現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧と暮露は別

2020-02-07 20:14:53 | 虚無僧日記

「暮露(ぼろ)」について、すべての辞書に「虚無僧」のことと書かれている。

大辞林「有髪の乞食坊主の一種。中世末期にはその中から尺八を吹く薦僧こもそう

(虚無僧こむそうの前身)が現れたので、薦僧・虚無僧の異名としても用いられた」と。

虚無僧の起源は、「徒然草」に
<しら梵字という暮露、師の仇なる、いろおし坊という暮露と互いにつらぬき合いて死にたる・・・>
とある。この暮露なる者の語源は、”ぼろぼろ”の紙衣を着ているその容姿からくるものとも言われる。
この暮露が後に薦(菰・こも)僧と言われるようになる。薦は藁(わら)の筵(むしろ)を抱えた姿の乞食僧であり、薦(こも)僧-->虚無(こむ)僧と変化したと言われる。

 

「ぼろ」の音から「ぼろぼろ」「ぼろ布」がイメージされ、ぼろぼろの衣を着た乞食僧。

虚無僧も乞食の仲間のようにさえ云われる。

 

 

江戸時代の初めには「虚無僧=暮露」と認識されていたので、そのように

解説されているのは致し方ない。

しかし、暮露と虚無僧は全く別であると私は考える。その根拠は、

 

 

 

徒然草(1331頃)一一五「ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。〈略〉ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや」

 

 

 

貞享版沙石集(1283)八「ひたすら暮露暮露の如くにて、帷に紙衣きてぬるに」

 

 


松本清張が明らかにした「帝銀事件」の真相

2020-02-07 20:02:19 | 虚無僧日記

昭和23年2月4日 私の誕生日。その日の新聞を見ると

帝銀事件のことが大々的に取り上げられている。

帝銀事件は、1948年(昭和23年)1月26日東京都豊島区

帝国銀行椎名町支店で発生した毒物殺人事件。

犯人として逮捕されたのがテンペラ画家の平沢貞通

松本清張は「戦後の黒い霧」で、戦後史の闇の解明に

挑んだ。そして1959年に発表した『小説帝銀事件』ですでに

731部隊の存在を明らかにしている。

松本清張によれば、警察は、毒物の扱いに熟知していた

731部隊の隊員が犯人とにらんでいたが、GHQからの

圧力で、731部隊の調査は突然止められた。

そして強引な理屈をつけて逮捕されたのが平沢貞通。

平沢を自白に追い込んだのは、吉展ちゃん誘拐事件などで

名を馳せる伝説の刑事平塚八兵衛

平沢は毒物の知識など無く、その入手経路も不明のまま

犯人に仕立てられ、死刑判決となった。

帝銀事件では、青酸化合物を2回に分けて飲ますなど、その

毒物の致死量を熟知したものでなければ起こせない犯行。

使われた毒物も器具も731部隊の物とまで明らかになりながら

GHQの命令で捜査が中断された。アメリカが、731部隊の存在を

ひた隠しにしようとしたことが明らか。つまり、アメリカは731部隊が

人体実験で得たデータをに手にすることにより、その罪を反故にする

密約を交わしていたという。

 

松本清張はそこまで、事件の真相を積み上げながら、これを

「小説・帝銀事件」。つまりフィクション(作り話)の小説として発表した。

そうせざるを得ない圧力があったのだろう。