goo blog サービス終了のお知らせ 

川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

漁夫の小父さん・・・金子みすず

2008年02月19日 | 川柳
           漁 夫 の 小 父 さ ん (MISUZU作)

              

         漁夫(りょうし)のおじさん、その舟に、
            わたしをのせて下さいな。

           ほらほら、向こうにみえている、
             きれいな雲がむくむくと、
            海から湧いてるところまで、
              私と行って下さいな。

            ひとつきりしきゃないけれど、
             私のお人形あげましょう、
            それから、金魚もあげましょう。

             漁夫の小父さん、その舟に、
             わたしをのせて下さいな。

                Y-U M I 作

             これこれおじょうちゃん

            これこれそこのおじょうちゃん
             そんなに舟に乗りたけりゃ
            ひとまず お家へかえりましょ

             かあさんまってるあのうちへ
             金魚をかえしにかえりましょ
              ついでにかわいい人形も
             おうちでねかせてあげましょう

              そしてお家に着いたなら
              人形を抱いてねむりましょ
            そしたら金魚といっしょゆめの中

              ぷかぷかぷかと舟こいで
             いっしょに 海をわたりましょ

          <錆びてきた脳に、詩情のお勉強中です。>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土と草・・・金子みすず

2008年02月18日 | 川柳
               土  と 草 (MISUZU作)
                   

             かあさん知らぬ草の子を、

              何千万の草の子を、

             土はひとりで育てます。


             草があおあおしげったら、

             土はかくれてしまうのに


  驚異の詩集ロングセラー20年、100万部突破!
        
        「金子みすず童謡集」を、二冊買ってきました。

             かえりみち Y- U M I作

          べんきょうおわったかえりみち

            本を二さつ買いました

           「みすず」の本を買いました

           本屋のおねえさまいいました

            こっちの本もいいですよ

            だから二さつ買いました

           そとはこおってつるりんこ

           みんなつるつるつるりんこ

           すべらずころばず かえります

           つるつるつるとかえります




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砂の王国・・・金子みすず

2008年02月17日 | 川柳
               砂 の 王 国

              私はいま砂の王様です

            お山と、谷と、野原と、川を

             思う通りに変えてゆきます

             おとぎばなしの王様だって

             自分のお国のお山や川を

            こんなに変えやしないでしょう

           私はいま、ほんとにえらい王様です


*川柳のお仲間達に、「金子みすずってすごいねー!今まで知らなかった・・。」って言 ったら「えー・・!しらなかったのー」「あのヒトはいいよー」「川柳界では余りにも 有名ですよ。」4人の中で知らなかったのはわたしだけ。

*川柳の姉キに(元小学校の教師)伝言があり、ついでに電話で「金子みすずって知って る?」て聞いたら、「知ってるよ。よく生徒に書いて聞かせたものよ。ホントにすばら しい詩人だからねー。」

    ありゃりゃりゃありゃりゃ、知らぬは私ばかりなり。
         しばらくは、金子みすずの世界に浸かっていよう。

          私が求めていた世界がたっぷりあります。

      この詩は、表現者の心構え・原点だにゃー・・と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大漁・・・金子みすず

2008年02月16日 | 川柳

               大 漁

           朝焼けだ 小焼けだ 大漁だ

           大羽鰮(いわし)の大漁だ

            浜は祭りのようだけど

         海のなかでは 何万の鰮(いわし)の

              弔いするだろう

*作曲家の浜圭介氏が以前テレビで、金子みすずのすばらしさを伝えていたのが
 気にはなっていたのだけれど、今日サイトで初めて鑑賞させていただいて泣いち ゃいましたね。

      漁師の大きな喜びである大漁は、魚にとっては大きな不幸。

    大漁・大漁・大羽鰮・大漁の「大」4つで読者の心は鼓舞してしまう。

         そして・・浜は祭り・・大賑わいのイメージに誘う。
         ・・・のようだけど・・で、まるでひとごと。

  自身のニンゲンの喜びから、第三者的着眼、魚たちの悲しみの立場に変わる。

            明のピークから韻への急降下

      ニンゲンの生存の立証と、自然界の生存の反証は見事です。

          こんな味わいのある句が創れたらなー・・。

  アジの干物でも食べると・・句に味わいができるかしらねー・・na 訳 nai.





