現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ビリギャル その後

2020-02-10 19:05:10 | 虚無僧日記

小林さやか

 

1988年生まれ 愛知県出身
坪田信貴著『学年ビリのギャルが一年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』の主人公。小林さやかさん。

 

中学で成績学年ビリ、高2の夏に小学4年レベルの学力しかなかった。

金髪で素行不良を理由に何度も停学になり、校長に「人間のクズ」と呼ばれたことも。

高2の夏、塾の坪田先生との出会いを機に、日本最難関レベルの慶應義塾大学の現役合格を目指すことに。結果、1年で偏差値を40上げて、複数の難関大学のほか、慶應義塾大学に現役で合格を果たす。

卒業後は大手ブライダル企業に就職し、ウェディングプランナーに。持ち前のコミュニケーション力をいかし、営業成績は常にトップクラスだったという。

その後、結婚を機にフリーランスとして独立。『ビリギャル』が出版され、教育についての取材や講演依頼も多数来るようになっていた。

札幌市で「悪評御三家」と呼ばれた問題校で、4ヶ月間生徒たちと体当たりでぶつかり、学園改革も。

 

彼女の講演内容

やればできる」と声がけをする保護者、先生、管理職の方は多いと思いますが、実際に「できる」人までに導くことができていますか?もし、できていないなとお悩みなら、知ってもらいたい・・・
かつて、成績はビリ、素行は悪く、問題児扱いを受け、校長先生には「人間のクズ」と呼ばれたこともあるビリギャルが、「なぜ“ビリギャル”になったのか」「どうして慶應義塾大学を目指そうと思ったか」「そのときのまわりの反応は」「いかにして1年半、モチベーションを維持できたか」など、自身の経験をもとに、当事者の気持ちや接する人の言葉がけや態度が与える影響、自己肯定感の大切さや“自発”の大切さなどをお話しさせていただきます。
「やればできる」⇒「できる」に変えた“ビリギャル”の講演には、保護者、先生、管理職の方々が抱える悩みへの解決ヒントがいっぱい。

 

そうなのだ。「やればできる」という言葉かけなら誰でもできる。それをやらせきる。それができない。そのノウハウがいっぱい。

やはり彼女は “おバカキャラ” ではなく、天才少女だ。

 

 

 


一休さんの言葉「なるようになる」とビリギャル

2020-02-10 10:11:29 | 一休と虚無僧

以前、毎日新聞に「一休さんの言葉」というエッセイが

ありました。


一休さんの遺言。「本当に困った時、この箱を開けなさい。
但し、ありとあらゆる努力をして、それでも万策尽きて
どうにもならなくなった時、この箱を開ければ、必ず
解決するであろう」と。
みな教えを守り、さまざまな困難にも立ち向かい、
自分たちの力で乗り越えてきたが、100年後、
とうとう万策尽きて、いよいよ開けてみることに。
すると、中には紙切れ一枚。そこには「なるように
なるさ、心配するな」と書かれていた。

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これは 私が「一休語り」で いつも話している題材。
このエッセイを書いたのは 「宮本延春」氏(45歳)。
中学1年の時、成績はオール1。それが27歳で
名古屋大学に入り、高校の教師に。「教育再生会議」の
委員にも選ばれたという話題の人。

子供の頃から内気で勉強嫌いで体操も苦手。ひどい 
いじめに遭う。中卒で職も転々とし、18歳で 両親に
死なれ 天涯孤独に。

それが、23歳の時、NHKスペシャル「アインシュタインロマン」を見て 物理学に関心を持ち、名古屋大学を目指して受験勉強を開始。翌年 定時制高校に入学。 27歳で定時制高校を卒業し、名古屋大学理学部物理学科に推薦入学。卒業後、豊川高校の教師になったという経歴。

その「宮本延春」氏が「一休さんの遺言」を紹介して
受験生に訴えたもの。

これは、「なるようになるんだから、無駄な努力をするな」というのではなく、「やるべきこと、やれることは すべてやって、努力の末に待っているものには、無駄な心配はせず、なるようになることを静かに受け入れる」ということ。

合格、不合格、どのような結果であっても、長い人生のひとつの通過点であり、この経験そのものが「成長痛」なのです、と。「人事を尽くして天命を待つ」ということか。


それにしても「オール1」の子が名古屋大学に合格できるのか?
東大や名大に入る人は、もう生まれつき決まっていると私は思っている。中学で進路は決まってしまう。それが23歳から1年発起して、4年で名大に入るとは、だれでもできることではない。それこそ 何万人に一人の奇跡。

そういえば「ビリギャル」という映画がありました。

中学で成績学年ビリ、高2の夏に小学4年レベルの学力しかなかった。

それが、高2の夏、塾の坪田先生との出会いを機に、慶應義塾大学の現役合格を目指すことに。結果、1年で偏差値を40上げて、複数の難関大学のほか、慶應義塾大学に現役で合格を果たす。その努力たるや並大抵のものではない。普通の人は、そこまでの努力はできないから一流大学にははいれない。人一倍、尋常でない努力ができるということも持って生まれた才能だ。

そのモデルは実在の人、小林さやかさん。