なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

洞海湾

2005-06-15 12:54:36 | 昭和
上の写真は明治初期の洞海湾の鳥瞰図である。洞海湾の入り口から見たのであろう。左の山が皿倉山、右の山が高塔山そして真中の島が中の島である。この中の島の真上に現在若戸大橋が掛かっている、この島は石炭輸送と製鉄の船の航行の邪魔になると言う事で昭和初期に削られて消滅した。この鳥瞰図を見て今から140年くらい前の北九州が寒村だった事がよくわかる。官営製鉄所が八幡村に建設決定されたのが明治30年(1897年)。以後この寒村に全国から人が集まり日本を代表する大きな工場地帯に発展していくことになる。140年後の現在の北九州の街の景観からその当時をしのぶものは何も残っていない、だが、皿倉山や高塔山の山の稜線はその当時とあまり変わっていない。だから、それらの山の木々は北九州の歴史をずっと見守ってきたのだ、もし、木々に記憶能力があればそれを再生したら面白いだろうと思う。もしかしたら江戸時代までさかのぼって北九州の歴史を見る事が出来るかもしれない。長崎街道を参勤交代する大名行列もいる、そして一般の人々が街道を歩いている。この一枚の絵を見ながら遥か遠い時代に思いをはせた。江戸時代の人は2週間かけて長崎まで歩いたそれが今では高速道路を2時間で行ける。自転車で行けるルートがあれば途中で宿泊しながら長崎まで行ってみたいと思う。通勤ばかりじゃ僕の「山頭火1号」もかわいそうだ。あー旅に出たい。