             

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静かなブーム・・・金子みすず

2008年02月16日 | 川柳
             私は不思議でたまらない

 明治36年生まれ、26歳で自らこの世を去った金子みすず(童謡詩人)の世界が静かなブームになっています。

             私は不思議でたまらない
         黒い雲から降る雨が銀に光っていることが

            わたしは不思議でたまらない
         青い桑の葉食べてる蚕が白くなることが
      
             私は不思議でたまらない
        誰もいじらぬ夕顔がひとりで ポロリと開くことが


                 お魚

         海の魚はかわいそう お米は人に作られる

             牛は牧場で飼われてる

             鯉もお池で麩をもらう
       
              けれど海のお魚は
           
            なんにも世話にならないし

            いたずら一つもしないのに

             こうして私に食べられる

             ほんとうに魚はかわいそう


      この詩は「ふっと生まれた詩」なのではないでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道連盟会長 斉藤大雄ご挨拶

2008年02月15日 | 川柳
       目で識る川柳250年展(併設・北海道川柳の流れ)

           2007年の川柳界は大きく動いた。

 そして川柳は社会の中に広く、そして深く浸透して行った。川柳発祥250年にともなう諸々の記念事業が効を奏したのだ。

 そのなかでも「目で識る(し)る川柳250年展」は川柳を再認識させるばかりではなく、現代川柳をも再評価させたのだ。
 
 この歴史的事業のなかで北海道立文学館共催のもとに「北海道川柳の流れ」を併設できたことは、北海道の川柳を再認識してもらう絶好のチャンスでもあった。

 大正2年、三輪破魔杖の北海タイムス社に入社することによって、北海道の川柳愛好家が川柳文学運動へと展開していったのだ。

 神尾三休の「アツシ」、そして田中五呂八「氷原」へと文学運動が展開していった。

 戦後、「急行の停まる所に川柳結社あり」といわれるほどに北海道は川柳王国へと発展していったのだ。

  それを辿って行くと柄井八右衛門・川柳の「開キ」に辿り着くことができるのだ。

 ここに今、その道程を北海道立文学館・特別展示質を舞台として一般に開放することができたのだ。

250年というタイムトンネルは川柳人ばかりではなく、短詩型部門、詩壇、文学界へ大きく影響を及ぼし、また日本人の生活の歴史として再認識することができたのだ。

          そして川柳界の未来を語ってくれたのだ。

 **昨年開催された、「川柳250年展」の斉藤大雄会長のご挨拶でした。**
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

250年と将来(みなさんいかが!)

2008年02月15日 | 川柳
               尾 藤 三 柳

        川柳が芽吹いて江戸が江戸になる  三柳

 これは、川柳250年のキャッチフレーズですが、新点者川柳が登場し、脚光を浴びたのは、江戸がまさに江戸になろうとしているその時であったことは、別項でも記しました。
 
 それから世紀を二つ半もまたいで、現在の川柳がなお発展過程をたどっている大きな節目に、その間の足跡を振り返り、今後へ歴史を繋げていくステップにしようというのが、このたびの250年企画です。

 すでに、今年のサッポロ雪まつり(2007・2月)では、大通公園の会場に初代川柳の雪像がお目見得して、見物客の眼を奪いましたし、浅草の三社祭(5月)では「川柳250年」の大提灯に灯が入りました。

 八月の本番には、文化庁、東京都の後援、各企業の協賛を得て、さまざまな行事が予定されています。中でも川柳のふるさと旧新堀端の交差点に記念碑が建立され、除幕式とあわせて式典、講演会、川柳大会、平成万号句号の発表、また柳祖菩提寺龍宝寺への奉額などのほか、全国各地で「眼で見る川柳」の移動展、記念出版など、川柳界にとっては、晴れがましい一年になりそうです。

 わたしたちの何よりの願いは、これを機会に、川柳がさらに社会的認識を深め、一人でも多くのかたがたに、この短詩形を親しいものとしていただきたいということにほかなりません。

       鉛筆一本あれば川柳に入門できます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治の中興

2008年02月13日 | 川柳
               尾 藤 三 柳

 もちろん、近代文芸としての川柳には、作者も存在するし、個性の詩としての五体を揃えております。

 一口に250年といっても、それは川柳の上を流れた時間で、実は、その下に二つの歴史があるのです。

 発祥から明治30年代までの前史と、それとは直接つながりを持たない明治30年代以降現在までの新史が、切れ目なく引き継がれてきたのです。

 前史が凡そ150年、新史が凡そ105年、この間5年ほど重なりがあって、後者は初め「新川柳」つぎに「川柳」と呼ばれるようになって、現在に到りました。

           これを明治の川柳中興といっています。

 正岡子規が、江戸期後半から堕落した月並み俳句を廃し、新俳句を打ち樹てた俳句改革より10年ほど後れて、18世紀初頭以降、「狂句」という文芸度の低い言葉遊びに堕していた川柳を、初期柳多留時代の活気あふれる文芸に還そうという、いわば復古運動が、新しいジャーナリズムを拠点に沸き起こったのです。

