南禅寺とその周辺
修学旅行で初めて訪れた南禅寺。その後も、何度か訪れた南禅寺。いつも時間に追われていたせいか、じっくりゆっくりと、長い時間留まることはありませんでした。
今回、初めて、地下鉄と市内バスを乗り継いで訪れました。自由に好きなだけ時間をかけて歩いたので、人があまり訪れないような場所も見ることが出来ました(観光バスなどに比べ、交通費も安かった)。
一般的に、南禅寺を訪れると、大きな山門や金堂、落ち着いた静かな雰囲気に、驚きを感じますが、同時に違和感のある煉瓦造りの橋のような建築物にも気がつきます。これは水路(琵琶湖疏水の一部)で、明治時代に京都市が造った物です。寺にそぐわないレンガ造りの橋のようなものを、境内の一部に受け入れざるを得なかった、当時のお坊さんの気持ちが分かります。今でこそ、TVや映画で有名になっていますが・・・ *煉瓦造りの水路が目当ての訪問者も、かなりいるのではないでしょうか。
今回初めて、水路の流れに沿って、上流へ歩いてみました(琵琶湖まではいきませんでしたが・・・)。そこには、明治時代の京都市の苦悩と、問題解決に向けた最大の努力の跡が見えました。京都の存続をかけた活動があったのです。
というのは、その時期、江戸幕府から、明治政府へと変わったので、首都も京都から東京へ移り、産業や政治が関東へ移ってしまったわけです。空洞化が予想された京都は、政治だけならまだしも、産業の移転がおきれば、京都の凋落が始まるわけです。その辺は、「落ち込み続ける、この日本を、活力ある国に戻して欲しい」と願う、今の我々の状況に似ています。
京都市は産業を活性化させる為に、電力と交通路の確保を考えました。その方法は、琵琶湖から水路を引いて水を流すことで、物流(人と物)と電力を作り出すことでした。高校の修学旅行で、バスのガイドさんに、インクラインの話を聞いた覚えがあります。(インクラインや発電所の現場を見せてもらえなかったためか、説明が悪かったのか、私の聞き方が悪かったのか分かりませんが、よく理解できませんでした)。今回、それらの現場を見て、初めて本当の意味/歴史が分かり、感激しました。以前、群馬県富岡市で、明治時代に日本で初めて造られた、官営の製糸工場を見た時の感激と同じでした。
地下鉄東西線「蹴上駅」を出て、南禅寺へ向かう道に入ると、右手はこんな感じの森でした。
レンガ造りのトンネル(南禅寺境内にある水路関連の一部です)。この上の部分は、線路がひかれており、トロッコに載せられ、水路を離れた船が、陸路を移動した場所です。
近辺には、立派な多くのお寺やその関連建築物が立ち並んでいました。
境内にある山門
TVや映画の撮影で有名な水路(橋の上を水が流れている)
水路を上流に辿ってみると・・・
発電所
発電用の水を落とすパイプ
一部は公園になっています。
船を運んだトロッコ(搬送機)
船を運ぶトロッコようですから、ゲージ幅は3m程度あります。
修学旅行で初めて訪れた南禅寺。その後も、何度か訪れた南禅寺。いつも時間に追われていたせいか、じっくりゆっくりと、長い時間留まることはありませんでした。
今回、初めて、地下鉄と市内バスを乗り継いで訪れました。自由に好きなだけ時間をかけて歩いたので、人があまり訪れないような場所も見ることが出来ました(観光バスなどに比べ、交通費も安かった)。
一般的に、南禅寺を訪れると、大きな山門や金堂、落ち着いた静かな雰囲気に、驚きを感じますが、同時に違和感のある煉瓦造りの橋のような建築物にも気がつきます。これは水路(琵琶湖疏水の一部)で、明治時代に京都市が造った物です。寺にそぐわないレンガ造りの橋のようなものを、境内の一部に受け入れざるを得なかった、当時のお坊さんの気持ちが分かります。今でこそ、TVや映画で有名になっていますが・・・ *煉瓦造りの水路が目当ての訪問者も、かなりいるのではないでしょうか。
今回初めて、水路の流れに沿って、上流へ歩いてみました(琵琶湖まではいきませんでしたが・・・)。そこには、明治時代の京都市の苦悩と、問題解決に向けた最大の努力の跡が見えました。京都の存続をかけた活動があったのです。
というのは、その時期、江戸幕府から、明治政府へと変わったので、首都も京都から東京へ移り、産業や政治が関東へ移ってしまったわけです。空洞化が予想された京都は、政治だけならまだしも、産業の移転がおきれば、京都の凋落が始まるわけです。その辺は、「落ち込み続ける、この日本を、活力ある国に戻して欲しい」と願う、今の我々の状況に似ています。
京都市は産業を活性化させる為に、電力と交通路の確保を考えました。その方法は、琵琶湖から水路を引いて水を流すことで、物流(人と物)と電力を作り出すことでした。高校の修学旅行で、バスのガイドさんに、インクラインの話を聞いた覚えがあります。(インクラインや発電所の現場を見せてもらえなかったためか、説明が悪かったのか、私の聞き方が悪かったのか分かりませんが、よく理解できませんでした)。今回、それらの現場を見て、初めて本当の意味/歴史が分かり、感激しました。以前、群馬県富岡市で、明治時代に日本で初めて造られた、官営の製糸工場を見た時の感激と同じでした。
地下鉄東西線「蹴上駅」を出て、南禅寺へ向かう道に入ると、右手はこんな感じの森でした。
レンガ造りのトンネル(南禅寺境内にある水路関連の一部です)。この上の部分は、線路がひかれており、トロッコに載せられ、水路を離れた船が、陸路を移動した場所です。
近辺には、立派な多くのお寺やその関連建築物が立ち並んでいました。
境内にある山門
TVや映画の撮影で有名な水路(橋の上を水が流れている)
水路を上流に辿ってみると・・・
発電所
発電用の水を落とすパイプ
一部は公園になっています。
船を運んだトロッコ(搬送機)
船を運ぶトロッコようですから、ゲージ幅は3m程度あります。
ただし流れが速いので、泳ぐのには大変でしたが、取水口はゴミを堰き止める鉄格子があるので、安心して泳げましたよ。子供の頃はプールなど無かったので、この場所で練習が出来て、少しは泳げるようになったのを思い出します。