でもあろうか。名詞の「内部告発」はという。
政府・大企業が都合の悪いことを隠して「闇に葬る」のは社会正義に反する。正義と道理が通らないようでは、右も左も「真っ暗闇」じゃござんせんかー。
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