ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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都立大学問題のその後

2005年09月21日 | タ行
 石原東京都知事が都立新大学を作ろうとしている問題はその後新たな展開を見せました。

 第1は、その新大学の「都市教養コース」と「国際文化コース」の「理念」について河合塾にその「補強」を委託することにしたというものです。

 人文・社会系各コースの授業科目名の提案、都市教養学部全体の設計、教養教育の英語、情報教育プログラムの設計なども「補強」してもらうそうです。

 12月05日付けの朝日新聞が報じていました。委託料は3000万円だそうです。

外部委託をする理由は「大学の先生方は法学、経済学など既存の学問分野での縦割りの検討は得意だが、学際的に横断するのは苦手。河合塾は大学評価手法の調査を経済産業省から委託された実績もある」とのことです。

理由の前半は正しいと思います。しかし、東京都や知事が自分で「理念」すら作れないということは、大学を作る能力と資格がないということだと思います。

都立大学は民間に売却するべきだと思います。

第2は、東京都のやり方に抗議して都立大学の法学部の4人の教授が辞任の意思を表明したために、2004年04月に開校予定の都立大法科大学院の予定が立たなくなり、01月に予定していた入試を延期することになった、というものです。〔2003年〕12月12日の朝日新聞が報じていました。

あらたに専任教員を採用して間に合わせるつもりのようですが、本当に間に合うのでしょうか。「週刊朝日」はその4人の内の2名の名前まで上げていました。

たしかに東京都のやり方は民主的ではありません。それに抗議するのは結構ですが、これまでの都立大学のやり方に抗議してこなかった点の反省が欠けていると思います。

第3は日本独文学会が声明を発表して「都立新大学構想の再検討を」求めたということです。12月17日付けの朝日新聞が報じていました。

その声明の中に「問答無用の形で出された新構想は、人文学部の廃止を前提としているとされ、大学の自治を完全に無視する暴挙」という言葉があるそうです。

前から思っていたことですが、今度の都立新大学設立自体とそのやり方は、かつて東京教育大学を廃止して筑波大学を作ったこと及びそのやり方と酷似していると思います。

あの時も文部省と教育大学内部の保守派の狙いは文学部の解体であり、政治に無関心な大学を作ることだったと言われました。

教育大学の文学部も都立大学の人文学部も、保守派が思うほど左翼的ではないと思います。被害妄想でしょう。

しかし、教育大学に代わって作られた筑波大学が政治に無関心になったことは事実のようです。巷間では「筑波大学の奨励するのは3S(study, sports, sex)」と言われたものです。

 独文学会がなぜ声明を出したのか知りません。それは自由です。内容も必ずしも間違っているとは思いません。しかし、やはり自己反省が欠けているのではないでしょうか。

1991年の大学設置基準の大綱化以来、集中的に縮小の対象となったのが第2外国語であったということ、その結果、大学でのドイツ語教育の比重は極めて小さいものになったということ、そして、その大きな原因の一つが、「教養教育の一環としてのドイツ語教育はどうあるべきか」を熱心に追求してこなかったことにあること、つまり大学におけるドイツ語教育の縮小はドイツ語教師の自縄自縛的側面が大きいこと、を反省していない点で、極めて不十分だと思います。

        投  書

 拝啓

 私は八王子在住のFと申します。Yさんから紹介されてこのHPを読んでいます。

 今回の都立大学の件は、〔牧野さんの意見に〕本当に同感します。私は中央大学が母校なので、都立大学の凋落ぶりは手に取るように分かります。またメルマガに記されている教授たちの怠慢ぶりは予備校、LECを職場とする私のようなアカデミズムの門外漢にも知れ渡っています。

 現在、私が委員を務めている八王子教育改革プランでも次回はこの話題を出してみます。


        お 返 事(牧野 紀之)

 投書をありがとうございます。

 LECとは何でしょうか。又、あなたが委員をしている「八王子教育改革プラン」とはどのようなものでしょうか、行政組織上の何かの権限があるのでしょうか。

 こういった外部の人間の知らない点についての説明があるともう少し親切になったと思います。

 そこで取り上げた結果をまた知らせて下さい。お願いします。

(2003年12月25日発行)

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