 この間に奔走した先駆者のうち、阪井久良伎(1869~1934)と井上剣花坊の2人を、特に川柳の中興と呼んでおり、両者の門から多数の川柳関係者が輩出して、のちの川柳界を形成しました。

             これが、近代川柳のはじまりです。


川 北  1
北 川  1
川 散  3
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代の異種「サラ川」

2008年02月12日 | 川柳
              尾  藤  三  柳

 吟社や機関誌の会員でもなく、句会出席者でも新聞・雑誌の投句者とも違う人々によって作られてきた特殊な川柳に《サラリーマン川柳》があります。

 第一生命の生涯設計推進部の企画で、昭和62年にスタートした「サラリーマン川柳コンクール」も、本年で第20回になります。

 また、毎年の選句集である『平成サラリーマン川柳傑作選』(講談社刊)もすでに16冊刊行されており、いま世間の注目を最も集めている川柳といっていいでしょう。

 前述で述べた作者の「無名性」を端的に体現した自由で奔放な作品群は、「口吟み」の文芸という川柳本来の特性を備えているのが何よりの強みです。


      ゴミ袋提げてパジャマに見送られ    (平3)
      まだ寝てる帰ってみればもう寝てる   (平4)
      石の上三年経てば次の石        (平5)
      遺産分け母を引き取る人がない     (平6)
      賞罰にバツイチと書く律儀者      (平7)
      ずる休みしたのに誰も困らない     (平8)
      家を買いそれから何も買ってない    (平9)
      この俺を雇わないとは目が高い     (平10)

     これらはすでに古典化し、いまだに人々の口の端にのぼります。

 慣習的な約束ごとや既成の何ものにも束縛されない句が、第19回までには70万句を超えており、すでに「サラ川」の略称がが固定したこの文芸の人気は、これからも高まっていくでしょう。

 永いあいだに句を見てきて気が付くのは、この作家軍は偶数音を口勝手として、奇数音定形にはむしろ抵抗を感じるとおぼしく、中8音の句が目立つということです。

これは、サラ川の最大特徴で、この傾向は増えるからといって、減ることはなさそうです。

 川柳の定形は、いうまでもなく2拍子を踏まえて、中に1拍ずつの休止を置いた五七五、十七音が定形で、中八音は一般に嫌われますが、この傾向がさらに続くと、サラ川の勢力と存在感が、やがて新しい音数律を生み出す可能性もなくはありません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川柳は社会共同の詩

2008年02月11日 | 川柳
              尾 藤 三 柳

    江戸時代、発生期の川柳には、作者というものがありませんでした。

    自分のいいたいこと、考えていることを誰かが代わっていってくれる。

「そうなんだ、それをいいたかったんだ」と共感した時、その句は共感者すべてのものになります。

 こんなふうにして口から口へ共感の輪が広がり、ひとびとの連帯を作り上げていきます。

 この場合、作者がどこの誰かであるかは、特に必要ありません。それが、川柳の特性です。

 これは、旅先で絶景に接したときなど、その感動を自分の胸のうちだけに留めて置くのがもったいなくて、そばにいる見知らぬ人に「いい景色ですね」と同意を求めたくなる気持ち、また新聞に載った没義道な事件などについて、その怒りを第三者にぶちまけることで、多少胸が軽くなったような気分になる、一種のカタルシス(精神浄化作用)の役目も果たしているのと同じです。

 作者がまずあって、しかる後に作品がある短歌や俳句と、本質的に区別されるべき川柳の「社会性」は、この大衆のアノ二ミティ(無名性)にあります。

 川柳は、作者自身が感動し、詠嘆する個人的文芸としてより、社会の誰かれが「口ずさむ」文芸として親しまれ、発展してきたのです。

 これを「横の詩」と表現するとき、代弁者である作者個人の小主観や独善は、排除されなければなりません。江戸川柳の客観的態度は、ここからうまれたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする