ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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魅力ある授業づくり支援事業

2005年06月16日 | マ行
 去る2月16日、朝日新聞の静岡版に静岡県の平成17年度の予算案が出ていました。教育関係予算について説明した記事の見出しは「魅力ある授業へOB活用」となっていました。そし、次のように書いていました。

─「授業実践力の向上」を目指し、〔静岡〕県版カリキュラム活用の定着を図る「魅力ある授業」づくり支援事業を新規に展開する。指導力に優れた退職教員をコーチングスタッフに迎えて、校内研修や授業参観などを通して指導・助言をしてもらう。

小中27人、高校15人のスタッフが週3~4日を学校訪問にあて、1校あたり年間5~15回訪問する。模範授業なども検討し、集合型から訪問型への研修態勢の転換を狙う。─

予算の数字の一覧表を見てみますと、これに約1億8千万円使うそうです。

やれやれ。こんな事で本当に魅力ある授業が生まれるのでしょうか。否です。ため息をついていても仕方がないので、考えてみましょう。

出発点としての事実は「魅力のない授業」が沢山あるということです。残念ながらこれは事実です。私は昨年、某県立高校の英語の授業を2回(高1と高2)参観しましたが、それはそ
れはお粗末なものでした。内容ゼロでした。生徒が荒れているわけでもないのに、です。本当に生徒が可哀相だと思いました。

ですから、これを魅力あるものにしたいということなのでしょう、少なくとも建前は。しかし、こういう場合どのように考えるべきなのでしょうか。是正するべき事態があり、是正の方
向も決まっているのです。後は、その方法なり手段だけです。

 方法と手段を考えるためには、その原因を考える必要があるでしょう。又、魅力ある授業にするのに成功した所から学ぶことも必要です。これが普通の考え方です。

では、魅力のない授業の責任ないし原因はどこにあるのでしょうか。静岡県教育委員会はこれを当然のこととして教師個人の責任と見ているのです。これが間違いなのです。

学校教育は個々の教師が行なうものではなくて、校長を中心とする教師集団が行なうものなのです。教育委員がこういう根本的な事も理解していないから困るのです。

魅力のない授業が行なわれているとしたら、校長の指導力を検討しなければなりません。前述の授業参観の時にも私は「ここの校長は一体何をしているのだろう」と思ったことでした。
学校全体に互いに協力しあい、前向きに授業に取り組む雰囲気がないから、授業がつまらないものになっているのです。教師たちがバラバラだから生徒の間にイジメが生まれるのです。こ
の責任はあげて校長にあります。

改革に成功した所を見てもそれは言えます。最近評判の高い愛知県の犬山市がそうです。市長が適当な教育長を選び、2人で協力して、学校全体を改善する方策を考えたのです。個々の
教師を改善しようとしたのではありません。

そのほか荒れた学校を建て直したなどという報告は、みな、校長のリーダーシップの下に教師集団が作られていくのと歩調を合わせて生徒の荒れが収まったというものばかりです。

そして、校長を調査して適当でない校長には助言をし、資質のない校長は更迭するのは教育委員の仕事なのです。しかるにこれらは教育委員や校長の本来の仕事ですから、別に新たに予
算を組む必要はないのです。魅力のない授業を魅力あるものに転換するのは本来タダで出来るものなのです。

自分の仕事を忘れてOBに天下り仕事を与えるのは教育委員の仕事ではありません。

御存知ない方々にお知らせしておきますと、校長はみな1000万円を越える年俸を取っているのです。

ではなぜ教育委員はこういう当然の事に気づかずに、間違った事業とやらを考え出すのでしょうか。頭が悪いのでしょうか。違うと思います。頭は好いのです。頭が好いから、予算を
増やす方策を考えるのです。仲間のOBに金を与える事業を考え出すのです。

これが公務員というものなのです。魅力ある授業にすることが目的ではないのです。本当に住民の事を考えている公務員(特にトップ)は例外的な存在です。
     (2005年03月22日発行)

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