脳トレ宇宙論 第15話
天文学と数値計算、数表、計算機械、人間の作業・計算手 ④
女性計算手 リチャードソンの夢(天気予報計算手)
人類が社会生活特に経済活動を営むようになると正しく数量の計算が必要欠くべからざる作業になる。人類の活動が高度化すると複雑な計算を精度よく行う必要に迫られる。特に天文学の進歩は、計算に大きく依存している。
・計算作業の歴史から
1紀元前の古代、世界各地でピタゴラス数や三平方の定理は、発見、発展していた。そして土地の測量に使われた。
・縄張り師
「エジプトはナイルの賜物」という言葉が示すとおり、エジプトではナイル河岸付近で農業が営まれていたが、毎年河が氾濫するために、どこからどこまでが自分の土地か分からなくなってしまうことがしばしばあった。その時に、「縄張り師」と呼ばれる人々が、縄を携えて土地を直角に区切ってゆくという仕事をしていた。その際に (3,4,5) というピタゴラス数が使われていた。
・暗算師(Mental calculator )
Mental calculator is a term to describe a person with a prodigious ability in some area of mental calculation (such as adding, subtracting, multiplying or dividing large numbers).
Leonhard Euler was a prominent mental calculator
Alexander Craig Aitken (1895-1967)
John Wallis (1616-1703 )
Andrè Ampere (1775-1836)
Leonhard Euler (1707-1783)
Karl Frederich Gauss (1777-1855)
John von Neumann (1903-1957)
They were prominent mental calculators who left a permanent mark
on mathematics and science.(by WEB "Lightning Calculators")
計算手(けいさんしゅ human computer)(From Wikipedia)
電子計算機が実用化される以前の時代において、研究機関や企業などで数学的な計算を担当していた人間のことである。現在では「コンピュータ」と言えば電子計算機を指すが、当時は "computer" という語の成り立ちが表す通り「計算する人間」のことであった。計算手は数人から数百人のチームを構成し、巨大で複雑な計算を分担し同時に平行し行った。19世紀までは若手研究者がこの仕事を任されることが多く、(当時の研究職の男女比に従えば当然のことであるが)計算手は男性ばかりであった。しかし、エドワード・ピッカリングがハーバード大学天文台の計算手やデータ解析要員として女性を多く採用したことで、その後女性が計算手となる機会が増加し、また天文学分野での女性研究者の進出へと繋がった。さらに第二次世界大戦中は徴兵によって男性研究者が減ったため、計算手は専ら女性の仕事となった。ENIACの最初の6人のプログラマは、弾道計算のための計算手として雇われていた女性の中から選ばれた。なお詳しくは英文の”Computer (job scription)”From Wikipediaを参照。
・ハーバード大学天文台の女性たち(ハーバードコンピューターズ)
(WEB コンピューターと呼ばれた女性たちー情報今昔物語)
1900年頃、写真機を望遠鏡と接続することが出来るようになると、 散在する無限と思われる程の星たちの像が写真乾板に撮影された。 これらの星々は、 その位置と共に、 明るさや色を読みとって記録しなければならない。 しかし、 丹念に一つ一つ記録すると云うことは、 気が遠くなるような作業である。 天文台長のエドワード・ピカリングは、 多数の女性たちを雇い入れて、 その作業に当たらせた。 多くは天文学の知識など全くない女性たちであった。
それらの女性の中から、 後年、 天文学に偉大な成果をもたらした女性たちも輩出した。 ウィリアミーナ・フレミングは、 もとはピカリング家のメードだったが、 天文台の計算手になり、 後に白色矮星のスペクトル特性を発見し、 英国王立天文学会より名誉会員の称号を贈られる。 アニー・キャノンは後に、 恒星の表面温度による分類を確立する。 ヘンリエッタ・リービットはケフェウス型変光星の周期光度関係を見出す。
・もう一つの計算手(WEB ”つくばサイエンスニュース「コンピュータは計算手」少し視点を変えて”)
3人の女性計算手
2016年、 彼女らを描いた映画 「ドリーム」 が作られた時、 全米に大きな感動が走った。
<article>
1950年代終わりから1960年代の初め、NASAラングレー研究所。このころ電子機器であるコンピュータが研究所に入り始めた時期、まだまだコンピュータは計算能力も台数も限られていたので、設計のための多くの計算や、膨大な軌道/航法などの解析は彼女ら「計算手」が手動式の計算機を操作することによってなされていた。
1960年のキャサリンらの論文には、ロケット打ち上げから、軌道周回、そして軌道離脱/着水までの軌道を計算する解法が記されている。この当時はまだ「計算手」による手動計算機による計算が主流だったため、運動方程式を解析的な計算法にして、少ない計算で結果が導き出せるエレガントな手法が編み出されている。
その後、コンピュータ時代になって、解析的な手法から、地球の重力や、大気の抵抗といった要素を運動方程式に盛り込んで、“ぐいぐい”と力任せに数値積分で解いていくやりかたに変わっていった。
現代の宇宙飛行を支えるのは後者の数値積分手法が主流となっている。
キャサリンは後にジョン・グレンによるアメリカ初の地球周回飛行の時にグレン飛行士に乞われてIBMコンピュータによる計算結果の検算を依頼される。この場面は宇宙飛行士たちのキャサリンたち計算手に対する信頼の高さがうかがえる。グレンがキャサリンの検算結果を信じて飛んだのは言うまでもない。後に、三人の女性たち、キャサリンは宇宙航行部門のベテラン技術者へ、ドロシーは計算機プログラマー達のまとめ役の管理者に、メアリーは宇宙機の有能なエンジニアに、それぞれの道を切り開いていった。
・毎日新聞2020年3月8日 東京朝刊余録
米国初の有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」を支えた数学者、キャサリン・ジョンソンさんが101歳の生涯を閉じた。黒人女性という逆境を才能と努力で克服し、文民最高位とされる「大統領自由勲章」を受けた▲宇宙飛行士を安全に帰還させるための軌道計算を担当した。導入間もないIBMの電子計算機がはじいた結果を疑ったグレン飛行士から再計算を依頼された逸話は有名だ。彼女が主役の映画「ドリーム」のハイライトでもある。
・FUJICの1人の女性 1956年
(WEB ”つくばサイエンスニュース「コンピュータは計算手」”より)
我が国で始めて作られたコンピューターは、 富士フィルムの設計課長岡崎文次が1956年に作ったFUJICである。 カメラのレンズの設計には膨大な数値計算が必要で、 このため、 同社には100人近い女子計算手が勤務しており、 来る日も来る日も一日中、 2人1組で対数表を片手に手回し計算機でレンズ設計の計算をしていた。 それでも、 少し複雑なレンズになると、 1組のレンズの計算に3ケ月以上も必要だった。 この状況を改善しようと思った岡崎は、 昭和24年から7年間をかけて、 計算手の女性1人の手助けだけで、 一人で、 1700本の真空管を用いた電子計算機を作り上げる。
この電子計算機は早速に、 レンズ設計に用いられたが、 同社は2年後にはフィルムの製造に専念することになってカメラの製造から撤退し、 FUJICも倉庫行きになった。 その完成のために心血を注いで計算に没頭して働いた一人の女性、 その女性の名前は、 もう伝わっていない。 (以上引用)
・プログラマー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます