ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

親の仕事

2005年10月29日 | ア行
 私は「家庭教育によって学ぶ姿勢の出来ている生徒に勉強だけを教えるのが教師の仕事」と考えています。これはこれまでにも繰り返し述べたと思います。これはここでは論じません。もちろん異論のある方はどうぞ発表して下さい。

 そういう考え方に立ちますと、「学ぶ姿勢」の出来ていない生徒とか、親に相談するべき事を持ちかけてきた生徒には、「親に相談してほしい」と言うことになります。これまでにも何人もの学生にそういう事を言ったことがあります。

 その結果として分かった事をまとめたいと思います。私の個人的経験ではなく、見たり聞いたりしたことも含めてまとめます。

 第1に、そのように言っても実際に親と話し合う生徒は極めて少ないということです。これが問題だと思います。子供の成長にとっての親との対話の重要性については、本メルマガでも第71号の「会話と成績」(2002年03月09日発行)で考えました。

第2に、親と相談する人もいるわけで、その場合、親がどういう態度を取るかです。問題の事例をきちんと聞いて、親としての意見をきちんと言うのが理想ではあると思います。そういう親もいます。その場合には問題はたいてい解決します。

第3に、しかし、一応は子供の話を聞きますが、問題の内容に立ち入って考えないで、ただ自分の子供が面倒な事を起こさないようにという考えから、「意地を張らないで、単位を落とさないようにしろ」などと言う親もいます。これは子供に現実迎合か事大主義か事無かれ主義を教えているわけで、賛成できません。問題は解決せず、生徒も成長しないようです。

第4に、これとほとんど同じだと思いますが、「自分で言えばいいじゃない」と子供だけで解決するように言う親もいるようです。

 これは、親が保護者であることを忘れている点で、従って問題の内容によっては親が出ていって子供を守らなければならない場合もあることを忘れている点で、まず間違っていると思います。

それに、子供に言わせるとしても、「相手に直接言う」ということがいつでも正しいかのように言っている点でも間違っていると思います。

世の中の問題は相手に直接言うのが一番好いとは限りません。むしろ、間に誰かを入れて交渉した方が好い場合の方が多いくらいだと思います。従って、大人になるということは、どういう問題の場合はどういう風に持っていくのが適当かという判断力を身につけることでもあると思います。

ですから、子供が何かの問題を親に訴えた時は、そういう事を考える練習にこそするべきで、「自分で直接言え」と突っぱねるのは最低だと思います。親の責任放棄になる場合も多いと思います。

第5に、逆に、親が出て行きすぎるとか、間違った出方をする場合もあるようです。

先日の報道でこんな事がありました。沖縄の小学校でのことですが、いじめられた子供の親が学校に無断で入っていって、いじめた子供たちを廊下に呼び出して平手でなぐったそうです。

これに対して、学校は親の構内立ち入りとなぐったことだけを問題にしているようですが、いじめを防げなかったことこそまず学校は反省するべきではないでしょうか。

その親は、いじめられた自分の子供には「やられたらやり返せ」と言ったそうです。こういう事を言う親も多いようですが、間違っていると思います。まず、いじめる側はたいてい数人でグルになって、1人の相手をいじめるのです。やり返しても更にやられるだけです。

根本的には、子供自身がやり返すにしても、親が代わってやり返すにしても、気持ちとしては分からないでもありませんが、間違いだと思います。日本は法治国家であって、暴力で個人的に報復することは認められていないと思います。

ついでに少し関連したことを述べます。

昨年(2002年)の大阪の池田小学校での8人の児童殺害事件以来、学校の防犯対策が問題になっているようです。

(2003年)06月15日付けの朝日新聞には、或る大学の教授が防犯対策について親や教師や大学生の意識を調査した結果が載っていました。

それをみて私が注目したことは、「(小学校の)低学年では、教師は休み時間も教室にいて、常に子どもを視野に入れておく」という項目への賛成が5割だったという点です。朝日紙はそれを「それへの賛成も5割あった」と、あたかも予想より多かったので驚いたと言わんばかりの書き方をしていました。

私の驚きは、「たった5割しかないのか」です。これは本メルマガの第5号「隠しカメラのどこが悪いのだろうか」と関係します。

 私の意見は「ドイツの学校がそうであるように、生徒は校門を入った時から出る時まで、誰かの教師が見ていなければならない」が原則で、それが出来ない場合には、「隠しカメラ」ではなく「公然カメラ」を設置するのは止むを得ない、というものです。

何人かの人から感情的な反発を受けましたが、その反対した方々はその後どう考えているのでしょうか。今回の防犯対策の問題を含めて、ぜひ冷静な意見を発表してほしいものです。

「ここでは外部からの犯罪が問題になっているのだ」と言うかも知れませんが、それは違います。外部からの犯罪と内部での犯罪(生徒の間でのいじめや万引きなど、教職員によるいじめやセクハラなどの犯罪等)を一緒に考えられない所がそもそも根本的に間違いなのだと思います。

元に返って、自分の発言した事についてはその問題が終わるまで、ずっと考えつづけて責任を取るのが大人の態度だと思います。考えが変わったら、理由を付けてそれを言うべきだと思います。

これは大学教員の任期制反対の理由についても言えます。その時、任期制に反対する理由として持ち出されたものの1つは「任期制では長期的な視野に立った研究が出来なくなる」というものでした。

今、国立大学の独立行政法人化の問題の中で、反対する人達の挙げる主な理由の1つがそれです。しかし、それを聞いていて思うことは、その時、「その後、部分的に実行れている任期制で長期的な視野に立った研究ができなくなったのか」の検討が全然ないことです。

自称研究者である大学教授がこのように関連する出来事を関連させて考えることが出来ないのです。こういう教授たち自身は「長期的な視野に立って研究していない」のでしょう。

独立行政法人化の問題は回を改めて考えるつもりです。

(メルマガ「教育の広場」2003年06月16日発行)

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