NTT労組退職者の会広島県支部協議会

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令和1年10月定例句会 第14回「花衣会」

2019年10月25日 10時51分37秒 | 俳句

 

   今月の特選句

   病み上がり心を癒す彼岸花・・・良臣

      山小屋の訛り飛び交う夕餉かな・・・世紀雄

 

 

         俳句・川柳などの短詩型文芸の同好会「花衣会」では、毎月各自3句の作品を

   会報に投句し発行しています。

   その発行数は、今月で91号になりました。

    また、昨年から勉強会として、句会を2ヶ月毎に開催しています。

   今回は、その内容を報告します。

 

 

  第14回 「花衣会」句会開催!!

      と き  令和1年 10月18日(金) 午後2時から

    ところ  広島市基町 NTT基町ビル7階 会議室

    出句数  各自3句

    リーダー 立川 良臣

    講 師  岡部 泰行

 

   出句3句の中から、1句ずつ選句した作品を掲載します。

 

    星月夜少年の日の影絵老い・・岡部 泰行

    細道の過ぎて現る花野かな・・・沖本 惠子

    柿よりも買い気を誘うトマトの赤・・・勝島 千波

    給食室カボチャカレー香児笑顔・・・立川 良臣 

    北の端の岬に揺るる秋灯火・・・土居 旭

    秋来れり歩いて行こか宮島線・・・中山 洋爾

    蛍火も馳走となりし山の宿・・・長岡 和子

    バトン落ち悲鳴が上がる運動会・・浜本 文雄

    サングラス外して見いる山野草・・・林 世紀雄

 

     

     今回も力作ありがとうございました。

    勉強会での研鑽の成果が、少しずつ現れているのではないでしょうか

 

      次回は、12月20日(金)午後2時からです。 

    投句は、3句を12月13頃迄に土居までお願いします。

     次回もよろしくお願い致します。

 

   

           じゆうな広場

 

    八月や六日九日十五日(作者不詳)

                    林 世紀雄

   この8月、山登りした後の15日、子供と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝した。 

   数年前、女房と参拝して以来である。 天皇陛下、安部首相等の献花がしてあったが、

  式典の終わった午後のせいか、参拝者はまばらだった。

   私は戦死した父の顔を知らず、母一人の手によって育てられ、父の倍以上の長生きを

  させてもらっている。 母は亡くなったが、今の私や家族があるのは母のお陰である。

   戦後の母子家庭、私を含め3人の子供を育ててくれた。 言葉に表せないほどの苦労

  があったことだろう。 こうして子供と参拝できるのも、平和であってこそ出来るもの

  である。 決して戦没者、遺族等を出すような戦争は二度としてはいけない。と、願い

  つつ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を後にした。

   8月と言えば先の戦争。 そこで識者の戦争関連の新聞記事がありましたので、記事の

  一部を紹介します。

  〇女優 高田敏江  朗読劇「忘れない」ために

   ~~手弁当で30年以上続けていた朗読劇「夏の会」を、女優の高齢化で来年終了する。

   平成という時代は終わり、先の戦争はどんどん遠くなる。しかし遠くなるからこそ伝え

  なければならないこと、忘れてはいけないことがある。 

   原爆、沖縄、そして福島。被害に逢われた人からすると「忘れられる」ことほど、つら

  いことはない。だから私たちは、何らかの形で伝え続けていかなくてはならない。自分の

  戦争体験に照らしあわせても、こう断言できる。 

   戦争は、人間を狂気に陥れる。 若い人には、平和を守る努力を続けて欲しい。

  〇作家 柳田邦男  戦争・災害・ハンセン病

   ~~戦後俳句に新境地を開いた俳人、金子兜太さんが昨年2月に98歳で亡くなられた。

   戦争末期にトラック島の部隊で海軍中尉だった。 爆弾や飢えで部下が死んでいく悲惨

  さは、生涯消えないほど深く全身に刻まれ、反戦平和の俳句を折々に詠み続けた。  

   私の心に鋭く刺さるその代表的な一句。

   「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」

   敗戦によって島を去る船から振り返れば、戦友たちの墓碑の数々を己は見捨てるように

  して、祖国へ帰る。 生き残った者の罪責感が伝わってくる。

   ~~戦争や災害やハンセン病などの被害とは何かについて、半世紀以上取材して見えて

  きたのは、災厄は発生時の死傷だけで終わるものでなく、60年、70年たっても続くとい

  うことだ。 その全体像を俯瞰してはじめて、非戦を誓う平和国家の建設や、災害、公害、

  事故の惨事、病気への偏見、差別を繰り返さない安全、安心な社会の構築のために何をな

  すべきか、その条件が見えてこよう。

   〇心療内科医 海原純子  8月の記憶

   ~~昭和39年の東京オリンピックの頃は、テレビは普及していたが、カラーテレビは

  高価で珍しく、カラーテレビのある家に集まって、皆でオリンピックを見たのだそうだ。

   今は電話一人一台だし、テレビはスマホで見る時代。 たった数十年の間に私たちの

  環境は激変した。 その当時のことはもうすっかり忘れているし、その頃のコミュニケー

  ションスタイルも過去のものになった。 しかし、何といっても一番忘れられているのは、

  戦争の記憶ではないだろうか。 つらいことや苦しかった記憶は覚えていたくないものだ

  し、忘れてしまいたいものだ。 ただこのところ気になるのは、社会的地位がある人達の

  発言や行動の中に、かつて戦争に突入していった日本の亡霊を感じて、背筋が凍る思いを

  することだ。 それと同時に、そうした発言や行動を容認したり、見過ごしたりするメデ

  ィアがあることも気になる。

   私は戦争を知らない。でも、戦争で亡くなっていった方々の理不尽な思いを知る遺族の

  方々にとって、戦争は過去のことにはならないと想像できる。

   15日にはその思いを感じつつ、祈りをささげたい。 

 

  

   このコーナーは、花衣会会員の自由な想い、意見、感想などを

    綴ったコラムです。

 

    遠慮なく投稿願います。 お待ちしております(土居記)

 

 

 

 

    

 

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