氷川丸/ 横浜 2011-05-05
「いまさら氷川丸か?」 と言われるかもしれませんが・・・
久し振りに、氷川丸の前を通りかかり、中に入ってみました。この前、来たのはいつだったっけ?たしか、この船がユースホステルを営業している時でした。
氷川丸(日本郵船)は、北太平洋航路就役を目的に、1、930年に竣工(横浜船渠株式会社/現三菱重工業横浜製作所)・就航しました。当時、ライバルであったカナダや米国の船会社に負けないような、高性能と素晴らしい接客サービスが売りの船でした。飛行機での旅行などありえませんでしたので、北アメリカ東海岸(ニューヨーク)への旅は、シアトルまでは船で、その先は、大陸横断鉄道を利用することになっていました。初めてのシアトルへの航海では、まだマイナーであったシアトルの市長から「市の発展の為に貢献する日本郵船とアムトラック鉄道に感謝する」との言葉を受けています。
就航当時の横浜・シアトル間(約15日間の航海)の片道一等運賃は、約500円でした。当時の日本郵船の初任給は70円で、「1,000円あれば家が建つ」という時代でした。
現在はリタイアして、ミュージアムになっています。 *入場料は¥200-
一度は(2度目でも)、80年前の昭和初期の良き時代を思い浮かべながら、船内を歩いてみては、いかがでしょうか?
重量:11、622t
全長:163m 幅 :20m
速力:通常15ノット 最大:18ノット
エンジン:8気筒、ディーゼルエンジン、2機2軸
乗客数: 1等: 76人
2等: 69人
3等:186人
船内の様子です。
この船を建造した会社のエンブレム
船の履歴書というか、沿革です。
船内の通路や階段
一等船室のリビングルーム
一等食堂
甲板上や船から見える景色の様子です。
船長室
操舵室
エンジンルーム/
* さすがにエンジンは大きくて背も高く、3階建て(3ツのフロアをぶち抜き)で、設置されていました。
船を降り、歩いた道沿いにコーヒー店がありました。その店のプロモーションらしく、スターウォーズの扮装をした人たちが、演技をしていました。
「いまさら氷川丸か?」 と言われるかもしれませんが・・・
久し振りに、氷川丸の前を通りかかり、中に入ってみました。この前、来たのはいつだったっけ?たしか、この船がユースホステルを営業している時でした。
氷川丸(日本郵船)は、北太平洋航路就役を目的に、1、930年に竣工(横浜船渠株式会社/現三菱重工業横浜製作所)・就航しました。当時、ライバルであったカナダや米国の船会社に負けないような、高性能と素晴らしい接客サービスが売りの船でした。飛行機での旅行などありえませんでしたので、北アメリカ東海岸(ニューヨーク)への旅は、シアトルまでは船で、その先は、大陸横断鉄道を利用することになっていました。初めてのシアトルへの航海では、まだマイナーであったシアトルの市長から「市の発展の為に貢献する日本郵船とアムトラック鉄道に感謝する」との言葉を受けています。
就航当時の横浜・シアトル間(約15日間の航海)の片道一等運賃は、約500円でした。当時の日本郵船の初任給は70円で、「1,000円あれば家が建つ」という時代でした。
現在はリタイアして、ミュージアムになっています。 *入場料は¥200-
一度は(2度目でも)、80年前の昭和初期の良き時代を思い浮かべながら、船内を歩いてみては、いかがでしょうか?
重量:11、622t
全長:163m 幅 :20m
速力:通常15ノット 最大:18ノット
エンジン:8気筒、ディーゼルエンジン、2機2軸
乗客数: 1等: 76人
2等: 69人
3等:186人
船内の様子です。
この船を建造した会社のエンブレム
船の履歴書というか、沿革です。
船内の通路や階段
一等船室のリビングルーム
一等食堂
甲板上や船から見える景色の様子です。
船長室
操舵室
エンジンルーム/
* さすがにエンジンは大きくて背も高く、3階建て(3ツのフロアをぶち抜き)で、設置されていました。
船を降り、歩いた道沿いにコーヒー店がありました。その店のプロモーションらしく、スターウォーズの扮装をした人たちが、演技をしていました。
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